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祖父の本棚

 どうも山ぱんだくんです。休日の朝七時に祖母からの電話で起こされるような人生やってます。勘弁してくれよマイプリンセス。

さてさて山ぱんだくんと月曜の理屈
第二十八回は「祖父の本棚」
祖父の本棚、まじでクシャミが止まらないもの。優勝。

第二十八回 祖父の本棚

 去年末亡くなった祖父は和歌を詠む人だった。彼の大きな本棚は大量の本で埋め尽くされていて、親戚が集まっている時でも一人書斎でこんこんと本を読み続けるような人だったのでなんとなく苦手だった。あまり会話した記憶がない。

 それでも彼は、いとこたちの中でも特に本が好きで文章を書くのが好きだった僕に、生前から「俺の本は死んだら全部お前にやるからな」と言っていた。そして今、週末に祖母の様子を見に行きがてら少しずつ少しずつ本棚の整理をしている。

 歌人だった彼の本棚は文学集、エッセイ、地図、日本文学論、美術館の図録に陶器の本まで幅広く終わりが見えない。それでも終わるまではずっとここに来る言い訳になるからいいだろうとも思う。

 パラパラとページをめくっては要る本と要らない本を選別していく。ある本を開いた時、ページにひかれた蛍光ペンのラインに目が留まった。それまで見てきた本の中で、蛍光ペンで線がひいてあった本はそれが初めてだった。

私は自分を探しに「過去」の中へ入ってゆく。何を手掛かりに?言葉を手掛かりとしてである。言葉が私の出発点だ。何か確固たる対象があってそれに言葉を与へるのではない。歌ふべき確固たるものがないから、言葉をたよりにそれを探しにゆくのである。」

 黄色の蛍光ペンで浮き上がって見えるその文章が祖父の中で何か特別な響きを持ったんだろう。そんな風に何十年も前に彼の心を揺らした文章に出会うのが不思議だった。そして、きっとその時の彼と同じようにその文章に心揺れる自分も、また不思議だった。なんだか今はもういない祖父にそこで出会ったような気がして、初めてまともな会話をした気がしたのだ。ああ、ちょっとだけ、分かるなあ。

 僕は本を読みながらマーカーで線を引くことはないけれどページの端を折る癖がある。友達に貸した時、「このページが好きだったんだね」と言われると少し気恥ずかしい。
 いつか僕がこの世界からいなくなった時、僕の孫が僕の本棚で宝さがしをする日が来るだろうか。そして折りこまれたページを見つけ、今の僕と出会うのだろうか。

 そんな日がやってきたら、それはとっても素敵なことだなと思う。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございます。週末に祖母の家に本を読みに行くのですがほとんどの時間は祖母のおしゃべりを聞いています。まあ、いいんですけどね。