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6章-(2) ダーウェント湖周遊

● 2:40~:船の男性ガイドが次のようなことを、いろいろ説明してくれた。

大きな島が4つある。(1)ダーウエント島 (2)セント・ハーバート島(これが最大) (3)ローズアイランド島(殿様の島) (4)ランツホーム島

(3)のローズアイランド島には、この地の殿様が住んでいた館があったが、17世紀末に家系が途絶えて、後に屋敷の石を運び、ケジックの市庁舎が作られた。最後の住人は、ジェームズ・ラドクリフ一族だったが、1716年  ジャコバン党の反乱  (宗教戦争の頃)  に加わったため死刑となり、再び途絶えた。

この島はダッフォディル (スイセン) 島とか、クロウ・アイランド (カラス) 島とか、ガーリック島とも言われて、強い臭いがする。赤シカが住んでいて、島との間を泳ぎ渡ってえさを探す。泳ぎが実にうまい。

● 湖が浅いので(平均20フィート。最深75フィート)冬は凍る。1962年には記録的に18~20インチ (約50センチ) の厚さに凍り、モーターバイクで上を走れた。

●  ダーウエントとは、ケルト語で「オーク・トリー」の意。湖水地方で最も長いダーウエント川が流れ出ていて、幅1.25マイル×長さ3.5マイル。

島にバロウハウスが1780年に建てられ、裏手に100フィートある滝があり、今はユースホステルになっている。シースウエイト村は、一番湿気が多く  降水量も多い。夏数週間暑い日が続くと、島の周辺の植物からガスが発生  して「浮き島現象」が起こる。

● 1564年、鉱山開発が盛んで、エリザベス1世の頃、ドイツから鉱夫を連れてきて、ダーウエント島にドイツ人鉱夫たちが、掘っ立て小屋を建てて住んだ。鉛筆の芯になる「黒鉛」が採れ、ケジックで産業がおこったが、鉱山閉鎖の後、一般の家がぞくぞく建ち始め、ナショナルトラストが買い取って、開発から守った。

● セント・ハーバート島は、ハーバートという僧が隠棲していた。セント・コスバートという親友がいて、フライヤーズ・フラッグからシグナルを送って、必要品を通信しあって送り合っていた、2人が死んだ日も同じであった。

◆  これらの説明をしてくれたガイドの男性は、ポターもランサムも読んでいないので、景色と物語が繋がらなかった。同船したバーバラが時々口を  はさんでくれたが・・。

● ナトキンの渡った島が見えた。物語の絵の中では、少し変えているよう。大きい島から小さい島の方へと。大きい島にリングホーム・ガーデンがある(ここでリスのナトキンは生まれる)が、現在は閉鎖されている。

ミスター・マグレガーの屋敷は今もあるそうだ。

◆ バスでの帰り道の途中で《ストーン・サークル》に立ち寄った。4000年前のケルトの頃の名残なのだ。

◆《エイラの滝》= AIRA FORCE →有名な滝で、チョコレートの宣伝などにも使われている。まわりの苔が美しい。バスを降りて、ここまで山道を歩いて行ったが、日本なら八王子にもありそうな、ごく平凡な小さな滝だった。イギリスでは山が少ないのだから、これでも立派な滝なのだ。

● ワーズワースの詩に「Sleep Walker」という、この滝を舞台にした物語詩がある、とバーバラが説明してくれた。伝説があり、夢遊病の少女が恋に破れ、心乱れて夜歩きし、親が跡をつけると、滝上の橋の上を歩いていた。 思わず声をかけると、少女は真っ逆さまに滝に落ちて死んだ、と。

◆《トラウトベックパーク農場》→→ ポターの活動の中心。遺言でこの裏の土地に遺灰が巻かれた。バスの中に座ったまま、峠の上から見下ろすと、小さな森の若いに白いファームの家が見えた。


★バスに戻った時、「ただいま!」と言いたくて、We are home. の代わりに、We are bus. と言って、私がバスに一番に乗りこんだら、待ち受けていたトニーがこの地の発音で「ウイアーブス」と訂正してくれた。皆にそれを教えたら「それ、問題あり!」「言いたくなーい」と、いっせいに抗議の声と笑いが起こった。ブスの意味をバーバラとトニーに教えたら、2人も大笑い。

それなら「We are coach」と言えばいいのだって。バーバラはまた別の日本人観光客の一団に話す積もりらしく、面白がっていた。

★ Have a nice day! とか、Good luck! などの呼びかけは、アメリカ人の言葉なのだって。バーバラの物言いから、そう呼びかけられるのはあまり気持ちの良いものではない、というニュアンスだった。ただ単純に Hello! とか、Good morning! だけでいいのだって。心しなくては。

● 運転士のトニーは、この日、家族に「6時までには帰る」と約束してあったらしい。ところがバーバラが、これが最後とばかり次々に新たな寄り道を思いついて「ストーンサイクル」「エイラの滝」まで、皆を引き連れて歩いたりしたので、トニーは焦ったのだろう。返りのバスは、細いクネクネ道をメチャクチャ飛ばして、乱暴な運転になり、何人も気分の悪い人が出た。

6:10 宿に着いたが、そこからトニーは家まで帰るのだから、遅刻の言い訳をしなければならなかったはず。

でも、別れ際に、私たちはとても日本的な贈り物をした。綺麗な千代紙で「折り鶴数羽」とカエルなどを、新しい千代紙といっしょに、膨らませたビニール袋の中に浮かべ、リボンで縛って差し上げた。バーバラには、アジサイの花も折り飾って添えた。これらの品々を、激しく揺れるバスの中で、Yさん、Hさんたちを中心に数人が手伝った。皆あちこちの「こども会」や「保育園」、「家庭文庫」「おはなし会」などを、手がけている人たちなので、お手の物なのだ。そのステキなアイデイアと実行力に、私はただただ感心して見とれていた。トニーの言い訳に、その手みやげが役立ってくれるといいけれど・・。

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