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1000年前の「いいこと探し」引き寄せの法則ではなく〇〇でした

長男が修学旅行に行きました。昨年は修学旅行などできなかったのだから、少しは良かったのでしょう。本人は今のクラスに友だちが少なくて、気が重いそう。班分けをしたらあぶれてしまって、自分のほかには修学旅行に行かない人と不登校、仲良くない人そして自分、という班になり、いやなことこの上ないとこぼしながら出かけて行きました。そういう旅行経験もなかなかないから、楽しんでおいでよ。と言いましたが、いい事探しをしていい体験をして帰ってきてくれることを祈っています。

さて、いいこと探しをすると成功が引き寄せられる、という「引き寄せの法則」というのはよく知られた話です。私の周りでも「いいこと探しのレコーディングをして引き寄せしよう」という活動をされている方などおられます。このいいこと探し、「ポリアンナ症候群」といわれていて、それが最初のいいこと探しだと思っている方もいるのではないでしょうか。

ところが日本ではなんと1000年前にいいこと探しの教科書のような作品が残されています。平安時代の中頃、一条天皇の中宮に定子という人物がいました。教養があり知識が豊富。定子の文学サロンはとても賑やかで、そういったことを好んだ天皇の寵愛を受けていましたが、定子の父、藤原道隆が没したときから風向きが変わります。
道隆の弟である藤原道長により、定子は政治的にも経済的にも精神的にもダメージを与えられ続けました。自身の兄は失脚し、定子も追われるように出家しましたが、一条天皇に請われて半分無理やり宮中にもどってきます。
道長派閥の目もあったのでしょうか、戻った先はもとの後宮ではなく、鬼が出る、といわれるような場所でした。後ろだてをなくし、家もなくした定子の苦労がしのばれます。そんな八方ふさがりの中、定子を称え、定子を寿ぎ、世界の美しさを叫ぶ随筆を書いた人物がいます。

清少納言です。
清少納言は「春はあけぼの」で始まるおなじみのフレーズ『枕草子』の作者です。『枕草子』は清少納言が年下の中宮定子のもとに出仕して、バリキャリのキラキラな日常を描いた話、今でいえばインスタですね、というのが一般的な見方で、学校でも最近はそのように教えているようです。

しかし、ただリア充アピールをしていたわけではありません。なぜなら執筆のあいだ定子は坂を転げ落ちるような人生を歩んでいたわけですから。清少納言は定子が23歳で亡くなるまでそばで、いかに人生が素晴らしいものか、世界は美しいものかを書き綴りました。
藤原道長に対する恨みや憤りを書くこともなく、定子の周辺にある素晴らしいものそして定子そのもののすばらしさを書き連ねました。それは充実した素晴らしい瞬間を切り取ったものではありますが、清少納言は筆一本で道長陣営に戦いを挑んでいたようなものです。たいへんストレスのある厳しい戦いだったと推察されます。

『枕草子』に「心ときめきするもの」(二十九段)としてこのような描写があります。
「心ときめきするもの。雀の子飼。ちごあそばする所の前わたる。よきたき物たきてひとりふしたる。(中略)かしらあらひ化粧じて、香ばしう染みたる衣なぞ着たる。ことに見る人なきところにても、心のうちはなほいとをかし。(後略)」
よき薫物をたいて、一人でいる時間の解放感がいい。入浴して化粧したら香りのたきしめてある衣を着ることも幸せを感じる瞬間だよね、という文章には、このようなことが日常として行われていたことがわかります。

このころは香炉に薫物をたいて、その上に籠をかぶせて上から衣服を覆いかけて香りをうつしました。人と会う時、公式の場でなくとも香りを楽しむこと、そして、リラックスすることが幸せを感じるのにとてもよいと清少納言は語っています。筆一本で戦っていた清少納言の楽しみはお香でもあったのですね。

精神医学雑誌によると、嗅覚は前頭葉と直結した器官であり、いい香りを漂わせることは脳にリラックス効果をもたらすとのこと。また、とくに植物性の香りについては人の心にさまざまな良い効果をもたらしていることが現在研究されてい。

いいこと探しをしすぎると、現状認識能力がなくなり問題解決ができなくなると言われています。また、さらにひどい状況と比較して、今の方がまし、と現状を肯定するため、自分より悪い状況にあるひとがよくなっていくことが許せない、という感情も生まれやすくなると言われています。しかし、清少納言のいいこと探しは、戦いでもあった。ペンは剣より強い、かもしれない。
世界を丸ごと肯定する清少納言の戦い。そしてその傍らによき香りあったのでした。

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