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6章-(1) 映画会の日

明日は星城学園の映画会があるという金曜日の夜、1号室のドアをコンコンとノックする人があった。いつものように直子が出ると、宮城千奈の声が 聞こえた。

「笹野さんは、あすの映画会に行かないって、ほんとですか?」

千奈は固い口調で、直子に言い、直子が答えた。

「はい、ほんとです。私が何度も誘ったんだけど、夏休みに見に行くから いいって・・」

耳栓をはずして、香織はそっと2人に近づいて行った。直子が余計なこと まで言い出しそうで、気になった。

「それで何か・・?」

直子の問いに、千奈は口ごもった。それから、思い切ったように、ぶつけてきた。

「あしたの2時から4時までの週番を、代わってもらえないかと・・」

「えーっ、それはないわ。オリは勉強が・・」
反論しかけた直子を、香織は押しとどめた。

「いいです。わたし、やります」

千奈がきまり悪そうに、固い笑顔を浮かべた。

「券を売った責任者としても、映画を見ておきたいんです。じゃ、お願い しますね」

いたたまれないように、千奈は身を翻して走り去った・

「よく言うよ。責任者として、だって。正直にあたしも映画を見たいの、って言えば、かわいいのに。オリのバカ。せっかくのお楽しみの映画をあきらめて、閉じこもるつもりなのに、雑用係を引き受けるなんて、時間のムダ じゃない」

「いいの。週番室で漢字の練習と、英単語の暗記をやるわ」

「負けちゃうな、オリには・・。あたしも映画の帰りに喫茶店へ入っても、砂糖、ミルクなしの紅茶だけにするわ」

「頑張って。明日の夜、7つの丸印に乾杯しようね」と香織。

直子は香織を見習って、ダイエットカレンダーに、丸印を記入中だった。 パパに会ったあの日から、直子は本気でダイエットに取り組み始めていた。スチュワーデスとボーイフレンド獲得という、大きな目標ができたのだ。 ポールとは、盛んに電話をかけ合っている。

直子のダイエットは、我慢の自然流だ。ごはんはゆっくりかんで1杯だけにする。日に3本飲んでたジュースを止める。夜食は砂糖無しの飲み物だけ。

これを守ると、5日目には1キロ減っていた。直子は大喜びして、香織の 真似して、カレンダーに印をつけることも、励みになった。2人で支え合ってるみたいだった。

翌日の午後、あじさい寮はひとしきり騒がしさで包まれた。3年生の1部 をのぞくほぼ全員に近い寮生が、映画鑑賞券を得ていたらしく、それぞれに華やかな装いとなって、出かけて行った。

香織は週番室に座り、3冊目の予習ノートを開いた。毎日の儀式のように、日付と若杉先生の怒った似顔絵を小さく描き込む。先生、始めます、見てて下さいね、の印だ。

絵は得意ではないけれど、先生の絵は簡単だった。細面、細い鼻、下がり目、まあまあふつうの細い口、ウエーブのあるヘア。吹き出しには「~と いうわけでして・・」と、先生の口癖を入れれば、笑い出したくなるほど そっくりになる。

でも、香織のノートの吹き出しには、「頑張れよ!」「気を抜くな!」 「継続だ!」「落すぞ!」などと、日によって変えて入れている。こう書くことで、あの日の屈辱と落ち込みを思い返して、自分を奮い立たせるのだ。

最近は、先生を訪ねて問題集の進み具合を見てもらったり、答えを添削してもらいに行かないようにしている。意地を張って、なるべく近寄らないで いるのだ。その分、そのうち見せますから、先生。自分でなんとかやって みます。〈なんとかなる〉ではなく〈なんとかしてみせる〉主義にかえる ことにしたのだ。

先生の方が気にしているらしく、授業中にふっと視線を香織に問うように 向けてみたり、前から3列目の香織の席の側を歩きながら、ノートをのぞ こうとしたりする。香織はうつむいたままで、嬉しそうな様子は見せない。7月の期末の結果を待っててください、がんばってみせるから・・と胸の中で叫ぶ。

電話のベルが、廊下の隅の電話室から、聞こえて来た。電話取り次ぎと、 来客応対が、週番の大事な仕事だった。

ピュルルッ、ピュルルッ、香織は飛びだして行った。

「もしもし、あじさい寮ですが・・」

「おっ、その声は香織! なんだ、週番だったのか」

拍子抜けの結城君の声だった。

「なんだと思ったのよ」

香織は思わず言い返した。

「・・てっきり成績がビリで、苦しみ抜いて、今日みたいな楽しい日にも 映画どころじゃ・・」

「なんでわかるのよ!」

途中で甲高く叫んでしまって、しまった!と香織は口を押さえた。

ガハハハ、結城君の高笑いに悔し涙がにじみ出る。取り返しも言い返しも できない!

   (画像は、蘭紗理かざり作)

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