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ぐわぬるに行ってきました。

落合陽一×若佐慎一 ぐわぐわぬるぬる:森からいづる不可視な境界線を廻って
会期:9月1日(木)〜9月25日(日)終了しました。
時間:12時〜18時
会場:Karimoku Commons Tokyo

私は落合陽一氏側から行きました。若佐慎一氏の作品は初めてでした。
23日に行きましたので、感想を書いてみたいと思います。

いきなりですが失敗したこと

最近の展示は写真が撮れるのが嬉しいです。ただ、撮ることに夢中になってしまい、展示や空間を楽しむことがおろそかになりました。もったいなかったです。

全体に感じたこと

木のポテンシャルを感じられた展示たちでした。 加工をすることで自由な形、大きさ、質感を作り出せるのだな、という印象でした。

作品に感じたこと

  • 若佐氏の熊
    チェンソーで削ったそうです。荒々しい質感と、はにわ的な、漫画的な顔が融合していました。クマに対する印象、恐怖と愛らしい漫画的キャラクターが同時に表現されているように感じました。

獰猛なかわいさ
  • 落合さんの魚
    カリモク家具と同様、滑らかな表面です。滑らかな質感は、水中の魚(鮎)、妖怪の手長足長に合致していました。工芸品としての美しさや洗練さを感じさせます。また塗装することでメタリックな質感も再現されていました。
    蛇足ですが、手長足長はどうやって運んだのだろう?腕と手は切り離せそうだけれど、それでもポキっといってしまいそうです。

両方とも木です。知らなければ金属として見過ごしていたかもしれません。
  • 対比
    暖かさと冷たさ、荒々しさと繊細さ、陸上生物と水生生物、手のひらサイズからどうやって運ぶのか疑問に思う大きい(長い)サイズまで、同じ木でも感じ方が大きく異なりました。区分けせずに一緒に配置することで差が際立っていたように思います。

変形中の鮎と熊
  • その差は加工により生み出されていたと思います。加工の仕方で多彩な表現が可能であると感じました。そもそもの場所が、木製家具の温かみと、コンクリート打ちっぱなしの静謐さを感じさせる空間でした。 落合氏がデジタル加工と職人による美しさを極め、そこで削ぎ落された感情や不確実性のようなものを若佐氏(ご自身で初めてチェンソーで加工されたそうです!)が拾い上げている。勝手ながらそのように解釈しました。いくつもの二面性を含有させたデュエットとしての面白味がありました。

帰り道

青山霊園を通って帰りました。見たものを振り返りながら、ふとイチョウ並木を見て思いました。イチョウの木肌はごつごつだな、若佐氏の作品のようだ。そういえばサルスベリなんかは滑らかで落合氏の作品のようだ。加工することで表現が変えられる・木の表現力が多彩だと思ったけれど、そうではなくて、木それ自体が自然に備えているものを、形を変えつつもやはり木として人工的に再構築したものなのかもしれない。なんて。

やっぱりアートはいいなぁ、自己満足と自己納得でほくほくした気持ちになりました。

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