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ウズベキスタン旅行記⑤~誰もいない砂漠の遺跡で

周りのユルタに泊まる人を起こすラニアさんの明るい声が聞こえて、7:30過ぎに目を覚ました。もう出発する人たちがいるのだろうか。寝ぼけ眼で外に出てみると、真っ青な空が広がっていてとても清々しかった。どこまで見渡しても青と砂色とコントラスト。気持ちよくて大きく深呼吸をした。

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顔を洗い、軽く朝食を済ませた後、キャンプの敷地内にあったブランコに乗りながら、ラクダの鳴き真似をしてラクダが振り向くか試して遊んだ。結構、上手くなってラクダが反応するものだから笑えて仕方がなかった。

さて!午前中はアヤズカラ探検だ。アヤズカラは6〜7世紀に築かれた要塞都市で、古代ホレズム王国の中でもシルクロードの中継地として栄えたそう。1000年以上も砂に埋もれていたところ、発掘調査によってその全貌が明らかになってきている。とにかく乾燥しているからなのか、1000年以上放置されていたわりには状態がいいと言えるのかな。城壁は近くに見えたけど、歩き出してみると結構急な上り坂を登らなければならなかった。道中いろんな生き物とその形跡を見かけた。フンコロガシ、砂と同じ色をしたトカゲ。ラクダの足跡と、もう一つこれは何の足跡だろう?

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午前中でもかなり強い日差し。帽子は被ってきたけど、日焼け止めを塗り忘れたのは失敗だった。15分ほど歩いて辿り着いた城壁の向こう側もまた砂色の荒野が広がっていた。おそらくは四方を城壁が囲んでいたのだろうけれど、一部は崩れている。城壁は2層になっていたらしく、間を歩けるところもあった。古代遺跡だというのに、何の説明もないし、入場無料だし、立ち入り禁止の看板もない。どこをどう歩いてもOK。おまけに見学している人は私たちの他に4、5人程度しかいなかった。観光スポットの一つではあるとはいえ、本当に忘れ去られているような遺跡だ。

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アヤズカラから眺める景色は壮大だった。見渡す限りの地平線!この場所がかつてオアシス都市で大きく栄えた、と想像するのは難しいくらい乾いた大地が広がっているけど、過去にアムダリア川の場所が移動したと読んだ。昔はもっと川が近くにあって、この辺りは緑に溢れていたのかもしれない。

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崩れた城壁の間でQueenのフレディー・マーキュリーの真似をするTちゃん。旅行したのは、映画が大ヒットした後だったんだよね。笑 ちなみに映画は見ていないんだけど。だだっ広い爽快感が楽しくて、遺跡をぐるりと回りながら同じような写真をたくさん撮った。

アヤズカラには遺跡が3つあって、少し下ったところにもう1つ一回り小さな城壁に囲まれた遺跡があり、さらにその下には宮殿跡地があった。

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風の音と鳥の鳴き声しか聞こえない広大な大地は、静かで、果てしなくて、体が軽くなるような感覚がした。

キャンプへ戻る道すがら見つけた鳥の卵とスナネズミ!動物たちにはここが遺跡かどうかなんて関係ないんだよなぁ。

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キャンプへ戻り、お昼ご飯を食べることにした。食堂ユルタに一番乗りで入り、王族気分でまた写真をいっぱい撮って、午前中の日差しですっかり暑くなったのでビールも頼んだ。これはロシア産のビールかな?

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前菜は昨晩と同じで、お米の入ったトマトスープとラム肉と玉ねぎの炒め物が出てきた。ウズベキスタンはラム肉をよく食べる国らしいんだけど、これも味がしっかりついていて美味しかった。

この日私たちは夕方くらいまでにトプラクカラとキジルカラというさらに2つの古城遺跡を巡ってからウルゲンチへ送ってもらい、ウルゲンチ空港から22:35の飛行機でブハラに向かうという予定だった。昼食後、時間に余裕があったので、自分たちのユルタに戻ってのんびりしていたらうっかりそのまま昼寝してしまった。強い日差しに当たったのと昼食時のビールが効いたらしい。こんな贅沢な時間の使い方ができるのも旅の醍醐味。

昼寝から目覚めた後、ラニアさんに料金をお支払いして出発の準備をした。ちなみに、アヤズカラのユルタキャンプは1泊3食付きで一人あたり45ドルだったから安いもんだ。カラ巡りと送迎込みで一人あたり50ドル。飲み物は別料金。ちなみにwifiは無し。最後にラニアさんや食事を作ってくれたいたスタッフさんと写真を撮った。肩を組まれているけど、この男の人はたまたまこの場に居合わせただけだったのに馴れ馴れしい。笑 ちなみにラニアさんの眉毛はタトゥーメイクらしいよ。辺鄙なところだけど、ウズベキスタンに行ったらぜひ泊まって見てほしい。

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カラ巡りに連れてってくれたのは前日にヒヴァまで送迎に来てくれたおっちゃんだった。おっちゃんは英語ができないので、トプラクカラやキジルカラについて何か説明が聞けるかもという淡い期待がおとなしく消えていった。アヤズカラを離れ、車を走らせること30〜40分。トプラクカラに着いた。こちらはわずかだけど入場料があった。トプラクカラは紀元前1世紀〜3世紀ごろに栄えた古代ホレズム王国クシャーナ朝時代の遺跡でゾロアスター教の神殿跡地もある。キジルカラはトプラクカラからほど近く、1〜4世紀ごろに作られた。伝説ではこの2つのカラは地下道で繋がっていたかもしれないらしい。

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トプラクカラは鳥の楽園になっていた。土壁の影になっているところや穴に巣を作っているんだろう。鳥の鳴き声が賑やかで、空には鮮やかな色の羽があちこちで羽ばたいていた。

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なんだかラピュタを思い出した。あれも古代文明の遺跡で、過去にどんなに栄光で輝いていたか分からないけど、1000年経って後に残るのは遺跡を覆う植物やそこに住まう鳥たちなのだ。トプラクカラやキジルカラは、アヤズカラよりも整備されている感じがしたけど、そこで想いを馳せたのはそこにあったかつての王国よりも1000年の悠久の時を越えていく自然の姿だった。

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カラ巡りの後、約1時間半ほど車を走らせてウルゲンチへ戻った。帰り道に再びカラカルパクスタン共和国の門を見かけた。それから、道中、広大な農地で農作業をする人たちが気になった。なぜか農機具やトラクターなど機械を使って作業をしている人を一人も見かけなかったのだ。季節的なものだろうか?見かける人といえば、農地のあちこちでぽつんとしゃがみこみ、草むしりなのか種植えなのかをしている人たち。こんな強い日差しに照らされて、熱中症などにならないのかな。でもきっとこんなのは慣れっこなんだろう、と思った。ここで出会う人々の肌は日に焼けてシワが深く刻まれていて、確かにこの乾燥した大地と太陽のもとで生きてきたたくましさを物語っていた。

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ウルゲンチ空港まで直接送ってもらっても良かったのだが、街を見てみたかったのと、wifiのあるカフェを探したかったのとで、街中で降ろしてもらった。しかし、ウルゲンチの街を走る大きな道路沿いをひたすら歩いたけど、wifiのあるカフェを見つけるのは思っていたより難しく、結局見つけられなかった。最終的には空港までまっすぐ続くこの大通りを4〜5キロは歩いたと思う。

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ちなみに調べた感じ、個人旅行の場合、ヒヴァ〜ブハラ間の移動はタクシーで行くことが多いようだ。ただし、これは砂漠の中を8〜9時間車でひた走る、という結構過酷な移動になる。日中の時間を1日移動で潰したくなかった(砂漠を長時間走るのも面白そうな体験だけれど)私たちは、週に1回ヒヴァ〜ブハラ間を飛ぶ便があることを突き止めて予定を組んだ。飛行機だとブハラまで約1時間で着くが、着くのが夜23:30とかなり遅いので、泊まる宿に送迎を手配してもらっていた。

こじんまりとしたウルゲンチ空港までたどり着くと、再びツアー団体に遭遇した。私たちはとりあえず全行程を無事に終えられてホッとしながら、飛行機に乗り込んだ。

〜続く。

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