見出し画像

わたしの愛するマリーアントワネットが処刑されないためにはどうすればいいか、めちゃくちゃ真剣に考えてみた話

ある日、いつものようにXのタイムラインを眺めていたら、こんな投稿が目に入った。

この本自体は「長期主義」という、世界を数万年、数億年と長期的なスパンで見ようとする思想に関する本、らしい。

この本の主題にも興味を惹かれたが(しっかりほしいものリスト入りしている)、それ以上に気になったのが「これまでに生まれてきた全員の人生を生きるとしたら」という発想だ。

この本にも書かれている通りごく一部でしかないにしても、教科書や歴史書に出てくるような歴史上の人物になれる。しかも本人にもなれるし、友人や家族、パートナーにもなれる。なにそれ、さいっこーーーーーに楽しそう。

この投稿を見てから、何をしたいかをいろいろ考えた。ロベスピエールやダントンになってフランス革命に参加したいし、ジャン=マリー・ロランになってロラン夫人と内務大臣まで登り詰めたいし、ルイ14世になって「朕は国家」気分も味わってみたいし、古代ギリシャの市民になって、労働せずにただ本を読んだり哲学的なことを考えたりもしたい。

でも一番したいのは、マリーアントワネットとルイ16世(以下、マリーとルイと呼びます)、そしてその子どもたちを救うことだった。

でも一方でわたしは革命家になりたいくらいフランス革命が好きだし、フランス革命が生んだ、自由を大事する思想を愛しに愛してるから、革命を潰すことは絶対にしたくない。あと自分がマリーやルイになるのも、それはもうわたしの助けたい王家ではないからナシ。ルイやマリー以外の誰かになって、革命を生き永らえさせながら、彼らを救いたい。

かくして、マリーとルイ一家を救うための、わたしの脳内タイムスリップがはじまった。

どうしたら救えるかを考えるにあたっていくつかの文献を読んだのだが、「救う方法を見つけないといけない!」と思って読むと、ただ知ろうと思ってより深く本の内容を理解できた気がして楽しかった。そして、歴史の運命に抗うことの難しさを改めて感じられたのもよかった。


なぜルイやマリーは死ぬ羽目になったのか。

そもそも、なぜふたりは死ぬ羽目になったのか。ざっくりふたりの人生や革命の流れを振り返りたい。

ルイは1754年に時のフランス王太子であるルイ・フェルディナンの三男として、マリーは1755年に、ヨーロッパ随一の大国ハプスブルク帝国の皇女として生まれる。

ルイの父親は、ルイ15世の息子であり、王太子とあるように、ルイ15世の崩御後は本来なら彼が王になるはずだった。しかし、1765年に父が亡くなってしまう。1761年には兄も結核で亡くなっていたため、繰り上がりで王太子となった。

こうした経緯もあって、ルイは王になってからも「本来王になるはずではない人間なのに」とコンプレックスを持っていたらしい。

そうして王太子となったルイに、マリーアントワネットとの縁談が持ち上がる。当時犬猿の仲だったオーストリア・ハプスブルクとフランスが手を結ぶための縁談だった。The政略結婚!

ちなみに本来、マリーアントワネットの姉であるマリア・カロリーナが嫁ぐ予定だったのだが、ナポリ王と婚約していたマリア・ヨーゼファが亡くなったため、マリア・カロリーナがナポリ王と結婚することとなり、マリーアントワネットが嫁ぐことになった。ルイもマリーも家族が死んだことによって繰り上がり。この話をするたび毎回、医療技術の差を感じる。

こうして繰り上がりカップルが誕生したものの、寡黙で内気で錠前作りが好きで、おそらく今でいうおたく気質のルイと、明るくてお喋りや派手なものが好きでThe陽キャのマリーの結婚がうまくいくわけもない。

このストレスを晴らすためかマリーは仮面舞踏会をしたり賭博をしたり遊びまくり。その話が民衆の耳にも入り、「贅沢好きであばずれのオーストリア女」として嫌われまくる。

マリーの遊んだお金なんて国家予算からしたらはした金だし、経済回すのも着飾るのも仕事みたいなもんなのにかわいそう。もともと敵国みたいなところから来てるし、それも嫌われる要因ではあったと思うけど。

1774年、祖父であるルイ15世が崩御し、いよいよルイが王になる。派手なイメージしかないマリーに対して、素朴で善良なイメージのルイは、民衆に人気があった。

しかし、イギリスに対抗するために、アメリカ独立戦争に参戦したことによる戦費などで、フランスの財政は火の車だった。先王も戦争してたしその積み重ねもあり、マリーアントワネットが贅沢しようがしまいが関係なくやばかった。戦争は贅沢よりもずっとお金がかかる。

財政問題を解決するために上がる税金。その上に火山の噴火の影響で小麦の不作となり、街にはパンがなかった。こうした状況に民衆がキレ、1789年7月14日、革命が勃発。

革命以後、憲法を承認したり、民衆の要求に応えて一家でヴェルサイユからパリのテュイルリー宮に移動したりと、王家は革命を受け入れているように見えた。

でも「王権は神に授けられたもの」と小さい頃から教えられてきた人間にそんなことが許容できるはずがなかった。

1791年6月20日「革命なんてクソ!憲法も新しい法律もパリ移動もほんとは全部いやだった!!」というような文書を残し、ルイは一家で逃亡する。教科書でも(たしか)習うヴァレンヌ逃亡事件だ。

でもルイだったら革命いやなのめちゃくちゃわかるし、ルイが言ったとされてる「国民に自由を与えたというのに、私自身に自由がまったくないというのは驚くべきことである」とか、それな!すぎる。革命は起きるべきだったし支持してるけどルイかわいそう。

閑話休題。この逃亡により、ルイの好感度はガタ落ち。国王が国を裏切った!と嫌われまくった。逃亡が発覚した次の日には、これまでは家に貼られてたルイの肖像画が溝に捨てられてたらしい。革命起きたあとも「寡黙で控えめで善良な王」ってイメージだったのに、「豚」「愚鈍」「のろま」とか罵られれ始めたという話も。手のひら返しがすごすぎて、キラキラスーパーアイドルだと思ってた推しが匂わせ女と付き合ってることが発覚してブチギレるおたくみたい。

ルイの逃亡以前から、「ルイがいつか革命に敵対する外国勢力に誘拐されるんじゃないか」とか「誰かの陰謀で革命が潰されるんじゃないか」とか「外国が攻めてくるんじゃないか」といった、恐怖心が革命家や市民たちのなかに生まれていた。この恐怖心や猜疑心が爆発し、革命は先鋭化していく。

そして1792年8月10日に王権が停止。国王一家はタンプル塔へ幽閉される。そして1793年1月に国王裁判が行われ、その結果ルイの死刑が確定。1793年1月21日に執行された。

ちなみに当たり前にギロチンで死んでるんですが、ギロチンの歯を斜めにするよう助言したのはルイなんですよ。なんてアイロニカル。

約9ヶ月後の1793年10月16日には、マリーも断頭台の露と消える。最期の言葉は死刑執行人の足を踏んでしまって言った「Pardonnez-moi, monsieur. Je ne l'ai pas fait exprès.(赦してくださいね、わざとではありませんのよ)」だとされている。エレガントすぎてすき……

その後、逃亡や幽閉までともに過ごしたルイの妹エリザベートもギロチンにて処刑。

マリーとルイには革命が起きたタイミングでは子どもがふたりいたが、王太子のルイ・シャルルは幽閉された末に虐待などを受けた末、10歳で病死。

長女のマリー・テレーズだけが長い幽閉生活の末に革命を生き伸びた。

案①ルイの死刑判決を回避する

さて、どうすれば革命を潰すことはせず、国王一家を助けることができるのか。

一番わかりやすいのは、国王裁判での死刑判決を回避すること。さすがにいくらマリーが嫌われてても、王が殺されてないのに王妃だけ殺されるとかない、はず。ないと信じたい(でもないって言いきれない嫌われっぷりでこわいしかなしい)。

ルイの処遇は満場一致で死刑と決まったわけではなくて、穏便な形に収めようとしていた派閥もあった。でもサン・ジュストという革命家が「共和国においては、王のした行動ではなく、王が存在したことそのものが罪だ」と主張したことがきっかけとなり、極刑を望む形に議論が傾き、死刑となった。

だからサン・ジュストの演説がなければもしかすると死刑にはならなかったかもしれないけど、サン・ジュストのことも好きだから演説はめちゃくちゃしてほしい。それに誰になって何をすれば議論を追放とか穏便な方向に導けるのか知識も能力もなさすぎてわからない。めちゃくちゃ賢い人たちにむりだったのに自分にできる気しなさすぎ。

あと革命にあんまり直接的に介入したくない。国王一家を救おうとしてる時点でめちゃくちゃ介入してるといえばそうだけど。

ということで、国王裁判での死刑判決を回避するのは無理だと判断した。

案②逃亡を成功させる

ではもっと前、ルイが決定的に国民からの信頼や愛情を失うことになった逃亡事件の結果を変えるのはどうだろう。

この逃亡は、国王一家(ルイ、マリー、ふたりの子ども、王妹)と子どもの教育係、護衛などを含めて11人での旅だった。

逃亡を計画して指揮したのはブイエ将軍と、マリーの恋人のハンス・アクセル・フォン・フェルセン。

ふたりがすごく緻密に計画を立ててたのに、さまざまな事情やルイの優柔不断さから本来逃亡するはずだった日からどんどん日にちが伸びたり、馬車が派手すぎて注目されたり、呑気に顔も隠さず旅行気分で楽しんだり、時間通りに軍隊の待つ場所に到着できなかったりしたせいで、市民に逃亡がバレて失敗。危機感なさすぎてほんとすごい。これが王家の余裕なのかな?

しかもフェルセンもブイエも早く国境にたどり着けるように小型の馬車で分散した方がいいって言ってたのに、ルイもマリーも「家族みんな一緒がいい!」って言ってみんなで大型の馬車で行くことに。ちゃんと分散して逃亡した王の弟は成功してるのに。なんかこういう周りは危機感ヤバいのに当の本人はゆるゆるなことってありますよね。人間の挙動不思議。

これはほんとなにかひとつでも違ってれば逃亡自体はうまくいったはず。逃亡が一日伸びなければ、馬車を分けていれば、もっと真剣に急いで逃亡に専念してれば、とか。無限に考えられる。こういうことをすべて知った状態で関係者の誰かになって成功させるのは、きっと難しくないはず。

でも逃亡が成功したら、ルイもマリーもほぼ絶対に革命を潰すために、マリーの実家ハプスブルク家から軍隊を送るだろう。そしたら本来の歴史より約1年早く、外国との戦争が早く始まることになる。

国内だっていろいろぐちゃぐちゃでまとまってないのに、その上に戦争。正史ではフランス軍の士気の高さとかナポレオンの登場とかのおかげで勝っているけど、1年早く起きちゃうと勝てるかわからない。

ここで負けちゃうと革命が潰れそうだから絶対だめだ!と思うと気軽に逃亡を成功させられない。革命を考慮しなければできるかもしれないが、革命は革命で成功してほしい、絶対に。

ということで、逃亡を成功させる案もボツ。

いや、無理ゲーすぎ

これ、革命起こして、かつそれを阻害しない形で王家を救うのむりじゃない?

もう嘘でいいから革命を受け入れたフリをして立憲王政の道を探るか、王を一旦やめた上で、歴史の通りに革命を経て皇帝になったナポレオンが没落し、王政が復古するのを待つしかなかったんじゃないかと思えてきた。わたしはフランスは共和政でこそだと思ってるし革命も今のフランスも大好きなので、後者を押したい。

でも、「私を統治者として選んでくださったこと、それは神の賜物であると私にはわかっている」と言ってるくらい、王権は神に与えられたものって心から信じてる価値観の人たちに革命をやり過ごすとか絶対むりだ!!そもそもむりだから逃亡したんだった!!!

なんというか、王になった時点でもう死ぬことが決まっているように思えてくる。

教育係になって子どものうちから価値観を変容させるか?と思ったけどそれもあの時代の君主になるであろう者への教育って思うとむずかしい。それにそんなことをしたらルイがルイでなくなるし、マリーもマリーではなくなる。やだ。だめだ。

やっぱ、歴史上の誰にでもなれるなんてチートを使ったところで、たった1人の力で歴史の強大な流れに抗うなんて何をしたってできないのかも。

と結論づけようとしたところで思わぬアイデアが降ってきた。

フランス革命の勃発から遡ること15年前。ルイの祖父であり当時の王であったルイ15世が亡くなった。死因は天然痘。これによりルイは国王となり、そして最終的に断頭台の露となる。

あれ?ルイ15世(ルイだらけでややこしいので以下おじいさまで!)が天然痘にならずに元気で生きてれば、ルイは王にならないから革命起きても死ななかったんじゃない!?おじいさまになればいいんだ!

おじいさまは64歳で亡くなっているので、革命が起きた年には生きていれば79歳。復古王政がはじまる1824年で104歳だ。

100歳を過ぎて元気な方もたくさんいるので、復古王政まで生きることも、当時の状況はともかく人間の体としては不可能ではない。

天然痘を回避して健康的な生活をすれば、少なくとも革命が起きたあとに、ルイたちが亡命するまではどうにか王でいられる可能性は高そうだ。

ということで、おじいさまになって頑張って健康に王をやって、64歳の時に天然痘にならないように徹底防御する。

患者からの空気感染や飛沫感染のほか、患者の皮膚病変との接触やウイルスに汚染された患者の衣類や寝具などへの接触が感染源らしいので、その時期はできる限り人と接触せずに手袋をして過ごすとか……?

で、乗り切れたらできる限りの健康的な生活をして王位についたまま革命を迎えたい。そしてルイ一家を逃がす。最悪ギロチンにかけられても、もはや革命時点で79なわけだし、そこまで生きたらもう天寿みたいなものとして、受け入れられる気がする。そしてルイにバトンタッチ。完璧だ。

ということで、歴史上の人物になれるとしたら、わたしはルイ15世になって革命まで元気に生きて、ルイやマリーアントワネットを助けたいです。みなさんは誰になってなにがしたいですか?


<参考文献>
『王の逃亡 フランス革命を変えた夏』ティモシー・タケット/白水社
『フランス革命史 自由か死か』ピーター・マクフィー/白水社

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?