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新年のぼやき

いきなりですが(ぼやきなのでね)
今年はアレもコレも削ぎ落とすぞ〜

本来コミュニケーションにおいて自分から動く人間性じゃないが、ここ数年においては特によく動いてきたと思う。

これからは本来の自分のまんまでいく。

私、昨年後半過ぎからSNSを休んでみたんですよ。キッカケはね、丁度胃がん手術後5年で寛解にまで到達できたという一区切り感から。そもそも旧ツイッターを始めたキッカケも(そして今では数種類のSNSを使用している)胃がんになったからで、その当時はただ自分が日々の思ったことをつぶやく場所としてやり始めたものだった。誰かとコミュニケーションを取る気は一切なく、いいねすらすることも無いし、ただ単純に心境の変化とか、そういったものを気軽に記録できそうだったから始めたんだよ。それがひょんなキッカケからSNSとして使い始めることになったんだけどね。

そしてそんなSNSを休んでわかったことっていったら、めちゃくちゃ気分的にラクだってこと。

だんだんとおとぎの世界のような、別世界感が強くなっていったんだよね。

私自身コミュ力は高いほうなんだろうけど(SNS/実生活共に他者から言われる)、継続/安定がない人間性なために(かなり浮き沈みがありきまぐれ)ある程度してくると義務のように感じてしまったりする場面も多々あり。

つまり、コミュ力←一時的な付け焼き刃ってことなんですよね〜。(むしろコミュ力ないと言っていい)

でもだからといって、SNSを否定しているとかではない。それは何故かというと、SNSでの人間関係や人間の動向というものは実に興味深く、この日本という国においてのコミュニケーションのなんたるかを知ることが出来たように感じているからだ。(日本に限ったのはほぼ日本人としか関わってないから)

私は他人と足並み揃えるのが苦手だ。お世辞に塗れてるのも反吐が出るし、仲良しクラブも好きじゃない。無駄にキラキラ美しい言葉を並べ立てるのも浮き沈みのある人生を誤魔化しているかのようで胸クソが悪い。これらの表現はあくまでも私からの視点であり(しかもだいぶ汚い表現だ)、多くの人たちからしたらそれらは違った表現になるしプラスなイメージの言葉に置き換え/または解釈されているものであって、不快な事というよりむしろ当たり前の処世術(私の視点からみたら)、SNSはそういったノウハウを識るには格好のツールという理解をした。

と、同時にやっぱり性格に合ってない。と感じたのだ。

私にとってしんどいのだ、面倒くさいのだ。

というわけで、今年は削ぎ落として軽くなっていこうと思う。私は風になりたい。

人との関わり方は当たり前にそこにある風でいい。
駅構内の広告みたいにほとんど目に止まらずともたまに誰かが興味を持ったり足を止めたり、その程度の立ち位置でいい。

確実にそこに在るけど、そんなもんでいい。

風になりたいはずっと言い続けているけど、色んな意味がある。

風ってやっぱりいい。

そんな風に憧れる私は只今絶賛風邪を引いている(笑)

そんな新年。

たまたまここまで読んでくださったそこの貴方に今年良い事が起こりますように!

明けましておめでとう!新しい一年の始まりだ。

2024 元日
衣紋 掛

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