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3章-(6) 志織姉の重い手紙

志織姉の厚い手紙が届いたのは、中間考査が終った日だった。

テストの方は、しっかり準備したはずなのに、特に数学は応用問題が出ると、頭がこんがらかって、手がつけられなくなる。前田さんに教わったことを思い出そうとしながら、やっぱり身についていないことを、思い知らされるのだ。結果が思いやられるわ、と気が重かった。

そこへ姉の手紙だから、いっそう気が滅入ってしまう。でも、恐る恐る開けて見た。

 「オリへ。裁判所って恐いところだわ。言葉をうんと慎重に、丁寧にした つもりでも、英語でやる限界があるなあ、と痛感したわ。ジェインの相手側の人は、ジェインと同意の上での結果、妊娠したのだから、自分の落ち度ではない。自分はジェインに堕ろせとは一度も言わなかった。ジェインが自分の意思で、ひとりで堕ろすことに決めて、実行してしまったが、医師の手際が悪かったせいで、命を落とすことになってしまって、残念でならない。 責めるとしたら、ジェインが勝手に堕ろすことにしたことと、医師のせいだ。自分が責められたり、賠償責任を負わされたりするのは、大間違いだ、払うつもりなどない、ととうとうと、べらべらと言いまくるのよ。

そのまま聞いていれば、陪審員たちが、そのまま信じそうな弁明なのよ。 でも、私はジェインが美しい上に優しすぎる人で、相手がどうしても、と 迫ってきたら、押し戻したり、強く拒否したり、言葉で罵ったりできない人だと知ってるから、断り切れなかったことがわかるの。両親やモルモン教の仲間の人たちに、妊娠を知られるのを怖れて、医師に頼ってしまったのも、悔しいけどわかるのよ。でも、この微妙なジェインの気持ちを、私がうまく言えたのかどうか、自信は無いの。できるだけ言ったつもりではあるのだけどね。

ご両親は娘が妊娠するほど、深いつきあいをしていたとは知らなかった。 娘は婚礼前にそうなるほど、ふしだらな娘に育てた覚えはない。男性の側が力尽くで娘に強要したに違いないと言い張り、そのことを認めさせ、せめても病院代と慰謝料はもらいたい、と主張なさったの。

どう見ても、平行線なのよ。ご両親の弁護人は、他のクラスメートの証言 なども聞いてきて、ジェインがおとなしい優しい人柄であることは、尋ねた全員がそう言っていた。だから志織の証言は的を得ている、と言ってくれたのだけどね。 

クラスメートの誰も、今のところ、ジェインがなぜふいに亡くなったかの 原因を、まだ知らないと思う。ジェインは友だちとしては、私くらいしか いなかったし、おしゃべりな人でもないので、まさか妊娠してたなんて、 誰も知らないのよ。彼の方は別のクラスの1年上の人で、バスケの選手で、人気者なの。ガールフレンドが他にもいたかもしれない。そのことは私にはわからないわ。

結論が出るまで、まだまだかかると思うわ。アーア、気うつになっちゃう。それで、馬に乗って、ギャロップしまくって、汗をかいて、なんとか気を 晴らそうとしてるの。

こうして書くことで、気をまぎらわしてるのだから、オリ、許してね。 

次はもう少し明るいニュースを送りたいものです。オリは、バテずに元気にしていてね。
ユウキショウジ君によろしく! 愛してるよ、オリ。
                        へこんでる姉より」

おねえちゃんの英語でも、言い切れない言葉や、気持ちや内容があるんだ。 香織には、裁判なんて物々しいところに出るだけで、頭が真っ白になりそうだし、まして英語でペラペラなんて、とてもムリだわ。おねえちゃん、証人なんて、断ればよかったのに。私にはムリです、って、おねえちゃんなら 言えそうな人なのに。

おねえちゃん、ユキさんみたいに〈なるべく気高く〉の気持ちで対抗して、くじけないで、と祈る気持ちがわいてきた。今はそれくらいしか思いつかない。

香織は、しばらくは手紙を引き出しの奥に、しまい込んでおくことにした。自分には何も助けてあげられない、重すぎる問題だった。目の前から隠してしまい込んでみても、頭の中から、消えることはないのだけど・・。散歩に出ることにしよう。ラジオと携帯、編み物とお菓子と水筒を、小さなリュックに入れて。キャンパスを1周したら、ネムノキの森で休んでこよう。  

同室の山口愛さんは、今朝、こう言ってた。
「テストが終って、ランチをすませたら、英語クラブの集まりがあるの。 遅くなるけど、気にしないで」と。
「よその女子校と英語でディベートをやることになっていて、アイも出ることになってるの」ですって。すごいなあ。
でも、アイにおねえちゃんの苦境を話すわけにはいかないし・・。

香織はキャンパスの1周を終えて、ネムノキの森のグリーンベンチに座って、水を飲みお菓子をつまんで、大きく深呼吸した。それから、編み物を 始めた。今週の3枚の予定は、あと1枚と3分の2枚残っている。その残り部分をここで仕上げてしまおう。

結城君は今の時間、携帯をかけてくるはずはなかった。テストはなく、普通の授業があり、その後、バレーの部活があるのだ。  

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