働くことへの執着

子どもがいたら専業主婦でもパートでいいじゃん?と言われて、何が苛々するかって、それまで地道に努力してきたこと、目標、価値観を蔑ろにされた気がするからなんだろう。

体調不安をかかえながらも「それでもあきらめない」と、アウトプットは細々でも、働くことにかけてきた気力と労力はそれなりにあって、何度も挫けそうになりながら「絶対あきらめない」と思っていた分、自分が思っている以上に「働く」、「キャリアアップ」、「収入を上げる」の三点に思い入れが強いことに改めて思い当たった。

ずっと非正規だったけど。20代30代、何年もかけて少しずつ、心身の体調とつきあいながら、社会復帰のリハビリをして収入を増やしていった。最初は休学中のコンビニのアルバイトや日雇い派遣から始めて、塾講師、事務の派遣・パート、昼夜二足のわらじで院を出て、環境調査のコンサルへ転職、技術派遣までステップアップを頑張った。収入も月5万前後から10万、12万、18万、25万と少しずつ上げていった。持病の悪化で数年途切れてしまい、職業訓練をうけて転職して、最低時給、収入半分からの再スタート。その直後に一人目ができた。で、雌伏3年、二人目ができて困惑しているところ先日、正規の声がかかったのに面接でテンパって自分で話をつぶしてしまった。

高校や大学の同期、後輩たちは当たり前のように次々就職していく。安定した職で、何十万とボーナスをもらい、彼らが社会人としての年数を重ねていく様子を横目で見つつ、いつ体調が悪化するか分からない、定時出勤や人間関係への恐怖をかかえて、年度契約、ボーナスも退職金もない、育休制度も使えない不安定な雇用条件を呑み込み、石にかじりつくように頑張ってきた。引きこもり療養の時期がある分、普通にストレートで就職して働いてきた人たちより、働くということについて思い入れが強い。

ニートはいやだ。そんな自分を受け入れられない。

一時的にまあ、治療の一環として「息をするだけでいい」と言い聞かせても(うつのどん底なら仕方ない)、障害年金がもらえるほど固定された疾患ではないので、多少なり回復してくると何かしていないと落ち着かない。いっそのことずっと働けないくらいのほうが諦めもつくのにとも思うが、そういう人たちはそういう人たちで葛藤があるはず。幸か不幸か中途半端に働けない。

就職・労働してなんぼという考えは、10代までの教育環境や親の価値観である「男女関係なく経済的に自立すべき」に大きく影響されていることについては否めないけど、最後はやっぱり自分なのだ。

そりゃ、あきらめろって簡単に言われてもすぐには無理だわ。

プライドや執着は捨てろというけれど、自分が行ってきた努力、思い入れを捨てるのは容易ではない。

まあ、それを執着と呼ぶのだろうけどね。

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