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”書く”ってこと。

「私の世界観」って私にとって何よりも大切なこと。

好きなもの、好きな人、嫌いなもの、許せないこと。もちろん何億通りも考え方ってあると思うし、何なら俗にいう’普通’って存在しないと思う。普通の人とか、常識とかって、いや誰が決めてるの?って話。

私にとっての全ては私がどう世界を観るか。
自身のエゴで他人を傷付けることなく、この世で与えられた使命を果たす ー そのためには、私の世界は私が創らなきゃ。

ここ数年、本を出して欲しいって依頼されることが増えてきて。でも、正直私個人の星空みたいに頭の中に散乱してる考えを1冊の本にまとめるのも難しいし、何ならここ数年、自分が自分じゃないような、透明で薄い、一見気付かない殻から出られないような、感情を露わにすることがタブーのようなところを彷徨ってて、自由にアウトプットすることが出来なくなってた。

自身の博士論文にも手をつけられていない状況で、本の出版っていうのはハードルが高くて、夢のまた夢・・の話だけど。
私の世界を文字にして、noteに綴ってみることにしました。

初めて私の出版物が公開されたのは2013年。17歳の時。プロのキャリアとしては、チームリエゾンを初めてやった年。

幼少期より憧れだった緒方貞子さんに一目会いたい一心で、緒方さんが代表を務められていたJICA(国際協力機構)の中学生・高校生エッセイコンテストに毎年寄稿していたものの毎年無念の佳作入賞・・・
応募できる最後のチャンスだった2013年、私の文章が審査員特別賞を受賞し、念願のJICA地球ひろばでの授賞式に参加する。

この時の作品が、以下の文章である。

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「何でも構いません、お恵みを」

留学先シドニーの中心部に位置するセントラル駅は、オーストラリア最大の駅で、いわば日本でいう東京駅のようなところだ。シドニーに来て間もない頃、私はそこで物乞いをする30代くらいの女性に出会った。彼女は痩せ細った身体で死んだような眼をしている。真冬だというのにいつ洗濯されたかも分からない粗末な服を着て地面にうずくまり、通りすがりの人々に助けを求めていた。電車が来るのを待ちながら、さりげなく様子を窺っていた私に彼女は訴えた。「お恵みを・・・」。多くの人々が見て見ぬ振りをしているし、私も小銭の持ち合わせがないからと言い訳をしながら黙って俯いた。そんな中、一人の年老いた女性が彼女のそばに近寄り、十字を切り、彼女を抱き締めた。彼女は心からの笑顔で「有難うございます。」と感謝していた。今でもセントラル駅に行くと、彼女たちの姿が昨日のことのように思い出される。

国連の調査によると、世界の総人口のうち約1億人がホームレスであるといい、これは実に72人に一人の割合である。彼らのうち半数以上は1日2回以上の食事が取れず、それも廃棄食品や支援団体の炊き出しに依存している。つまり、彼らの食生活はかなり不安定なのである。また、家のない人々にとっては、ビルがたくさんあり、昼間に暑さや寒さをしのげる都心部は農村部より生活がし易い。オーストラリアに住むホームレスの人々の数は非常に多く、そのうち12%にあたる約1万2千人は12歳以下の子供であるという。彼らが家をなくした原因は親の失業や何代にもわたる貧困など様々だが、彼らの生活環境は私たちの快適な生活とは程遠い。彼らの多くは、家族がアルコール依存症や麻薬中毒、深刻な精神病を患っていることが多いと言う。日本に住む私たちの想像を絶するような、厳しい現実を生きている。

私たちは募金であったり、フェアトレード商品の購入であったりと、金銭的な支援をすることは簡単にできる。だが、その行為は彼らには”金持ちニッポン”の典型的な姿、嫌な姿と受け取られているかもしれない。私には彼らが求めるものは”物”や”お金”だけではないように思える。では、彼らの満たされない心を最も癒すものは何なのだろうか。

4年前のクリスマス、父の故郷であるパースの路上でピアノ演奏をしているとき、年配のホームレスの男性から声を掛けられたことがある。「あげるお金はないけれども、貴女の演奏を聴くと心が癒されるから、もう少し聴かせておくれ。」と。私の演奏は彼の癒しになると共に、彼の心に安らぎを与えることが出来た。この出来事を回想する時、私は思う。貧困や飢餓に苦しむ人々を救えるには私たちの真心なのではないかと。

今、私たちに出来ること。それは、彼らを理解し、差別しないこと。同情するのではなく、彼らを認めること。裕福であれ、貧困であれ、同じように1人の人間として接すること。それが大切なのではないだろうか。マザー・テレサの言葉に、「この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。」と言うものがある。いくら裕福であっても、愛がなければ、人は孤独である。お金がなくとも、愛してくれる人、そして笑顔があれば彼らは幸せになることが出来るだろう。「誰かがするだろう」と人任せにせず、セントラル駅の女性のように、困っている人に温かいエールを送ろう。私たち一人ひとりが協力し、率先して活動することが、世界を救うための第一歩になると、私は信じている。そして、私は誓う。貧困解決を世界に訴えるとともに、自ら貧困に苦しむ人々を助け、より平和で平等な世界を創ることを。

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