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2017年夏 モンゴルの思い出

「モンゴルに遊びに行かない?」
そう誘ってきた友人はモンゴルに夢を抱いているようだった。
小学生から仲良かった彼は「スーホーの白い馬」という教科書に載っている童話からモンゴルへのあこがれを募らせていた。馬頭琴を作る話である。
小学生からの憧れを今の今まで(当時21歳だった)と思うとともに、モンゴルは遠い世界に思えた。

私は、どこか遠くへ行きたかった。シベリア鉄道に乗ってロンドンまで行きたいと思っていたが、どうにも予算的に難しかったので、モンゴルからの帰りにシベリアに寄るという条件で、友人からの誘いを承諾した。

※なお、スーホーの白い馬は内モンゴルでの共産中国時代に作られた話のようだ。


モンゴルへの行き方

モンゴルへは、当時、成田からMIATモンゴル航空で往復するのが一番安かった。(現在はアエロモンゴリアか韓国系エアラインだろうか)ただ、往復10万円は下らなかったので、貧乏な大学生には難しかった。
そこで、当時、東京に住んでいたが、地元の中部国際空港から中国LCCの春秋航空で中国・呼和浩特(フフホト)まで飛ぶことにした。手荷物を預けて片道2万円ほどとかなり安かった。
呼和浩特からはモンゴルまで鉄路で行くことに決め、中蒙国境の二連(中国側)までの寝台列車はCtrip(Trip.com)で予約をしておいた。
帰りはイルクーツクから東京までの航空券を決め打ちで予約しておいた。
後の行程は、情報もなかったので現地で決めることにした。

モンゴルでの予定

参考になるものは地球の歩き方と旅人のブログだった。
私たちは、陸路で入る予定だったので、中蒙国境のザミンウードからサインシャンドという町に向かい、そこでゴビ砂漠を見た後に、寝台列車でウランバートルへ。ウランバートルでツアーを探して、ゲルに泊まったり、乗馬したいと思っていた。ツアーは250ドルから400ドルくらいのようだった。
そのあとに、イルクーツクへ向かう国際列車に乗り、ロシアに抜ける予定だった。もちろん、その切符も現地で予約しなければならない。
ともかく、不安定な旅だった。ロシア・ウクライナや台湾など、先進国をしか旅したことがなかった私にとって、本当に行けるのか不安ではあった。
ただ、多くの旅人が旅行記を残してくれていたので、大まかな時刻表や値段は分かっていたのが救いだった。私も数年遅れで書き残す理由だ。(もう参考にならないと思うが)

内モンゴルへ

春秋航空だ

8月初旬、中部国際空港から春秋航空に乗り込んだ。呼和浩特まで直行するかと思いきや石家庄を経由する経由便だった。セントレアでは一時間以上離陸せず滑走路に留まっていて、呼和浩特に到着したのは定刻より一時間遅れた15時頃だった。荷物受取所で日本語で話していると、一人の現地人から「あなたたちはどこへ行くの?」と話しかけられた。「モンゴルです」と答えると、「もうここはモンゴルよ」と言った。
私ははっとして「モンゴル国へ行くのです」というと、彼女は「外モンゴルね」と繰り返した。そう呼和浩特は中国といえど、内モンゴル自治区だった。私たちはすでにモンゴルに到着していたのだ。浅学さを恥じた。

呼和浩特空港。モンゴル語は縦書きだ。
呼和浩特の街

呼和浩特は確かにモンゴルだった。中国は満州と上海にしか行ったことがなかったが、ここは中国語のほかにモンゴル語が併記されていた。よく考えると中国元札にもモンゴル語が書かれている。
私たちは、切符を引き換えた後、ご飯を食べたり、マックへ行ったり、メイソウのようなムムソウを冷やかしたりして、涼しい内モンゴルの夜を楽しんだ。

寝台列車に乗る

呼和浩特からは寝台列車に乗った。個室寝台・軟臥車を予約していたので快適だった。
朝起きると、砂漠の中を走っていた。最高の景色が広がっていた。

砂漠が広がっていた

二連→サインシャンド

二連のバスターミナルでモンゴル方面の時刻表を見ると10時発のウランバートル行のバスがあった。途中までは買えなかったから、ウランバートルまでの切符を買って、サインシャンドで下ろしてもらうことにした。180元(3000円)だった。

初めてのバスでの国境越え経験だった

バスでの国境越えは初めてだった。まず、中国側で荷物検査・出国審査をした後にバスに乗り、モンゴル側へ。緩衝地帯を越えて、モンゴル側に入ると、もう一度手荷物検査と入国審査がある。この面倒な手続きには三時間程度かかった。我々は少数派で、貨物トラックが多いようだった。

モンゴル国に入ってしまえば、バスはすんなりと走る。サインシャンドまでは2時間程度だった。

モンゴル国の旅

サインシャンド

サインシャンドの街並み

サインシャンドは砂漠の街だった。国道沿いの何もない場所で下ろされた私たちは、しばらく絶望していたが、幸い鉄道駅の近くだったので、銀行を探して両替をした。米ドルからの両替である。
そのあと、タクシーでSIMカードを買いに、携帯会社に行くと、なんと日本語の話せるモンゴル人がいた。地獄に仏とはこのこと。SIMを契約した後、翌日のタクシーを貸し切れないか相談すると、すぐに予約してくださり、泊まるのは隣のホテルがいいと教えてくれた。そのLUX HOTELに泊まった。

サインシャンドの町

サインシャンドでは山の上にある公園でオボーを見た後に、近くのホテルのレストランで食事をした。西洋料理もあったが、せっかくなのでモンゴル料理にした。翌日からはモンゴル料理しか食べなかったのでこの時は西洋料理を食べるべきだったと後悔した。

オボー

日帰りタクシーツアー

朝5時にタクシーを予約していた。早朝4:50、私のスマホが鳴る。タクシーの運転手からの電話だった。何かをモンゴル語で話す彼の言葉は全くわからなかった。ロシア語を話せば通じるのでは?と思った私は「今、部屋にいて、直ぐに向かう」と拙いロシア語で言うと、彼も「ダー(わかった)」と拙いロシア語で返してくれた。かくして、運転手とは片言のロシア語で会話をすることになる。
運転手に連れられ、眠い目をこすりながら、いくつかの場所を回った。まずは、ご来光を見るべくエネルギーセンターという場所へ。どうやら、有名な場所のようで、多くの観光客が、ご来光を待っていた。隣には、モスクワのホテルコスモス(有名なホテルである)で働いていたというお兄さんがいて、ロシア語と英語のちゃんぽんで会話をしていたら、日は上ってしまった。

ご来光

それから、モンゴル寺院へ行った後に、ゲルに連れられて昼食を食べた。麺に肉と野菜が盛られた焼きそばのような料理であったが、あまり口には合わなかった。羊肉のにおいが強すぎた。

昼食

地球の丘という場所では、山に登り、ゴビ砂漠を見下ろした。砂漠はどこまでも続いていて、遠くの丘が手に届くような近場に見えた。もちろん錯覚で、下を走る車は米粒のようで遅々として進まなかった。モンゴルに来たのだと思った。

地球の丘

寝台列車でウランバートルへ

ツアーは13時くらいに終わって、駅(バグザール)でウランバートルまでの切符を買って、ホテルで昼寝をしてから、夜行列車に乗った。

寝台列車の旅だ

寝台列車で約12時間。我々の乗った二等寝台の料金は5万トゥグリグ程(2500円程度)と割安だった。
旧ソ連製の客車で二等車(ロシア鉄道のクペーと同じ)は4人個室で、我々二人しかいなかった。この客車はサモワール(給湯器)も薪で焚くタイプで相当古い客車だった。もちろん、チャイを入れてもらう。(切符を見返すとチャイは900トゥグリグなので40円程度)

サモワール
ソ連の鉄道の旅に欠かせない、チャイだ

サインシャンドを出るとすぐに、暗闇の砂漠を走り始めた。部屋の明かりを消すと、窓の外には満天の星空が見える。光のない砂漠から見る星空は、日本一と名高い、阿智村浪合(私の郷里、恵那の隣である)よりも綺麗だった。

星空

途中駅では、外に出て星空と客車を眺めた。駅の光があるため、うまく写真には写らないが、目を凝らすと星が見える。銀河鉄道のようだ、と思った。

途中駅停車中

首都・ウランバートル

ウランバートル駅だ

サインシャンドからの列車は朝8時にウランバートルに到着した。ここは、モンゴル国の首都である。大都会かと思いきや、ロシアの地方都市のようであった。まずは出国の切符を買った。我々の帰国の航空券はイルクーツクから始まるので、ロシアに出国しなければならない。第一希望はモスクワ行きの速達列車だったが満席だったので、7日後のウランバートル行きの切符を買った。2等車で13万8850トゥグリグ(約6,900円)だった。これで我々のモンゴルでの時間はあと7日となった。

ウランバートルではツアー探しに必死でガンダン寺しか観光していない

モンゴルではゲルに宿泊をしたり、乗馬をしたいと思っていた。その希望を叶えるには、自分であれこれ手配をするのではなく、ツアー会社で契約をして、ツアーに参加するのが一番良い方法のようだった。もちろん、日本から手配することもできたのだが、かなり高額だったので、現地で探すことにした。数々のブログを読んで、数か所のバックパッカー宿がツアーを主催していることが分かったので、回ることにした。回ったのは三ケ所のゲストハウスだった。期間が長かったり(アレンジできない)、値段が高かったりと、希望に合わず、最後に向かったGOLDEN GOBI HOSTELでは、5日間のツアーが300ドルとリーズナブルな値段かつ、明日からという条件にも応えてくれることがわかり、早速契約をした。クレカ払いだと5%のコミッションを取るのが、少々癪に障ったが、これでモンゴル体験ができるぞと安心した。
そのあと、スーパーマーケットでツアーに必要そうな食料を買い足して、夜ご飯はフードコートでラーメンを食べた。文明的な暮らしは最終日だと思ったからだ。

ラーメンを食べた

中央モンゴルツアー・6日間

いよいよ楽しみにしていたモンゴルツアーが始まった。オギという名前の韓国語の話せる運転手がヒュンダイのオデッセイみたいな車でやって来た。
これから始まるモンゴルツアーは驚くことばかりであった。私たちのモンゴル感をすべて変えてしまった。
ツアーは10時ごろ始まって、車は東に向かって走り始める。舗装道路を走り、昼ご飯はドライブインにようなところで食べた。グリャーシュというカレーのような料理だった。その後、走り続けていると、車が故障した。モンゴルでは運転免許は修理ができないと取れないんだと話すオギはすぐに修理を始めた。
そこは草原の中だった。モンゴルの草原に憧れていた私たちは早速、写真を撮り始めた。するとあることに気が付く。美しいと思っていた草原には羊や馬の糞が至る所に転がっていた。足の踏み場に気を付けないと、踏んでしまう。現実は理想からほど遠いと思い知った瞬間であった。

モンゴルの草原だ

修理が終わり、走り始めると、途中で脇道へ逸れて、草原の中のゲルに着いた。
ここではラクダに乗るようだった。早速、ラクダの背に載せられ、ゆっくりと揺られて行く。ラクダの背は案外座りやすいが、股が痛くなる。10分くらい経つと、砂漠にたどり着いた。砂漠というか、日本人が砂漠と思い描くような砂丘のような砂漠である。

ラクダに乗った
日本と書いてくれた

帰ってからはゲルに入って、のんびりしていた。発電機しかないこのゲルでは携帯の電波も繋がらない。格子の向こうにある草原を眺めていた。

ゲルの暮らし

どうやらこのゲルに今日泊まることが分かったので、すぐ先にあるように見える小高い丘の上まで歩くことにした。上って振り返ると絶景が広がっていた。彼方の山の手前まで続く草原。美しく輝く草原だった。なんと素晴らしい景色だろうと思った。

絶景だった

他のゲルにはにフランス人のグループも泊まっていて、ゲルの子供姉妹と一緒に遊んだ。日が落ちてからは、夜ご飯を食べて、外で星空を見た。トイレは穴を掘っただけの小屋だったが、夢にまで見た草原の暮らしは楽しかった。

草原の夕方
星空
ゲルで迎えた朝

翌日からも草原を走り、景勝地に行ったり、馬に乗ったりした。移動は草原を走るのでかなり揺れて疲れるし、草原は寒く、夏なのに暖房をつけるほど寒かった。乗馬も40キロくらいで走り始め、人生で初めての乗馬で落馬するかと思った。江戸時代の侍はすごかったのだなと切に思った。ある昼ご飯は、御馳走という羊の胃腸が出てきて、苦しい思いをして食べ切った後に、車座になりウォトカが回ってくる。どうやら、回し飲みの習慣があるようで、一つの丼ぶりにウォトカが注がれる。友人はお酒が飲めないので断ると、空気が険しくなる。仕方がないので、私が飲み干すと、空気が和んだ。それが終わると皆、車に乗って帰っていった。幼児もお酒を飲む国なので、草原には飲酒運転の概念がないのだろう。

馬にも乗った
草原
ある日の夕ご飯
草原を走る
ゲル

東京で暮らしていた私にとって、空調のないゲルで過ごし、水洗トイレもシャワーもなく、食事も口に合わない羊肉を食べながら過ごす日々は苦しいものであった。段々無くなりつつあるモバイルバッテリーを見ながら、早く先進国のロシアに行きたいと思った。
それでも、憎いほどに景色は美しかった。羊飼いのゲルでは、今日締める羊を取った。長い棒の先に丸い紐のついている、刺股のような道具を使って、羊を追いかけていく。羊も分っているから必死に逃げる。お前は向こうから走れ!と言われて、羊を追いかける。追い詰められた羊を友人が捕まえた。日が沈む直前のその景色は忘れられない。その夜、君達が食べていた羊はこうやって締めるんだ、と捌く様子を見た。
6日目には、カラコルム寺院を見学してから、ウランバートルへ戻った。

羊飼いの夕方
カラコルム寺院①
カラコルム寺院②

シベリア鉄道でモンゴル出国

ロシア鉄道の客車

ウランバートルから、ロシア鉄道の客車に乗って、イルクーツクへ向かった。同室の人は、子供がモスクワの大学に在籍するというモンゴル人家族だった。どうやら、新学期に合わせ、休暇でモスクワへ旅行するようだった。全員ロシア語を解する比較的階級の高い家族で安心した。友人とは別の部屋だった。

モンゴル国鉄のマーク
草原を走る
ホーショール
寝台列車ののんびりした空間が好きだ

その家族に貰ったホーショールをチャイに浸して食べながら、モンゴル国での日々を振り返った。草原での暮らしは、確かに思い描いてたものであった。しかし、文明的な国(ロシア、2022年以降の蛮行は考慮しない)での旅を楽しみにしている自分もいる事実があった。
ともかく、翌日にはモンゴル国を出国してロシアに入った。イルクーツクまでの35時間、ゲルの暮らしより快適だなと思った。

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