自分データを、信じてみる。
ただいま、と帰ると、
おかえり!と声がそろって返ってくる。
朝の子どもたちの賑やかなやりとり、
長男のごはんの食べっぷり、
三面鏡の中の大勢の自分に手を振る次男、
手ごわい寝ぐせなおしの手つだい、
行ってきます、という力強い長男の声、
振り返って大きく振る次男の手、
そのひとつひとつを、一歩離れたところから、少し冷静に見て、いいな、と思う。
いつも視覚に頼りすぎてしまうから…
玄関のドアを開けて踏み出したあと、目を閉じて息を大きく吸い、外のにおい、まぶたに当たる光、肌に触れる空気、聞こえる音を感じる。
それから目を開けると、今日も鮮やかな世界が広がっている。
こんなことを感じられるのは、とても、とても、とても、心に余裕のあるときの私。
これから、どうせまたすぐに気持ちばかり焦って無駄に悩んで、余裕のない日々になるんだし、と心のどこかで思う。
でも、だったら、だからこそ。
感じる余裕のあるときは、素直にかみしめればいい。
ちょっと浸るくらいでも、いいじゃん。笑
そうしないと損だと思う、今の心を無駄にしない。
5年日記、2月29日のページは、4年前の記録のみ。
ちょうどコロナ禍に入り、学校は休校になることが決まり、店は感染症対策ですっかり様変わりしたばかりの、あのとき。
"せっかく4年に一度しかない今日。暗くはしたくない、といつも以上にマスクの中はは笑顔で!とみんなに呼びかけてがんばった。"
そう、書かれていた。
この4年のあいだに、今冷静に考えると本当に信じ難いことばかりが起こり、それはもうはるか前のことのようにも思えたりして、不思議な気持ちになる。
コロナに関わらず、1年先のことなんてわからなくて、不安で、苦しくて。
あの途方に暮れるような日々も、今となっては決して無駄ではなかった、と思えることが確かにある。
あの日々があったからこそ、と思えることもあるし。
今こうして書きながら、思う。
人から言われたり、本で読んだり…でもそれ以上に、自分の経験から導き出されたことは、強い!
ちゃんと記録に残していると、なんとなく…じゃなくて統計的に(…というと味気ないような気もするけれど)、わかってくることもあるんだな、と気づいてハッとする。
自分の経験から得られたデータのようなもの、に今、自分で勇気づけられている。
がんばれそうな気がしてきた。
ほぼ日5年手帳、今日のページにはこんなことも書いてあって、すごくいい。
いつもどおりの1日だったけれど。
高カロリーを無視して久しぶりに食べたシナモンロールが、美味しかった。
3月になったらおやつを減らそう、と思っていたら、もう明日です…。
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