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ハロウィンが文化になっていく。

「ハロウィンのかぼちゃ!」2歳の息子はジャック・オ・ランタンを指さして言う。保育園で教わってきたのだろう。ハロウィンは根付かないなんて言われていたと記憶しているが、着実に根付いている気がする。世代交代。常識が切り替わっていく瞬間を見られている気がする。

私のイメージは、ハロウィンとはかぼちゃのランタンで子どもたちがお化けや怪物の格好をしてお菓子をもらうお祭りだ。先日、女の子が王女様の格好をしていた。それは、違うのでは?と思った。まぁ子どもたちがだからまだしも、大人たちのコスプレは違うのではないか?とは思っていた。もともと関係ないよね、と。

しかし今は違った考えを持っている。確かにもともとのやり方ではないだろう。しかし、そのものの輸入ではなく、自分たちがやりやすい形に加工していく、というのは世界中どこでも行われることだ。

ハロウィンのかぼちゃも元々はカブだったと聞く。そもそも輸入時点で加工されていたのだ。土俗的にアレンジされて根付いて文化になっていくのだろう。日本では、かぼちゃとコスプレを楽しむ日になっている。もともとあったコスプレとお祭り感覚とハロウィンが融合し、文化になろうとしているのかもしれない。私も文化祭などでは、衣装を変えて楽しんでいた。コスプレは楽しいものだ。ただ、あまりに迷惑をかけていてはせっかくの文化が台無しになってしまう。節度を持ったうえで楽しみたいものだ。

クリスマスやバレンタインには恋愛要素がある。恋愛感情は秘するものだ。それを解放して良いという特別感を感じる。現在のハロウィンには恋愛要素は感じない(まさかナンパしあってよい日とはならない、となんとなく信じたい。)。まだまだ個人的な楽しみに終わっているように思うけれど、コスプレして自分ではない自分になる日、いつもと違う世界を楽しむ日。そんなハレの日にしていってもいいのかもしれない。

我が家では、妻が頑張って、夕食のご飯にのりやチーズとゴマで目をつくったりしていた。こういう楽しみ方も楽しい。彼女が頑張り続ければ、我が家の文化になるかもしれない。根付かせるには、何もしないのでは根付かない。根付かせ文化にするには、人が頑張ったり楽しんだりし続ける必要があるようだ。

将来、息子に「ハロウィンなんて私が子どもの頃はなかった。根付かないと言われていたよ。今では信じられないね。」なんて言うのかもしれないし、「ハロウィンなんて祭りがあったけど、規制されたりしていつの間にか消えてしまったね。」となるのかもしれない。
どちらにせよ、楽しみなことだ。

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