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自堕落な「人間失格」女子が、どうにか得意を見つけ社会と繋がり、ライターとして独立するまでの7年の話

ライターの仕事をやりはじめて、3年が経つ。昨年からはフリーランスにもなって、スタートアップに関する記事を書いたり、いつかやってみたかった雑誌の仕事をしたり、経営者の発信サポートに関わらせてもらうことになったり、とても楽しく仕事ができている。

仕事内容だけじゃなくて、働き方も最高。仕事をする場所も、時間も、相手も自分で決められるのは快適で仕方がない。決めるのもやるのも責任取るのも自分。単純明快だし一人は楽だし、本当に自分に合ってる。自由が大好きで、社内政治とか根回しも多分嫌いで、自分のことを自分で自由に決められないのが本当に嫌いなわたしにとって、フリーランス以上に満足できる働き方なんてない気がするくらいだ。

こんな感じで、「今のところはこれより自分に合うものはないだろう」と思える程度には理想の働き方を実現できているわたしだが、キャリアの始まりは散々だった。「わたしごときがこんな風になれてんの嘘みたいだしどっかに落とし穴ありそう」と今も思うし、大学を卒業したばかりの自分に「こうなるよ〜」と言っても絶対に信じてもらえなさそうである。

ライターになって3年という節目を迎えたし、この前29歳になって20代の終わりも見えてきたことだし、この辺で、2社で働いたのちにフリーライターとなった自分のこれまでのキャリアを振り返ってみることにした。

新卒カードでフリーターときどきニートになる

わたしが大学を卒業したのは2017年3月。でも実を言うと卒業後にすぐに就職したわけではなかった。就活はしていたし大手に内定も貰っていたけど、社会人になることが決まって急に人生に絶望した。

休憩を入れると1日最低9時間×週5日会社に行かなきゃいけなくて、めちゃくちゃ自由がなくなるのに、もらえるお金は「家賃とか生活費引いたら全然遊べないじゃん」と思うような額で、全然いい未来が見えなくて、なんかもう全部が嫌になってしまった。大学時代は、バイトして稼いだ月10-15くらいを全部美容や服、コンサートなど自由に使ってたから余計絶望したのだと思う。

で、その絶望のあまり就職するのをやめて、卒業して1年ちょっとはガールズバーで働いたり歯科助手したり、ホストと付き合って人のお金でピザを食べながら『人間失格』などの本を読み耽ったりしていた。

でも卒業して1年経って、急に危機感が芽生え始めた。就職を放棄して以後、「どうせそんないいことないし適当なタイミングで死のう〜〜」と考えていたのだが、急に死ねる気がしなくなったからだ。わたしは昔から「死ぬのはいいけど自我がなくなるのこわすぎ!」とよく思っていた。夜眠れなくなったこともあったし、いまだにしょっちゅうこのことを考えて寝れなくなってる。

それなのに神を完全に信じることもできてないし自我がなくならないと確信することもできていない以上、絶対途中で「このまま無になったらどうしよう、それこそ死ぬ」とか思ってビビって死ねないだろうなと急に気づいた。

でもビビってそのまま生き続けるとしたら、歳をとるごとに夜職もできなくなるしいよいよどん詰まりで最悪じゃない?とか思って、自分が死ねなかった時のために、ちゃんと働いて年を取ってもすり減らない価値を自分につけることにした。

尋常じゃなく向いてなかった営業の仕事

ちゃんと就職した同級生たちからはすでに1年遅れを取っているので、ゴリゴリに力をつけないとやばい!と思って、力のつきそうな無形商材の営業に絞って二回目の就活を開始。

そして2018年夏、内定をもらえた、社員10人くらいの大阪の求人広告代理店に就職する。が、これがめちゃくちゃ大変だった。いろいろな話を聞くに、多分だいぶマイルドで優しい会社だったし、実際に上司も先輩も優しくていい人だったけど、毎日毎日テレアポしまくりで、でも全然アポ取れないし、アポ取れてもなかなか契約取れないし、なんか本当に何ひとつ上手く行かなくて最悪だった。達成したこともあったけど数えるほど、みたいな感じ。

全然理由も経緯も思い出せないけど、トイレで泣いたこともあった。これを書くにあたってどうにか思い出そうとしたけど、いくら考えてもまったく思い出せないので、自分の心のために思い出さないことにした。それくらい固く封印したいほどだったんだな〜ということで。わたしも知らないけど。

今になって思うと、あまり執着心もない上に“押す”のが苦手で、すぐに引くタイプの自分に致命的に向いてなかった仕事だなと思う。

そんな感じで1年半が過ぎ、「バリ強になって遅れを取り返すはずだったのに、取り返すどころか落伍者っぷりがさらに強くなってて本当にやばくない?」と思ってたところにコロナ禍がやってきた。

自分にできそうなことを模索したコロナ禍

当時いた会社は主力顧客が飲食店だったこともあって売上はガタ落ち。もともとあった危機感は爆上がり。

「営業じゃなくて、別の何か社会を勝ち抜くためのスキルを身につけないとヤバい」との想いからデザインを勉強したりWeb制作をやってみたりPythonなどのプログラミングの勉強をしたりした。あとはそれをアウトプットするために、営業資料を作り直したり、顧客へメール配信するためのシステムを作ったりもしていた。

結果的にデザインもWeb制作もプログラミングも向いてなかったけど、一般的な人よりはできる状態には多分なれたので、まあよかったかなと思っている。

あとその流れでなんとなくTwitterで仕事のことや勉強のことなどを発信するアカウントを作った。これが大きな転機となる。

そこで仲良くなったフォロワーさんが、当時書いていたnoteを読んで「うちの会社でライター探してるんだけど副業でやってみない?えなりちゃんなら文章も上手いしと思って!」と声をかけてくれたのだ。かくして、ライターとしての道を歩み始めることになった。

ライターとして最初に書いたのはSEO記事。仕事をしていたのはEdTech系の企業で、もともと興味のある分野だったし、歴史好きを活かしてテストの歴史に関する記事を書いたりリサーチ過程で知らないことを知れたりと、とても楽しかった。

光が見えると欲も出て、転職を決意

ここで最初の実績ができたので、それを武器にほかの企業からも仕事をもらうことができて、順調にライターとしての経験を積んでいった。この辺から、いつかライターとしてフリーランスになりたいなと思い始めた気がする。

本業の方でも、コロナの少し前から、もともと担当していた人が退職したのをきっかけに、原稿制作をメインで行うようになっていた。成績最悪でいたたまれない感じで会社に行ってた頃と比べて、原稿制作は得意だったので褒めてもらえるし、実際に採用に繋げることもできていた。勉強したデザインを活かして求人のサムネをデザインするようにもなり、やりがいと自信を持てるようになった。

でも、すると欲が出るのが人間で、自分で自分の会社の採用をやってみたいなと感じるようになった。Twitterで仲良くなった人たちに、人事の人が多かったのも影響していたかもしれない。

あと、社内で何か新しいことをしようと思っても、わたしの力不足かつ割と年齢層の高い人が多かったためか上手くいかないことが多くて、もっと変化とか新しいものに取り組みやすい環境にいきたいな〜と思うようにもなっていた。

そうして採用の仕事やってみたいし、小さい頃からの憧れの地・東京で暮らしたいし、もっと鍛えられるベンチャーに行きたいと思って2021年11月に転職。石の上にも3年とよくいうけど、なんとか3年働いたことも後押しとなった。

採用体制をイチから作った2社目

2社目(前職)は、最初の会社よりさらに人数が少ない、入社当時は自分を入れて8名の人材紹介会社だった(すぐに7名になったけど)。

人材コンサルタントではない1人目の社員として入社し、メインミッションの中途採用のほか、HPの刷新プロジェクトを推進したり、たまに備品の発注をしたり、社員の入退社における手続きをしたりしていた。

採用に関していうと、人材紹介経験者よりも顧客が属する業界で経験を積んだ人を採用することが目標だったので、母集団形成が難しかった。その上に業界柄インセンティブが主体の給与体系のため、基本的にベース給与も下げての転職となるので選考過程で離脱されることも多く、とても苦戦した。今思っても初心者にハードル高い。

でもそんななかでも、入社したときはほぼ求人広告のみだったところから、採用ピッチ資料を作ったり(ここでもデザインの勉強が少し活きた)、ほぼ使えていなかったWantedlyにきちんとこまめに求人を載せたり、社長や社員、社員の家族にインタビューして採用広報記事を書いたり、ビズリーチの運用をスタートしたり、候補者体験の改善を重ねたりいろいろやった。そのおかげか運がよかったのか、なんとか在籍していた1年半の間に3名の採用に成功する。

そんな感じで、仕事は大変なこともあったけど成果も少しずつ出せていて、とても充実した生活を送っていた。東京には友達もTwitterで知り合った方々もたくさんいたし、休日も楽しくて、転職していいことしかなかった。

ライター業も順調に楽しく続けられていた。SEO記事を依頼いただいていた採用コンサル企業で採用広報記事にも携わらせてもらえるようになったり、ほかにもnoteから問い合わせをいただいた企業のお仕事をしたり、ライターとしての仕事の幅も広がっていたので、本業も副業も楽しくて、ほんと営業の頃の「労働マジ無理」期間が嘘みたいだった。

フリーランスになったふたつの理由

こうしてライターとしての依頼が増えたことで、フリーランスとなることも本格的に考えるようになっていく。

いざ採用をやってみて、採用は採用でとても楽しかったしやりがいもあって好きだった。でもわたしは結局採用のなかでも、面接や面談よりも採用広報の方が好きで、要するに書くことや発信がやりたいんだなとはっきりわかった。

だからどちらかというと採用よりも書くことに軸を置きたいなと思うようになっていたなかで、副業での依頼が増えてきて、このままだと会社の仕事があるからライター業を断ることになりそうな状態になったのが会社をやめる理由のひとつとなった。

あとは以前noteにも書いたが、会社員はどうしたって会社に生活を握られる。その会社にいる以上、働く場所や働く時間などなど、会社の決定に従わなくてはいけないことがたくさんある。その代わりにフリーランスにはない安定があったり、未経験のことに挑戦しやすかったりといい点もたくさんある。

でもわたしは、そうした数々のメリットがあったとしても、赤の他人に生活を支配されることがほんとうにいやになってしまった。

リモートが廃止されたとか労働時間が変わったとか、きっかけになることが特にあったわけでもないけど、なぜか突然、無性にいやになった。わたしの気分の移り変わり、いつも突然すぎ。もしかすると、めちゃくちゃ事業やミッションが好きであれば支配されてもいいってなったかもだけど、残念ながらそうはならなかった。

こうしてフリーランスになることを半ば勢いで決めてしまった。

とはいえ、さすがに収入を得られる見通しがない状態ではやめなかったと思うので、気持ち的に会社員をやめたかったことと、ありがたいことに状況的にもいけそうだったのでフリーランスの道を選んだ。

▼フリーランスになった理由にちょっと触れてるnote

決めた後に急に焦ってきて、すでに受講していた宣伝会議の「編集・ライター養成講座」のほか「稀人ハンタースクール」も受講。退職するまでの期間は講座に引き継ぎにライター業にと、なんかバタバタしていた。

フリーランスの利を生かしてワーホリ計画中

そして2023年4月末で退職。5月からフリーランスとなった。東京にいて、かつフリーランスだったこの期間が最高に自由だし、好きな時に仕事して好きな時に遊んで人生で一番楽しかった気がする。

話は変わるが、わたしはフランスが大好きで、会社員時代からいつかフランスにある程度まとまった期間滞在しようと思っていた。

会社で働きながら連休と組み合わせて1ヶ月くらい行こうかな〜、でもワーホリがいいな〜お金貯まるかな〜とかぼんやり思っていたのだけれど、フリーランスとなったことで「よく考えたらフリーランスならどこでも働けるし、実家帰ったら今よりはお金貯まるからワーホリ行けるじゃん!?よし帰ろ」と思い立ち、即マンションを引き払い、今は実家で暮らしている。

車社会の田舎なのに、車はおろか免許すらないから全然自由に外に出れなくて、気の合う友達もほぼいないし、一人暮らしの方が楽しかったし、正直東京生活が恋しくて仕方がない。でも今年12月にフランスに行くので、それまでお金を貯めながら頑張ろうと思う。

こういう選択肢を選べるのもフリーランスになったおかげだし、冒頭に書いた通り、この働き方は最高に自分に合っていると思う。たまに「有給ほしいな〜」とか思うことはあるが、それでも、少なくとも自分が考えうる働き方のなかではこれがベストだ。これからもフリーランスで居続けられるように日々スキルを磨いていきたい。

にしても、こうして振り返ってみると、人生に絶望して就職やめるし、自由を求めすぎて会社員やめるし、改めて自分が社会不適合者にしか思えなくなった。でも一方でこんな社会不適合者でも意外とやっていけるんだな〜とも思うので、自分が社会不適合者だと思う人も勇気を持ってください。わたしはこれからも不適合なりに、自分に合う環境を自分で作りにいくくらいの気持ちでやっていこうと思います。

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