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 〈事情あれこれ!〉

 先日、義姉の88歳(米寿)を祝う会を、フレンチレストランで行い、 私の長男が段取りをしてくれた。義姉は普段から、子、孫、甥、姪たち10数人に、誕生祝いや季節の果物を、どっさり送るのを楽しみにしてきた人 なので、皆が喜んで、花束や菓子類と祝い金をお渡しして、義姉はとても 喜んでいた。こんなにたくさんお金を頂くとはと早速に、全員に「ハッサク1箱」ずつ送り出した。そして、庭にたくさん実っている「サンショウの実」を、毎年収穫に来る姪夫婦とその友人たち3人を招く日は、いつも義姉が喜んでご馳走して、ランチを負担してきたので、今年もまたそのつもりで、5月20日に集まることになっていたのだが・・。

そして、長岡にいる次男一家はコロナ期の間、来宅できず、義姉の祝賀の会にも出られずで、次男はその代わりとして、義姉妹と私を、私の娘 (次男の姉) の車で、河口湖畔の温泉宿に泊るよう、予約してくれたのだが・・。

そんな折に、5月12日、かかりつけの整形外科通院の帰りに、義姉は転んで両膝、片肘に出血の大けがをしてしまい、すぐに整形外科に再度出かけて、手当てをしてもらってきた。骨折ではなかったと喜んではいたのだが、夜の11時半過ぎに、激しい痛みが出て眠れず、2階の自室で、杖をつく音がくり返し聞こえるので、目覚めた私が見に行くと、痛みで立てずトイレにも行けない、と言いつつ、我慢強い人ゆえ、なんとか4mほどを辿って、トイレだけはすませた。

私は紙オムツを使うようにと、準備したが、使う気は無く、義姉はその夜 ほとんど眠らず、1時間おきにトイレに立ちながら、朝を迎えた。

私はそれまで朝食を作ったことはなかったのだが、翌日から作ることになった。食後、時間を見計らってタクシーを呼んで同伴し、義姉は痛む脚を庇いながら昨日の整形外科医に、腫れて痛む脚を診てもらい、たまった水抜きとギプスをはめてもらうことで、入院はせず通院することになった。    でも、口だけは元気よと、ほんとに元気な声で見舞いの電話に応じている。

義姉を中心の河口湖畔温泉宿への旅は、義姉の回復を待って、秋にでも回すことになった。

これまで長年、義姉が受け持ってくれたことを、すべて私が背負うことに なって、note の創作に気を向けることはもう無理だと思えた。

その上、私の方は、毎月第一土曜日に18年続けている、「イギリス児童 文学を原書で楽しむ会=OE会」の、次に読む予定の本の、全訳を準備して おこうと思い立ち、早速始めたが、1日3頁ほどしか進めず、早くて2ヶ月はかかりそう。

エッセイの会の原稿書きや、その後の何十人分もの校正作業も続くはず、と雑事は限りないのだが、倉敷の友人から、そろそろ帰って来て、顔を見せてと言われると、カレンダーの空きを思わず見つめてしまう。忙しいけれど、それを楽しんでいる自分もいて、良い1年になりそうな予感がする。 体調管理だけは、言うまでもなく、気をつけなくては・・。

こんな具合で、note を続けられるか危ぶみながらも、少しずつ書きためて
いるところです。

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