神様ありがと②
私は人にジャッジされるのが嫌いだ。いいふうに言われるのはいいけれど、悪いふうに言われるのはごめんだ。
なのに、私は人をジャッジする。特にリーダーシップのポジションにいる人。責任があるだけに、うまくできていないと、不平を本人ではなく別の人に言う。なんと悪いやつだと自分で思うが、自分で自分をコントロールできていないのだ。また反省する。
人にジャッジされたくないなら、人をジャッジしてはいけないのに。
自分は一番可愛いから、何をしても許せる。でも、人は他人だから、何かしたら許さない。
ダビデ(King David)は王座に居ながら、とんでもない罪を犯した。他人の妻を奪って、その夫を戦場の第一線に送り戦死させたのである。その作戦は水面下で行われていたので、ダビデ以外にだれにも知られていないと思っていた。
ダビデは、神様に目を瞑っていた。神様を見ることができていなかったのだ。
ダビデの罪と主の怒り
主は見ておられた。
私の罪も、私の醜い心も、人をジャッジするこの醜い目も、主は全て知っておられる。なのに私は、自分のことは棚に上げ、人の悪いところを取り上げては、不満を周りの人に言っていた。なんと恐ろしい。
私は、人に対する期待が高い。高い分、その期待に人が応えられなかったとき、例外なしに失望する。
しかしそれは、自分で勝手に決めたシナリオ通りにならなかったことに腹を立てているだけで、その人の気持ちや状況を理解していないときもある。そして、自分の正義感だけを振り翳し、自分の咎には気づいていない、いや気づいていないふりをしてきたのである。
誠に、醜い。見にくい。
そんな醜い私だが、神様は私を祝福してくれた。
Big Weekend Away
一つ目は、週末にウェルズで開催されたWeekend Awayである。
6時間の道のりをノンストップで車に揺られてたどり着いた先はMalvernというところ。地理が得意ではない私は、自分がどこにいるのかあまり自覚していなかったが、さぞかし遠いところに来た。
二日間だけの聖書の勉強セミナーであったが、再会と新しい出会いがあり、嬉しかった。
JTJ宣教神学校への入学
次に、JTJ宣教神学校に入学できたことである。はじめはイギリスの聖書学校に行こうと思い、オープンデーにも行ってみたが、何千ポンドをファウンドレイジングして学ぶという勇気が私にはなかった。でも、自分のお金でできる範囲で、学びたい気持ちがあった。それを実現させてくれたのが、JTJだった。私が洗礼を受けた鹿児島の母教会の牧師先生から推薦状を頂き、実家にいる父に私の口座からお金を振り込んでもらい、無事に入学することができた。
2年間の牧師コース、いまのところオンラインでイギリスで受けることになる。神様の恵みとしかいいようがない。
心の平安
そして最後に、いや一番嬉しかったのは、心が落ち着いたことである。
FIがどんな決断をしようと、いや、NOだったときは、もちろん落ち込むし、家のこととか、仕事との両立とか、たとえ一年の延長があっても、考えなきゃいけないこと、チャレンジしなきゃいけないことはたくさんある。でも、神様は私に練習をさせてくれたんだ。
靭帯損傷して、動けなくなった私は、自分の習慣を変えることを余儀なくされた。人に頼ることができるようになったし、いままで毛嫌いしていた人でさえ、優しくしてくれて、なんだか心があったかかった。そして、神様に安心してすがりつくというか、頼ることが前よりも少しだけできるようになった気がした。だって立てないのだから、壁にもたれかかって歩くしかない。私の信仰も弱っていて、そんなときでも壁傳でも歩かせてくれたのは、「えみ、こっちだよ。」といって支えてくれたのは、神様だった。
聖書の勉強会もありがたかった。眠かったが、教会に連れて行ってもらえて、終わったら送ってもらって、食料品の買い出しまで手伝ってくださって、ありがたい。これ以上、何を求めよう。
イエス様に、お祈りします。
イエス様、神様、私に幸せをくれてありがとう。
私に、頼ることを教えてくれてありがとう。怖がることを止めよと教えてくれました。私は、怖がりません。
イエス様、私に命を与えてくれてありがとう。末っ子で上はお兄ちゃんしかいないけど、二人兄弟に、父と母のもとに産まれさせてくれてありがとう。
母の面倒を見てくれてありがとう。
イエス様、天国で母と会えるから、いまはイエス様と共に歩みますね。
イエス様の御名によって、これからの人生を全てあなたに委ね、力強く生きていけるようにお祈りします。
アーメン。
追記
桜島にしかないと思ってた桜島子みかんがここイギリス、カンタベリーであって、懐かしさと驚きと、「世界一大きい桜島大根と世界一小さい桜島子みかん」と子供の頃から覚えていたみかんが、なぜか大きく思えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?