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北カリフォルニア終了のお知らせ...

▶山火事の行方

前回の続きからいくと、ゼロデイの間に私の個人的な体調などの問題もあったが、止まっているわけいにもいかないので山火事の不安があるなか出発をした。
ここからの登りはPCTの中でも3つの指に入る急登と言われている登りだった。 

このセクションはなかなか大変だった


なかなかの急登だし、歩いているうちに煙が濃くなってきて、辺り一帯が曇っていて煙臭くてとても退屈だった。

けむっっ....


どんなに煙があっても、蚊だけは元気に飛んでてうざかったのでバグネットを一日中かぶって行動した。いま思い返すとハイキングの中で唯一のストレス、わたしは断然、、蚊!蚊!!!蚊ーーーーー!!!!
顔付近にまとわりついて音を出して飛んでるのが耐えられなかった。誰かの落とし物だがこのバグネットには本当に感謝しいている。

バグネットおばさん

それは置いといて、なかなかの登りを歩き終えた頃には夕方だったので、テントサイトを探した。寒くなかったけどさすがに煙がすごくてカウボーイキャンプはやめて、テントを張った。

テントの外でふたりでご飯を食べていたけど、外にいると煙で目と喉も痛くなってきたので早々に各々のテントに入って就寝。
あと少しでカリフォルニアを超えてオレゴン。色んな意味でどうなっているんだろうと考えながら眠りについた。

▶︎苦渋の決断

朝起きて、テントの外を見ると安定に煙が一面広がっている。テントもバックパックも空気に触れてるものがぜんぶスモークの匂いになってた。

「もうこの先、クレーターレイクまでこの景色だったらやばいよね...。」

と私が今後どうするかちらつかせると、

「この煙は今まで体験したことないわ。あと3日、この中歩くのはちょっとしんどいわ。」

とバディが言葉を放った。同感。

また3,4時間歩けばSeiadvalleyに引き返せるからとりあえず引き返して、この区間をスキップして次の町、Ashlandまで行って作戦会議しようと合致した。


▶︎フライフィッシャー夫婦

そしてまたSeiadvalleyのカフェに戻ってきたのだ。とりあえずコーヒーを頂く。
しばらく休憩したが、時間はまだお昼頃だったので、車通りもぼちぼちあるしということでカフェの前でヒッチハイクを開始した。

車はちょこちょこ止まって、
「どこまでいくの?」と訊かれ、Ashlandと答えるとWow..と言われ大体断られてしまった。
たしかにAshlandまでは車で2時間弱だったので遠いことはわかっていた。

一度休憩するためにゼロデイの間、度々お世話になっていた向かいのストアでジュースを買う。いつもはお父さんが店番だが土曜日はお母さんだった。タバコを咥えたイカしたお母さんが、あんたたちPCTハイカー?と声をかけてきた。

セクションでハイキングしにきたけど、この先のオレゴンまで山火事だからAshlandにとりあえず移動するよ。と伝えた。

「今年は2015年以来の大きな山火事だからね!スルーハイカーもスキップしてたのよ。」
とお母さんは言う。

ちなみにバディは2015年のPCTハイカーだったので当時もクレーターレイクは曇って見えず、今年はクレーターレイクが綺麗に見れると楽しみに日本から来ていたのだけど、今回も見れないという逆奇跡が起こってしまった。

そんな話をして、また外でヒッチハイクするよ。と店を出ようとすると、ハイカーは汚くてホームレスに間違えられやすいからダンボールにPCTハイカーって書きなさい!とダンボールとペンを渡してくれた。

言われた通りに書いたダンボール

ダンボールを持ちながら親指を立てても、
車にはスルーされるか、止まってくれてもそこまでいかないわと断られてしまった。

すると一台の車が止まり、爽やかなお兄さんが声を掛けてきた。バディが、Ashlandにいきたいんだと伝えると、その手前の街に住んでるからそこまでなら送るよと言ってくれて、Thankyou!と私が荷物を取りにいこうとしたときだった。
な、、なんと、向かいのカフェから出てきた夫婦がずっと外にいた私たちを見兼ねてお兄さんと同じタイミングで、私に、Ashlandまで乗せてやるから来いって手で合図してくれたのだ。

こんなに優しい人たちにダブルで声をかけてもらったことは初めてだ。
お兄さんには事情を伝えて、たくさん、ありがとうと感謝をして、私たちは夫婦の車に乗せてもらう。車内にはドーラという可愛い犬も居た。

別荘の鍵を閉めていくから少し寄り道するね。と言われたが、全く問題ないです!と私たちは答えて、車に30分ほど揺られた。到着した別荘の広い庭には馬がいた。そしてすごい豪華な建物だった。良かったら中へどうぞと奥さんが案内してくれた。

私たちは驚いた。

別荘の中がフライフィッシングの写真や道具で溢れていたのだ。
「フライフィッシングするんですか?」と聞いたら家族みんなでやってるよ!とのこと。

私たちはそこから意気投合し、部屋を案内してもらった。壁に飾ってある写真は、息子さんらしき人が、とてつもなく大きいトラウトを持っている写真だった。
写真のトラウトも、この近くのクラマス川で釣れたけど、今年は山火事や土砂崩れがひどくてたくさんのトラウトが死んでしまったんだよ。と旦那さんが教えてくれて、今年の山火事がいかにひどかったのか教えてもらった。

旦那さんは、車の中でも、この辺の川についてやニュージーランドの釣りや生態など様々なフライフィッシングに関する話をたくさんしてくれた。奥さんもたくさん写真を見せてくれて、次アメリカに来た時はクラマス川で釣りをしようねと言ってくれた。

釣りというアクティビティだけでこんなに人と繋がれて、釣りを始めてよかったと心から思った瞬間だった。

彼らの家にあったアメリカ版の魚拓


長いドライブを終えて、私たちはAshlandに到着した。
お礼をいって、お別れをする時に旦那さんが、
「僕たちはビッグファミリーだ。アメリカ滞在中に困ったことがあればいつでも連絡してね。次は一緒に釣りをしよう。」と連絡先が書かれた名刺をくれた。

素敵なフライフィッシャー夫婦
愛犬ドーラ


▶︎Ashlandにてゼロデイ

フライフィッシャー夫婦のおかげで日中にAshlandに到着できたので、宿を予約してその日は洗濯などを済ませた。

噂では聞いていたが、Ashlandという街は、わたしが歩いてきたセクションの中で一番大きい街だったので久しぶりの文明感に興奮していた。

まずどこでもコーヒーが美味しそうなカフェがたくさんある。レストランも多いし、フライショップもある。その日は、オーガニック系のちょっとオシャレなスーパーで買い出しをした。

なんか店内にいるお客さんも健康的な綺麗なお姉さんとか、オシャレな男性が多い。
そのうえ汚いバックパックを背負って小汚い服装で歩いてるわたしに、
「ハイカー?どこから歩いてきたの?」と綺麗なお姉さんが話しかけてくれたり、レジに並んでると「PCT?頑張ってな!」とお兄さんが声をかけてくれたりするのだ。
なんだこの街...すごい好きだ.....。

LAやサンフランシスコと違って、自然も近いので住んでる人の雰囲気もラフで自然体な感じなところも好きだった。

贅沢してホテル泊まってしまった
食べきれなかった食糧をここで消費

この時は意気揚々とホテルに泊まってテンションが上がりまくった私だけど、急にふとカード利用額が気になって、明細をみたらひっくり返るくらいの金額で落ち込んだ。笑

普通の旅行に比べたら、お金は全然使っていない方だけど、わたしはハイキング初心者なので、モーテルやホテルに度々泊まっていたのがでかかった。
バディは、僕はどこまでも貧乏旅行ができるから、まおに合わせるよと言ってくれた。
というかバディは今回のハイキングは彼的には、なかなかのラグジュアリーハイキングだったらしい。
今までのロングトレイルでは、ほとんどホテルには泊まらず、キャンプ場で過ごし、街でもレストランにはあんまり行ったことがない。とのことだった。

でもそれは、海外ハイキング初心者のわたしには、なかなかのハードモードに感じた。
久しぶりの街ではラーメン以外のもの食べたいし、温かいシャワーを浴びて、ベッドで寝たい....と強く思っていた。笑

帰国してからの今だから思えることだけど、
もし、次わたしがひとりでハイキングにいくならば、次はホテルにはほぼ泊まらないと思う。
あまりにも物価高でお金がなくなりすぎて、ついにキャンプ場の冷たいシャワーでいいというマインドにこのあたりから徐々に意識が変わっていった。笑

そんな感じで、Ashlandでカード利用明細を目にしてから、わたしの旅・ハイキングマインドが少しずつ、良い意味で貧乏マインドに変わってきたのだ。

きっとこれが最後のホテル滞在だと思いながら、Ashlandのホテルのふかふかベッドで眠りについた。

つづく。

Happytrails!

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