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クリスチャン・ボルタンスキー | 20210715 | #フラグメント やがて日記、そして詩。06

クリスチャン・ボルタンスキーが死んだ。

2019年に国立新美術館で「Lifetime」を見に行ったり、表参道のLouis Vuittonのギャラリーで「アニミタス」を見に行ったり、当時はよく見ていた。

彼の作品は「死」で溢れていた。大量の風鈴が風に吹かれて鳴り続ける映像がただ流されているだけの作品といってしまえばそれまでだが、そこには死者の魂のようなものが聴こえるようだった。

そうでなければ、心音が鳴り響くインスタレーション、嘔吐を続ける男の映像作品、死の影、明滅する心臓、ボルタンスキーの生きる時間が一秒一秒加算されていくデジタル時計など、「命」そのものに触れるような作品が数多くあった。

芸術を体験として味わえるインスタレーション作品群は、まさにその世界への没入でもある。当時の僕は感動して図説なども隅々まで読んで、「蒼馬の部屋」なんていうツイキャスでも滔々と一人夜語りをしていたことを思い出す。

それが、今朝のネットニュースで亡くなったことがわかり、ついにあの時計も止まったのだろうか、とか、あの風鈴の音には、彼自身の魂の声も交じっているのかなどと、仕事が忙しいながら、一息ついたところで考えたりしていた。

私たちより前に人々がいたこと、そして私たちより後に人々がいるであろうことを私たちは知っています。私の猫はそのことを知りません。こうしたことを知っているからこそ私たちは人間として存在しているのです。とにかく、死者のために祈ることこそ、芸術家としての仕事なのです。(「対談クリスチャン・ボルタンスキー×杉本博司」2018.7.27より)

死者のために祈ること。

いまだからこそ、彼の作品の世界にまた没入してみたい。

そして、その命を、つないでいくこと。

今日も激務だった。食事も摂れないほどだった。体重が減っていく。命をすりへらしている。それがまた、明日もつづいていくこと。

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