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(128) 店じまい

ある日、星さんは菜の花の白和えを作りたくなりました。できたてのお豆腐を買いに、行きつけの角の店まで出かけて行きますと、定休日でもないのに、店の窓が閉っています。

「長い間ありがとうございました。このたび閉店することになりました・・」
と、思いがけない張り紙でした。星さんはうろたえて、二度三度と読み直しました。

30年近くもひいきにしていたお店でした。それが消えてしまうと、星さんの自慢の種がひとつ消えることになります。

都心に住む友人たちが訪ねて来る日、必ず献立の一品に、その店のお豆腐を加えていたのです。

「スーパーのより、大豆の味がする」
「大型のお豆腐で、手作りなのがうらやましい」
「八王子は水がいいから、お豆腐もおいしいのよ。引っ越して来たいな」
と、その店の豆腐は、悔しいけれど、星さんが手をかけたどんな料理よりも、話題をさらうのでした。


店じまい


立ち去りかねて思案していると、突然窓が開いて、おかみさんの顔が見えました。

「すみませんねえ。主人の具合が悪くなって、こんな張り紙を出したんだけど、お客さんに泣きつかれましてねえ。私ががんばって、来週から週に2日だけでも続けることにしました。またよろしくお願いいたします」
そう言いながら、おかみさんは張り紙を入れ替え始めました。

星さんは安堵の笑顔を返しました。あの腕のいいご主人が・・。早くよくなりますように、と心につぶやきながら、街中でいつのまにか消えていった、小さな店がふいにいくつも思い出されました。


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