見出し画像

『江戸空間』

TVやマンガ、映画で描かれる時代劇からイメージされる江戸社会は実態だったのだろうか。たとえば、『鬼平犯科帳』では毎回「押し込み強盗」などの犯罪が起こっている。(TVでは毎週)
現代人の我々がイメージする江戸あるいは明治・大正の社会は、ほとんどがTVなどメディアによって創出された映像からである。はたしてどのような社会と思っているのだろうか。生徒に歴史の授業を教えながら、常に不安がよぎっている。
…………………………………………………………………………………………………………
『江戸空間-100万都市の原景』(石川英輔)は,江戸時代に対する認識を変革するに示唆的である。抜粋して紹介しておく。

江戸の町奉行でも,旗本に準ずる階級の与力50騎,それ以下の御家人階級の同心240人。幕末になって,同心の定員が増員されたというが,それでも全部でたったの320人か30人にすぎない。町奉行が治めるのは江戸の町人約50万人だが,あきれるほど安上がり行政府だったのである。
江戸市中の治安を担当する警察官,俗に<三廻り>といわれた<定町廻り>略して<定廻り>と<臨時廻り>と<隠密廻り>の三役だった。三廻りは町奉行に直属していたので,下級武士である同心としては最高の地位でもあった。
このうち,毎日奉行所にそれぞれ六人,わずか十二人しかいなかった。この十二人は,奉行所の月番,非番に関係なく,毎日決まったコースを重複しないようにパトロールしていた。
臨時廻同心も十二人いたが,こちらは定廻りを務め上げて五十歳以上になったベテランが,定廻りの見落としがちな部分を見て廻る。隠密廻りは,臨時廻りを務め上げた中から選んで任命されるので,犯罪人を逮捕することはなく,町奉行直属の情報官のようなものだった。
いずれにせよ,普通の警察の仕事をする正規の警察官が全部で二十四人,いわゆるお巡りさん役は,たったの十二人しかいなかった。空前絶後の弱体警察というほかない。
実際はその反対で,江戸はおよそ犯罪の少ない町だったから,わずかな人数の警官しか必要なかったのである。テレビの捕り物帖と違って,殺人事件などせいぜい一年に一度あるかないかで,…享保年間には,伝馬町の牢屋に被疑者が一人も入っていなかった時期があるとさえいわれるほどだ。
江戸の治安がわずか十二人とか二十四人とかの警察官で維持できた理由は,基本的に同じ民族が寄り合ってのんびり暮らしていたからだが,犯罪が起こりにくいようなさまざまな組織が作ってあったからでもある。まず,一つの町には自身番という町内会の事務所のような小屋が一ヶ所あった。これは,地元で番人を出して維持しているのだが,交番と消防と区役所の出張所のような役目をはたしていた。
…定廻りの同心は,自身番から自身番を巡回して行くだけで,変わったことがあるかどうかを簡単に知ることができた。しかも,あちこちにいわゆる岡っ引きがいて,怪しい者がいれば通報してくれる。
江戸時代の場合は,もともと犯罪が少なかったところへ,幕府の方針が重刑主義だったのが,一層ブレーキをかけたと思われる。とにかく,十両あるいは十両相当以上の物を盗むと死罪である。幕府の刑法である『御定書百箇条』の中に,
「手元に有之品,風と盗取致候者,金子は十両,雑物は代金積十両位より以上は,死罪」とあって,十両以上盗めば首を切られてしまったのだ。スリ(巾着切り)は,三回までは入れ墨をされるだけだが,四回目には金額に関係なく死罪だった。
また,放火犯は,放火した火が燃え上がれば火罪つまり火あぶりの刑,燃え上がらなくても引き廻しの上死罪というから,大変な重刑である。
他人に向けられた暴力に対して寛大であれば,いずれその牙は自分に向けられる。素朴な江戸人にはそのことがよくわかっていたはずである。貧しい時代の十両は,普通の家族が半年は生活できる大金だった。盗まれた側にとっては,命にかかわる可能性のある金額なのだ。放火は,燃えやすい江戸の市街では大勢の人を殺す結果になりかねなかった。
いずれにせよ,江戸は,コソ泥を未決監に入れる手続きのために,かなり高官である町奉行自身がいちいち立ち合える程度の犯罪しか起こらない都市だったのである。

…………………………………………………………………………………………………………
現代の社会状況をもとにした認識,感覚,価値観で江戸時代を判断すべきではない。このことを実感させてくれる。また,多角的・多面的な考察の重要性も実証的に示唆してくれる。

昔に比べて歴史の教科書の内容は随分と削減された。その最たるものは世界史記述の少なさであり,呆れるほどだ。授業の中で資料集などを使って補足はしているが,それでも少ない。数百年の単位で割愛されている。ローマ帝国の次は十字軍とルネサンス,その次は市民革命といった簡略というより無茶である。さらに,アメリカ独立戦争と南北戦争がコラムのように記述されている。日本史の間に世界史が挟み込まれている感じで,生徒は混乱するだけだ。高校によっては,世界史は選択だから習わずに大学に行く。それで国際化社会とはよく言ったものだと思う。

私は,できるだけ同時代史的な解説をするように心がけているが,本書は同時代史の比較が多用されていて,実に示唆的である。授業のネタにも活用できる。

たとえば,江戸時代の貧しさや農民の生活苦の説明として「飢饉」が例とされるが,教科書や資料集には江戸時代の日本についてしか書いていない。生徒の脳裏には江戸時代の貧困が飢饉という象徴的なイメージとともに定着する。ヨーロッパと飢饉は結びついていない。絶対王政の圧政や産業革命による労働者の貧困はイメージできても,飢饉など想像できないだろう。

だが,実際は近代以前のヨーロッパの方が飢饉は多発している。1846~7年の飢饉では人口820万人のアイルランドで100万人が餓死している。

また,宗教政策では織田信長の延暦寺焼き討ちやキリシタンの迫害が残酷さの代名詞として取り上げられるが,ヨーロッパでは宗教裁判が制度として確立(1231年)し,15世紀末には魔女裁判も始まった。異端の名のもとで数万とも数十万ともいわれる人間が殺されている。宗教裁判が廃止されたのは1700年代中頃である。

さらに,ヨーロッパ諸国は,布教をかねて対外侵略を繰り返している。宣教師を先頭にアステカ帝国やインカ帝国を征服し,メキシコやペルーの現地人を大虐殺し,残酷な奴隷労働を強制した。

単純に比較して,どちらが優れているかではなく,多角的・多面的な考察の必要性を述べているのだ。部落史においても,日本の賤民や被差別民への差別を考える場合,同時代史だけでなく西洋史における差別の問題,たとえば魔女裁判なども考察する必要があるように思う。宗教のちがい,民族のちがいだけでなく,同じキリスト教内にあっても「異端」の烙印によって人間と見なされず「魔女」とされて社会外に排除されるどころか火炙りによって殺害されたのだ。差別とは何であるかを「異端」をキーワードに考えてみることも重要である。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。