どうしようもない怒りの鎮め方
はじめに
こんにちは。
けむりです。
私は、宗教学という学問を三年間学んできました。そんな私が、あなたにシェアし易いものは、人のこころの領域に携わってきた知見を活かす事と思います。なので、今回は「怒り」をテーマに書いてみたいと思います。
○怒りに対処してきた人類の先輩達
皆さんも、むかつきますよね。
まじで。色んなことに。
だから、そんな日々を喜劇みたいに過ごしたいですよね。でも、そのテーマって今までの人間の歴史でめちゃくちゃ長い間語られてるんですよね。
どんな怒りがあるでしょう。まずは人への怒り。身近なおっさん、おばさんとか。自分にも怒るし、もしかしたら小さい子にまで。
アドラー哲学においては、人間の悩みは人間関係によるものだ。という言葉もありますが、宗教学では、それだけではないだろうと考えていると私は思います。
だって、人との関係以外に自分の仕事への成果への怒りだったり、SNSや社会への決定的な怒り。金銭面での不安への怒り、周りのキラキラしたものへの怒り。人間関係以外にもテーマは幾らでもあります。
こんなテーマに対しては、まず仏教やキリスト教の思想が多く役立つのかなと思いました。
そこで今回、仏教とキリスト教における思想の中では、「怒り」はどのように扱われているのかをまとめ、最後にその思想を帰納した私の考え方を出来るだけ客観的に述べたいなと思います。それでは初めます。
フェーズ1.仏教の手法
【用語】三毒について
仏教の中に、三毒という言葉があります。この言葉知ってる方。さては音楽好きまたは歌詞もちゃんと読む派の人ですね。笑笑。
そう、三毒とは、貪瞋痴という人間がこれやったら段々毒されちゃうよっていう三要素を示した言葉です。「貪」とは、貪りつくしたいという欲求のままでいる事。「瞋」とは、嫌悪感など(激烈な)感情を露わにするという事。「痴」とは、迷い彷徨うという事。ないしは無知であるという事。
今回のテーマにおいては、「怒り」なので、瞋に該当すると思います。その感情を露わにするだけでは毒されてしまうと説かれている事が分かります。
けど、ただダメって言われても無理やん。って思いますよね。私もそうです。じゃあ、ここで説かれている事の本当は何なのか。私は、次のように思います。
それは、やるべきことまたはやりたいことにフォーカスするという事です。分かり易くその例を映像美によって表現しているのは、ヴィム・ヴェンダース監督の話題作『PERFECTS DAYS』です。この映画、私は凄く感銘を受けました。
【tips】宇宙兄弟のアンディも似てる?
漫画『宇宙兄弟』に登場しているアンディという人物は、凄く体が大きくて、能力も高いのですが、目立つという事がコンプレックスであり、教官の目の前でペンを落としただけでもびくびくしていました。
しかし、ある日彼は、考え方を変えました。というより、考えることをやめたんです。ひたすら訓練に励み、考える隙を与えないようにした。
すると、訓練から任務にアサインされるようになった。という話があります。わたしはこの話に似ているんじゃないかなと思います。
【実践】仏教の手法を生活に活かす
これらのことから実生活に活かすならば、特に別のことを考え続けることって難しいと思います。そこで、私がお勧めしたいのは、創作への昇華です。
作品を創る事。創造することに集中すれば、そのクオリティも上がるだけではなく、クリエイターにあなたもなれるのです。だから、自分の仕事を思うのもいいんですが、やりたかった創作に向かうエネルギーに転換することをおすすめしたいんです。
では、仏教の貪瞋痴からの考察から、次は志向を変えてキリスト教の手法を見てみましょうか。
フェーズ2.キリスト教の手法
【書籍】『眠られぬ夜のために』から学ぶ事
キリスト教世界からの文献は今回、キリスト教学に基づいた内容が当時の若者の心をめちゃくちゃ捉えたヒルティの名著『眠られぬ夜のために』を取り上げたいと思います。
この作品は、文字通り悶々として眠れないような夜での若者達へのアドバイスを最初の中のメッセージからわかりやすく記述した一冊です。
筆者も一回生のころに読んで、感銘を受けた作品の一つであります。ここでは、怒りについて次のように述べられていました。
【実践】日々の事情の処理を活用する。キリスト教的アプローチ
私は、この記述を観て、先ほど書いた点との類似点を指摘せずにはいられません。差し迫った事情の処理は、あなたの仕事やしたいことにしてしまえば、日常の怒りは捨てる事が出来るんだと述べていると私は思いました。
じゃあ、仕事の怒りはどうするかというと、こちらにおいてもやはり創作することをお勧めします。怒りから発するエネルギーの受け皿は多く持っておくべきではないでしょうか。私は、詩を書くことが一つの手段として持っております。
宇宙兄弟のアンディ宜しく『イワンのばか』というお話も知っているでしょうか。宮崎駿さんがお勧めしていて、読んだのですが。まっすぐな仕事や労働への気持ちが描かれた物語です。岩波少年文庫の一冊ですが、大人にこそ読んで貰いたいです。
他にもシェアしたいアイデアとしては
ランニング:走ると大抵の事は忘れてしまう。
創作:詩を書く、言葉を紡ぐのは入り易い、
楽器演奏:アコギで歌うのは非常に楽しいです。
映画:好きな映画の感想をnoteで書いてみる。
掃除:徹底的に部屋を掃除すること。
料理:野菜を刻むだけでも最高のリラックスだと個人的に思います。
このようなアイデアによって怒りからエネルギーを産み出すのはいかがでしょうか。
⭐️この章のまとめ
以上、こんな感じで両者あるみたいです。双方とも似ている気がしませんか。普遍的な教えはやはり住む場所が違っても伝わるのだと思います。じゃあ、これらのことから自分の考えを書いて、終えたいと思います。
⭐️怒りの鎮め方とは?
今回の仏教、そしてキリスト教文献から導き出された結論としては、次のようになりました。
瞬間的怒りの存在は認める。
ただ、そんな心より優先したいものを大切に。
皆さんのやりたい事って怒ることですかね。
そんな人は中々いないと思うんです。
怒るのは寧ろいいんですけど、やりたい事の中にそれがないならそれはやめましょう。次やるべき事に集中してみませんか。
今、書いてきた両者の思想の中では、仏教もキリスト教もどうしようもない怒りの存在は認めていると思うんです。それは、外せない事。
だけど、両者共に直接的なメッセージはないが、
その後どうするかの選択は自分にかかっている。
そんな気がしませんか。人生は、いつ終わるかはわからないが、終わる日までは続いていくんです。瞬間的衝動で大切なことを忘れる前に、一発怒ってあとはやりたいことへの集中へ立ち戻る事。怒ってもいいんです。ただ、それは眺める程度で流してきましょう。これが早ければ早いほど、やれることって増えてくと思いました。
これが私の結論です。
おわりに。怒りは持続しない。
今回は宗教学を学んできた私が考える「怒り」の鎮め方にフォーカスした記事を書きました。実際の仏教やキリスト教の教えを活かしながら日々の暮らしの参考になりそうな箇所を取り上げて考察しました。
結論は、瞬間はしょうがないけど、立ち戻る事。怒りは、しゃーない。けど、それが全てにならないよう皆さんの良い人生が続くことを祈念して、今回の記事を終えたいと思います。ありがとうございました。
〇参考資料
・ヒルティ著 ; 草間平作, 大和邦太郎訳(1973)『眠られぬ夜のために』第一部, 岩波書店.
けむり
よかったらコーヒーでも奢って下さい。