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新たな部落問題の課題(5) 「部落史の見直し」再検討

黒川みどり氏の『[増補]近代部落史』を読み終えて、あらためて部落問題の困難さを痛感している。本書は10年前に上梓された『近代部落史』の増補版であり、その後の10年間を含めて現時点での部落問題の課題を論じている。
私自身がその渦中に身を置きながら整理し切れていなかった1980年代から2000年代の動向を端的にまとめていて、その上での課題提起は納得がいく。


第一に、「政治起源説」の克服ないしは再検討である。「政治起源説」とは、被差別部落は江戸時代に権力者が民衆支配の道具として意図的につくりだしたものとする考え方であり、広く教育現場でも受け入れられてきたものであった。それは、差別は権力がつくりだしたものであり、生活実態(土台)を改めれば観念もおのずと変化するという、当時の運動の中にあった考え方とも連動しており、とりわけ国家の責任を問うて行政闘争を展開し、同対審答申を引き出すためにも重要であった。…それでもなお執拗に存続しつづける民衆の差別意識を前に、歴史をさかのぼって民衆の差別意識を問うことの必要性が認識されるに至ったといえよう。

具体的には、中世の賤民に向けられた差別意識やケガレ観などが取り上げられ、議論は、とりわけ教育現場などでは、近世政治起源説か中世起源説かという、二者択一的なやや硬直化した議論として受けとめられたきらいを免れないが、賤民身分は、江戸時代に突然つくりだされたものではなく、それ以前からの社会的差別を一方で引き継ぎながら、権力者がそれを制度的に整えていった…

「部落史の見直し」の流行に応じて、矢継ぎ早に出版される部落史関係の本や雑誌の特集に最も振り回されたのは学校現場であった。中学校の社会科教師として授業で部落の歴史を教える段になり、当時の文部省や教委が作成した指導指針を読み、教科書の指導書を読んでみても、近世政治起源説で記述された説明は、(今となっては教科書からも消えてしまった)身分制ピラミッドの図式そのままに「士農工商・えた・ひにん」を上下の差別構造で論じているだけであった。
部落史に関する専門書も数冊しかなかった当時、それらを読み込みながら、できるだけ噛み砕いて、差別の理不尽さを生徒の心情に訴える授業を心がけて教材研究をしていた。しかし、なぜか違和感と不十分さを感じ続けていた。あまりにも整理されすぎている。幕府や権力者の責任論に終始する指導観に納得がいかなかったし、江戸時代と明治時代の不連続感を否めなかった。

そんなある日のこと、友人が上杉聰氏の講演レジュメを見せてくれた。「士農工商」という上下の差別構造を否定し、「ケガレ観」による排除・排斥の差別構造の提起、何より民衆の差別意識への言及、「解放令反対一揆」を通しての民衆の差別意識が江戸時代と明治をつないで現代まで続いている明晰な歴史認識、まさに目から鱗であった。

…被差別部落を一種のアジールとみなし、被差別部落という共同体のもつ「ゆたかさ」を前面に押し出そうとする試みがなされてきた。従来の部落史は、被差別部落がいかに権力によって差別され、抑圧されてきたかということを明らかにすることに力点をおいてきたため、被差別部落の「悲惨さ」や「みじめさ」ばかりが強調される傾向があり、それに対して、実際に教育現場で子どもたちに向き合って部落史を語る教師たちから異議申立てがなされた。

事実、誇張した表現や説明によって生徒がイメージするのは、彼ら自身が見聞してきたTVドラマや漫画、小説や挿絵などの中で、より悲惨で、より惨めなものを増幅させたものだった。特に<上下の差別>を現実に置きかえての「いじめ」や、トイレ掃除をする当番を「えた」の仕事と馬鹿にしたり、からかったりする。何より「自分はそう(穢多非人)でなくてよかった」という嫌悪感と他人事の意識を残すだけの授業になってしまった例も多かった。

被差別部落の「ゆたかさ」を伝えることは、被差別部落の子どもたちも自らの存在や自分の住む地域に誇りをもつことができ、部落外の子どもたちに対しても、被差別部落の良さを伝えることで偏見をとり去ることができると考えられて、同和教育や解放運動において、この捉え方は大きな影響力をもつに至る。…しかしながら、被差別部落の「ゆたかさ」を伝えるということがひとり歩きし、一方で、被差別部落がいかに差別されてきたかを語ることがあたかも部落解放に反することであるかのように受けとめられ、それをことさら裂ける態度も生じてきた。

たしかに“誇り”は、当事者の自己肯定感を育み、差別の原因ともなりかねない負のイメージに対抗し、差別への異議申立てに駆り立てる役割を果たしてきた。

…しかしながら、教育・啓発の発信者が、しばしば安易にステレオタイプの「誇りの語り」に寄りかかるのは、差別の歴史や実体に踏み込むよりもはるかに“安全地帯”に自らの身を置くことができるからではなかろうか。そのようにして生みだされる「誇りの語り」は、なぜ部落差別が存在するのか、なぜ同和対策事業が必要だったのかという理解には及ばない

左に寄りすぎた「振り子」を右に戻しすぎたように、当時の私には受けとめられた。「差別の厳しさ」を<中和>するために「誇り」(文化や芸能、治安維持など「社会に役立つ仕事」)を持ち出したようにも思え、違和感を禁じ得なかった。マイナスイメージを消すためにプラスイメージを持ち出す、そんな安直な方法で生徒のイメージは消えるとは思えなかった。なぜなら、差別と「誇り」は別ものであるからだ。

黒川みどり氏の次の言葉が端的に語っている。

「部落の人間て胸張って言えていうけど」「実際みじめやで」。彼は、自分の娘が大きくなって結婚する際に、自分は部落の人間であると自ら言わなければならない。そのことに思いを至らせながら、解放運動や共同体のもつ“あたたかさ”などを重々認めつつも、「部落の人間」というどうやっても逃れることのできないものと真正面から向き合うのである。まさに『破戒』の中の言葉を借りるならば、「身の素性」ゆえに厳しい差別が現存する中で、それをそれほどに簡単に「誇り」に転化しうるのかと問い続けているのである。

被差別部落の出身者でない教師が「部落差別」「部落問題」を生徒たちに語らなければならない学校現場において、できることなら語らないで済ませたいとは、多くの教師の本音であろう。その本音をどれほど耳にしてきたことか。それでも同和教育が必修であった頃、教師の多くは本音と責務、差別への憤りと解消への希求、さまざまな思いが葛藤する中で、目の前の生徒に差別の不合理さと理不尽さ、何よりも差別をしないことを説いてきた。


2002年、地対財特法が期限切れとなり、同和対策事業に関わる特別措置が終焉を迎えた。そして「同和対策」が「人権対策」に、「同和教育」が「人権教育」と名称を変更するとともに、部落問題は「人権問題」の中に「拡散」していった。
その当時、私が最も恐れていたことを黒川氏も次のように述べている。

「人権」という看板への移行は、部落問題が他の人権問題との関わりの中で考えるという“開かれた”視野を持とうとするに至ったことを意味しており、そのこと自体は重要なことである。しかし、同時にそれが部落問題の“人権一般”への解消として、かねてから部落問題を避けて通りたいと思ってきた人びとが部落問題と向き合うことを回避する正当化のための方便になるとしたら、そこには重大な問題が孕まれている。


何より「部落史の見直し」はどうなったのだろうか。
私も一時期は“表舞台”から距離を置いていた。しかし、部落史研究の動向には常に注視し、出版された関連の本や雑誌、紀要には目を通してきた。歳月が流れる中で、当時の中心的な論客であった研究者たちは歳をとり、鬼籍に入り、研究発表は徐々に減少していった。その中にあっても堅実に研究を重ねている研究者もいる。そして次世代の若い研究者も活動家、新たな視点で研究を展開している。それでも相対的には見る影も無いほどに激減している。何より学校現場でで世代交代は激しく、部落問題を語る教師は皆無に近い。語るだけの「知識」も「情熱」も失っているのだろうか。切迫感が感じられないのは、部落問題が「無化」されている、あるいは「可視化」しにくくなっているからかもしれない。

「部落史の見直し」の不完全さは教科書記述の曖昧さに表れている。中世の文化や江戸時代の身分制度、明治の解放令などが本文記載となっている(それさえも簡略であるが)以外は、欄外にトピックスのように説明文がある程度である。それらの多くは読み飛ばされてしまいがちである。


インターネット、特にSNSの普及が「Qアノン」を生みだした。同様に、ブログもまた虚偽や陰謀、誹謗中傷の温床となっている。個人的な(独断的な)見解でしかない情報を巧妙な表現によって「一般化」して発信することで、多くの人々に誤った情報を拡散させている。よく知らない人間をターゲットに、さも「事実」であるかのように装い、興味を惹きそうな過激な言葉で、断定的に決めつける。弱者のふりをして、被害者のふりをして、「国家」や「権力」といった強大な相手に目を付けられているかのように仮装して(事実は誰からも相手にされていないだけのことだが…)自らの「説」が正論であるように見せかける。姑息な手法である。被害を受けながらも、孤立してもなお正義のために、差別解消のために、まちがいを糾すために、さまざまな妨害を受けながらも発信し続けると宣伝する。滑稽としか思えない。
そのような人物が発信している「Qアノン」擬いのブログでも、よく知らない人間にとっては信じ込んでしまう危惧を感じる。まるで「カルト」に陥ってしまうように(それが狙いであろう)。

部落問題を「知らない」ことは、いとも容易に誤った部落問題認識の受け皿になってしまうのである。


部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。