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必要なものはもう全部持ってるよ!足りないと感じるのは「今の満足」に気づいていないだけです。

何を達成しても手に入れても、次々に不安が湧いてきませんか?
在り方・物・智慧・関係・居場所、自分を満たす何かを求め続けていませんか?

ちょっと立ち止まって、自分の持ち物チェックしてみませんか?

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我唯足知

我ただ足るを知る。
私たちはすでに自分を満たす全てのものを持っている
、という意味です。

京都の龍安寺にある有名な言葉です。
仏教用語でもあるのですが、古くはバラモン教のヨーガ哲学にもありサンスクリット語で「サントーシャ」といいます。
個人的には、私の人生で一番大事にしている言葉であります。


物が、知識が、経験が、お金が、美貌が、人間関係が、地位が、何かが。
足りない!欲しい!と私たちはいつも何かを求めがちです。

欲して望んで何かを目指すことは、自分を高める上で素晴らしいことです。
望んだ何かが得られる時の満足感や達成感は何にも変え難い喜びですしね。
けど今「無い」ことに苦しんでいるとしたら、それはなんとかしてあげたい。


自分に質問してみましょう。

何が欲しいですか?どうして欲しいですか?得られると自分はどうなりますか?得られないとどうなってしまいますか?
それを得るための原動力となる感情は「希望」「期待」などの喜びからですか?「執着」「渇望」などの恐れからですか?
それを得るための道は、ワクワクしてますか?苦しいものですか?

「自分がすでに満ちている」というマインドで望む場合、「今このままでも幸せ。望みが叶ったら更に幸せ」です。
「自分には何かが足りない」というマインドで欲する場合、「これが得られないと自分は幸せになれない」です。

てっぺんを目指す山登りであったなら、楽しんで気楽にポップに景色を眺めながら五感を味わいながら登っていいはずなのに、焦って休憩なしで頂上一点だけを見つめて息も絶え絶えに進む、みたいな感じでしょうか。



どちらがいいという話ではないです。
てっぺんに登れても、登れなくても、どちらにしても実はもう「足りてる」というだけなのです。

今生きられている。そのために必要なものは揃っている。不足しているように見える現実は、その状況から気づきたい何かがあるからそうなっている。苦も楽も全て自分の望み通り進んでいる。

このことを思考でも心でも理解できて腑に落ちていれば、「足るを知る」ことはそう難しいことではないのです。

時間という概念がまた、焦りや後悔を生んでしまうのですが、「足るを知る」ことができればこの未来と過去への自分の意識も変えることができるのです。
(どうも長くなりそうなのでこの話はまた別の機会へ…。)


そしてね

どれだけ持っても不安なら、それ本当は自分が持ちたいものじゃないのかも。
誰かが持ってて満足してそうだから羨ましい、持ってたら誰かに褒められるから欲しい、立派な人に見えそうだからそう在りたい、無かったら命の危機かもしれないから怖いから持ち続けたい、バカにされたくないから知っていたい、不安で寂しいから誰でもいいからそばにいて欲しい、などなど。

その欲は一般的な固定概念由来ではありませんか?
他人軸で欲しいものと自分軸で欲しいものは違います。
自分だけが本当に持ちたい、在り方・物・智慧・関係・居場所があるのです。

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他者と混同せず、その自分の「本質」を見極める力。

方法は自分の感覚に意識を向け続けるだけ。

すぐ「今の満足」に気づけます。

大丈夫。しれっと満ちましょう。


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