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ジャック・ラカンの本を読んだら、まったく歯が立たなくて笑えてきた

いや、もはや読んだと言えない気がする。100ページ弱ある本と向き合ったのは事実だけれど、胸を張って読んだとは言えない。完全に負けた。

その本、ジャック・ラカンの『テレヴィジオン』を読んだのは、友人である脱輪さんのこのツイートがきっかけだった。

「お茶代」とはわたしが参加している文学サークルであり、脱輪さんはその主催者だ。

このツイートを見て、「たった1行すら理解できずだんだんイライラしてきて」ってどういうことだ?という好奇心から非常に興味を持った。フランス好きとして、フランスの哲学者であるラカンにもともと関心があったこともその興味を後押しした。

そして、まだラカンのなかではわかりやすいと教えてもらった『テレヴィジオン』に手を出すことにしたのだ。

『テレヴィジオン』は、ラカンがテレビ出演し、弟子であるジャック=アラン・ミレールの質問に答えた様子を書籍化したもの。テレビということもありいつもより噛み砕いて話しているため、彼の書いた著作よりはわかりやすい、らしい。

で、いざ読んでみたものの、想像の100倍くらい何を言っているのか分からなかった。一応これまで難しめの本も読んできたけど、そのなかでも随一に難しかった。難しいというか意味がわからない。「日本語?これ」みたいな。いや、たしかに日本語なのだけれど。一つひとつの単語の意味はちゃんとわかるのに、文になったら意味不明というめちゃくちゃ面白い体験をした。

専門家には読みとけるのだろうし、歴史的、哲学的には価値のある本だということはわかるけれど、この分野の初学者のわたしにはまったくもって理解できなかった。全然だめだった。

どのくらい意味がわからなかったかを伝えるために、わからなさをレベル分けした。いくつか引用したい。

レベル1:まあわかる

散策は、白痴たちがわたしを理解できるように話そう、という考えのなかにあります。こういう考えは、わたしにはきわめて不自然に感じられるものであって、人から提案される以外にはなかったものです。それは友情からでしたが、危険なことです。

ジャック・ラカン『テレヴィジオン』p12/講談社

これって多分、「白痴たちが理解できるように話そうとするなんて、不自然だし、自分からは絶対しないことだ!友情から提案してくれた人もいたけど、そんな姿勢は危険だよ」みたいな話ですよね。なんでそれをこんなにわかりにくく言えるの???わかりやすく話そうとしてないどころか、わざとわかりにくくしてませんか?と言いたくなる。すごい。

でもまだ理解できたし、「こういう考えの人だから本もわかりづらいしテレビで話した内容すら意味がわからないんだ!!なるほど!!!それは仕方ないわ」と思えた一節でした。

レベル2:わからないけど、わかりそう(な気はする)

ここで余談ですが、無意識は、人がそれを聴いているということを前提としているのでしょうか。私の考えでは、然りです。

ジャック・ラカン『テレヴィジオン』p34/講談社

「無意識は人がそれを感じているってことを前提として存在している」ってラカンは考えているんだろうなと解釈しました。それ無意識じゃなくない?と言いたい気もするけど、まず他のところが意味わからなさすぎて理解できなかったし精神分析的な知識もないから、この解釈が正しいのかはわかりません。でもそういう知識があればちゃんと解釈できそう、今はよくわかんないけど。

レベル3:まじでわからない

それは、おなじく括弧つきの《協会》のなかで、パスがなくて苦しんでいる分析家たちの出発を助けてやることになるのです。パスについてなにひとつ知ろうとしない協会は、その欠如を階級づけの手続きによって補塡しており、このすこぶるエレガントな手続きは、実践においてではなく、人間関係において、より巧妙さを発揮する人たちがそこに居座るためのものなのです。

ジャック・ラカン『テレヴィジオン』p22/講談社

意味がわからなさすぎる!!ウケる!!!なんのこと話してるのかわからない!!!!ていうかレベル分けしたけどどれも同じくらい意味がわからない気がしてきました。あれ?意味がわからないってなんだろう(錯乱)

でもnoteにラカンの文章を書き写していたらただ読んでた時より理解できてる気がする。書くってすごい。

思ったこと

まずここまでわかりにくいものを書けるの逆にものすごい才能な気がする。いや実際にすごい方なんですけど。メンタルが強い。「わからないやつは知らない」みたいなサービス精神と真逆の思想をひしひしと感じる。

でも、わかりやすくすることは物事の厳密性とか実像を削ぎ落とすことでもあるなあとも思うので、ちょっとこの姿勢はいいなと思ったりもした。わたしにはできないけど。わかりにくいとか言われるの怖くて、絶対わかりやすいように書き直したりしちゃうし、その意味でもラカンはすごい。

とはいえ、それにしたって普通に思ったままを発信したとして、ここまでわかりづらくならなくない??どういうこと??とも思ってしまう、ほんとにわからない。わたしは普段から単純なことしか考えてないから絶対こんなことにならないし、頭のいい人はすごい。何をどう考えてこのアウトプットに至ったのか脳を覗きたい。脳の中なんてもっとわからない気もするけど。

こんなにわからないのはもしかすると翻訳だからなのでは?と思ってラカンについてフランス人の友人に聞いてみたが、やはり原語で読んでも難しいとのことだった。「『テレヴィジオン』を読んだ」と言うと、「君は勇気があるね……」と言われたほどだ。

わからなさすぎてムカつくので、ある程度精神分析勉強していつかまた読みたい。今は硬すぎる煎餅に歯すら立てられなかったけど、バリバリ食べるのは無理としてもせめて一口くらいはかじってやりたい。

ちなみにこの本は100ページほどあるけれど、わたしの引用が序盤に偏っていることからもわかるようにしっかり挫折した。というか、最後まで目は通したけど、途中からは本に振られているフランス語のルビを主に追い、そのフランス語の単語のスペルを思い浮かべたり知らない単語であれば辞書で調べて単語帳に入れたりしていた。もはやただのフランス語教材。

喋ってる言葉なのに、今まで読んだものでトップクラスに意味がわからなかったこの本だったけど、読んでよかったこともあった。この本を読んだあとに、「ちょっとわかりづらいな〜」と挫折しかかっていた本を読むと、相対的にめちゃくちゃわかりやすい気がして、そのおかげで最後まで読むことができた。

「日本語なのに意味がわからなくてやばい!!」という変な体験をしたい人と、今読んでる本が難しくてちょっと進捗が悪い人と、精神分析やジャック・ラカンについて知りたい人には(たぶん)おすすめの本です。ぜひ。

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