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人類と人魚の歴史

つい最近まで人魚は架空の生物であると思われてきた。
目撃情報そのものは古くからあり、数世紀に渡って記録報告されてきたが、それらはおおむね19世紀末から20世紀初頭に集中している。
これは捕鯨の最盛期と重なるのだが、人魚の発見がそれと同時期であることは、必ずしも偶然ではない。
人類が航海の範囲を拡げたから、という理由もあったが。
最大の理由は、人魚が鯨を食料としているからだろう。

人魚は群れで行動し、集団で狩りを行う。
組織的に洗練された高度な技術で、彼らは自分たちよりも遥かに大きな獲物を捕獲することができる。
その狩りの方法は驚くべきものだ。
彼らの武器は水である。
鯨は魚類ではなく、哺乳類なので、海上での呼吸を必要とする。
人魚は集団で攻撃を仕掛け、これを海面から遠ざけることによって窒息死させるのだ。
人魚もまた哺乳類であるため、当然、呼吸を必要とする。
しかし、その肺は鯨とは比較にならないほど小さい。
現在のところ正確な計測の報告はないが、文献からの推測で、人魚は30分近く潜水できるのではないかとされる。
人間の場合、競技などのために特殊な訓練をしてギネスブックに載るような者は別として、普通の人はせいぜい30秒。
潜水を職業とする者でも1、2分程度で、5分潜れれば一流と呼ばれる。
比べれば人魚の潜水時間がいかに長いかがお分かりいただけるだろう。
が、鯨の潜水時間はそれよりももっと長い。
一般にハクジラ類とヒゲクジラ類とでは可能な潜水時間が違うが、潜水が得意なマッコウクジラなどは2時間をゆうに越える。
まともに闘ったら、勝ち目はないのだ。
しかし、人魚はそれに数で対抗する。

人魚の狩りは、追尾から始まる。
目をつけた鯨の後を潜航し、獲物の息が切れる頃を見計らう。
第1のグループは戦闘集団である。
このグループは、呼吸をするために海面に上がろうとするタイミングを捉えて、鯨に攻撃を仕掛ける。
武器は鯨の骨を加工して作る槍だ。
槍は鋭く、強度を増す工夫がされている。
人魚より大きく強い鯨にとっても、この槍を持った集団を相手にするのは難しいことだ。
槍には鯨の髭で作ったロープが結ばれており、最終的には、これで獲物を絡め獲る。
また、ロープがあれば投げ損なったとしても手繰り寄せることができ、便利である。
第2のグループは、戦闘集団から逃げようとする鯨の退路を絶つ。
もっとも狩猟に長けた者たちで構成されたグループで、群れのリーダーはこの役割を担っていることが多い。
戦闘中、常に獲物と海面の間に入って行く手を阻み、群れを動かして鯨が呼吸できないように誘導する。
このグループは槍だけでなく、海底から拾った石を使って、鯨を海面付近から攻撃する。
鯨は攻撃を逃れようとする。
左右と上に逃げられないと分かると深海に潜る。
人魚の潜水深度ははっきりしないが、おそらく200ヤードほどであると言われている。
マッコウクジラであれば、それの10倍は深く潜る。
包囲網から鯨が逃れるには潜るしかない。
しかし、人魚の群れが、鯨の息が切れる間際を襲った理由はそこにある。
鯨は深海に至る以前に、空気を求めて浮かび上がらざるをえない状態に陥る。
人魚たちはそれを待って、攻撃を再開する。
鯨は海面にでることができず、弱ってゆく。
持久戦である。
第3のグループの役割りは、群れの仲間に空気を配ってまわることだ。
空気は魚の浮き袋を加工した道具に溜めて運ぶ。
また、このグループは伝令の役割りも果たす。
空気と一緒に、個々の問題点や細かな提案をリーダーに伝え、リーダーからの指令を個々に伝達してまわる。
まれな例だが、小規模な群れでは、リーダーがこの役目を担うこともあるらしい。
しかし、たいていの群れでは複数の人魚が専属してこれを行う。
鯨からすれば、この第3グループを倒しさえすれば、文字通り、人魚の息の根を止めることができる。
つまり、包囲網突破の目がでるわけだ。
第3グループはもっとも反撃される危険に晒されるため、機敏性が必要となる。
機敏性については人魚のほうに利がある。
鯨は馬力こそあるが、小回りの効く人魚ほど素早く動くことはできない。

人魚の狩猟はこのように高い組織力による効果的で素早い攻撃から成功率が高い。
捕獲された鯨は、その場で解体され、分配される。
分配はリーダーが行う。
次の狩りや生活に不可欠な骨や髭など、大切な戦利品は、その日の狩りで損失したものを優先的に補填した後、功績を鑑みて分配する。
肉はすべて腹に納め、保存することはない。
鮫などに追われないためである。
このような食生活であるから、人魚は何日も食事をしなくても足る。
獲物である鯨に長く遭遇できないこともあり、そういう時には、魚類や海藻類も食する。
しかし、鯨がなければ人魚は生きていけない。
狩りの道具だけでなく、人魚の生活用品のほとんどが鯨由来の素材でできている。
また、鯨は糧であると同時に、ともにこの世にある「仲間」でもある。
人魚たちは、狩猟の終わりに、捕獲した鯨のために祈りを捧げる。
これは人魚が死んだ時と同じ祈りなのだという。
自分たちの生命をつないでくれた獲物への感謝と、おそらく、勝者の嗜みでもあろう。
すなわち、捕鯨は彼らの文化でもある。

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