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3章-(5) じゃま者は消えろ

香織は早くも息を切らし暑くなって、立ち止まり、チョッキを脱いだ。
結城君は香織の手から、チョッキをひょいと取り上げて、自分のリュックの上に乗せた。若杉先生が笑顔になった。

「さすがペアだね、いいぞ。ああ、笹野、短い休憩の時は、座らず、立ったままの方がいいんだ。大丈夫か? それじゃ出発だ」

香織はそのまま座りこんでいたかった。が、先生にも結城君にも弱音を吐きたくはなかった。
両方の頬にレモンキャンデーをしのばせ、首に手ぬぐいをまわして、香織は歩き始めた。
    
小鳥のさえずりに混じって、甲高い笑い声や話声がひっきりなしに風に乗って聞こえてくる。足ののろい香織のせいで、その声が遠くなり、木立の合間にちらちら見えていた人影も見えなくなった。

やがて道は明るい雑木林の中を、いくらか下がり始めた。陽射しは柔らかく、新緑がまぶしいほど光っている。

「若杉せんせーい」

響きのいい声が、林の中を駆けてきた。音楽の日野先生だ。

「おーい、何かありましたか? 例の気になる子か?」

若杉先生が大声で答えて、急ぎ足に香織の前へと進んで行った。まもなく 赤と黒のチェックのブラウス姿が坂を上ってきた。

「あの子は、無事でしたけど。先生、薬箱を下さい。最初から私が持つべき だったわ」

日野先生は肩であえぎながら、手を出した。鼻の頭に汗をいっぱいかいて いる。香織は日野先生に見とれた。小柄で細身だが、健康そうで目も肌も 輝いている。

「宮城千奈さんが大きな棘を3本も刺してしまって。おまけに、膝もすり むいてるの」

「千奈が? どこで?」

「写真を撮ろうとして、よろけて木に掴ったら、大きなタラの木だったの」

「それは痛いや。ぼくも行こう」

「よかったわ。助かる」

日野先生は笑顔になって、香織たちを見た。

「あなたたち、若杉先生をお借りしても大丈夫?」
「もちろんです!」

結城君が大きな声を出した。日野先生は前方を指して言った。

「道は一本道だから。ただ、この先にまたきつい坂があるけれど・・」

2人の先生は、下り坂を走るようにして下りて行った。

「じゃま者は消えろ、だね」と、結城君。

「そっちのことじゃないの?」と香織、ふっと言ってしまった。

「きついなあ、それは・・。・・・ほう、そうか、そういうことね。では、仰せに従って、消えるとするかな」

結城君はそう言うと、香織の前へ出て、大またでのっしのっしと地響きを立てて、坂道を下って行った。リュックの上の香織のモスグリーンのチョッキが、みるみる遠ざかって行く。

香織はあわてた。後ろには誰も居ない。香織がびりのびり、ほんとうの最後なのだった。行かないで!と叫ぶひまもなかった。

香織は早足に追いかけた。結城君はスピードを落としていないらしく、ずっと先の、道が消えて行く曲がり角にかかろうとしている。ドキドキが 強くなった。取りのこされる! 山の中にひとりぼっち、 いやだ、ひどい!本気にするなんて!

八つ当たりする相手もなく、香織はむしゃくしゃしながら、走り下りた。 角をまがると、まもなく急な坂が見えてきた。モスグリーンのチョッキが 上方をぐんぐん上っているところだった。

(ユキさんだったら、こんな時どうするだろう? あの人、元気で機転が きく人なんだよね。なるべく気高く、のはずなのに、あんなこと言って、 ほんと恥ずかしい!  失礼なこと言って、自業自得よね。 頑張って、追いつくしかない。見てて、ユキさん!)

香織は力をふりしぼって登り始めた。汗だくだった。帽子もリュックもブラウスも、全部脱ぎ捨てたかった。歩きながら、両方の袖をまくり上げ、帽子を浮かせた。

上り坂は長かった。香織は重くなった足を1,2と数を数えながら、ひた すら足を交互に出すだけだった。上を見上げる余裕もなかった。足元の地面が、少しずつ動いていくだけ。

やっと前方が見晴らせる、峠の上まで辿り着いた時だ。

「やあ、がんばったな、えらいぞ!」

突然、大きな声が降ってきた。結城君が峠の上のすぐ近くで待っていたのだ。地面ばかり見ていた香織は、急に言われて、ビクンと心臓がはねた。 とたんに、クラッと空がまわった。あああ、香織は傍らの若木をつかんだ。細木は支えきれずに、左側の急斜面の方へ激しくしなった。あああ、香織はそれきり闇の中へ落ちていった。

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