浜田廣介:「泣いた赤鬼」だけではない!

12月に、倉持よつば『桃太郎は盗人なのか?―「桃太郎」から考える鬼の正体』を読んだときのことは、noteに書いた。その後、テレビの教養バラエティ番組に倉持さんが出演して、桃太郎のことを語っているのとかも見たが、この本の中で鬼というのは一体どういう存在なのか、という鬼論についても語っていて、その一環で浜田廣介「泣いた赤鬼」についても取り上げている。

「泣いた赤鬼」と言えば、昔、娘たちを保育所に迎えに行ったときに、読んで、と言われてこの絵本を音読していて、ストーリー知っているのに、読んでいるうちにうるうるしてきて、最後に青鬼の手紙を読むシーンで、自分が号泣しちゃった、という思い出のある物語なのだが、小学校3年生の時に学芸会がわりの発表会(新設校でまだ体育館がなかったので、全体での学芸会をやらず、教室で劇をして、保護者がそれを参観に来た)で「泣いた赤鬼」の劇をして、わたしは赤鬼の家に遊びに行ってお菓子を食べる村人の役だったな、なんてことも思い出す(クラスで一番頭のいい男子が赤鬼役、二番目に頭のいい男子が青鬼役だったよ)。

それはまぁ置いておいて、この「泣いた赤鬼」でも、前提は鬼というのは乱暴する悪者であり、人間と仲良くなりたい赤鬼が、人間の先入観を払しょくするためにする行為は、人里に来て乱暴狼藉を働く(ふりをする)青鬼をやっつけて追い出す、という、自分を上げるために、同類の鬼を悪役にするという自己矛盾的な物語なのである。

赤鬼は人間と仲良くなれたが、青鬼がどうしているか気になって訪ねていくと、自分が近くにいて、自分と交流していると人間は赤鬼君のことも信用しなくなるかもしれないから、と青鬼は長い旅に出てしまっているのである。赤鬼の幸福って何??、と問いかけたくなる衝撃のエンディングである。

まぁそんなことは知っている人が多い。教科書とかには出ていなかったと思うが、「泣いた赤鬼」は皆子ども時代に絵本とかで読むのかな? 自分の子ども時代、我が家には、「ひろすけ童話」の単行本が1冊あった。「泣いた赤鬼」だけでなく、幾つかの物語が収められていて、一番印象的だったのは、神様から火を盗んでくる少年の物語だったのだが、タイトルが思い出せない。わたしは高校時代にZ会の小論文の添削を取っていて、「火」をテーマにした小論文で、この浜田廣介の童話の話をえんえんと論じ、成績上位ランキングに入る位高い点をとったことがあった。なのにタイトルが思い出せなくて、本を発見できない。

今回倉持よつばさんの本から派生して、久々に浜田廣介を読んでみようと思って、図書館で集英社の浜田廣介全集の第5巻というのを借りてきた。昭和51年刊行。全12巻で、童話8巻、再話2巻、童謡・詩・小説を1巻、評論・随想を1巻、という構成だったらしい。軽く手に取ったが、2段組で字のぎっしり入った254ページ、ひらがなが多いので逆に読みにくく、結構時間がかかった。活字だけにしてしまうと「泣いた赤鬼」なんて短いもので、9ページでおさまっている。もっと短い話も多く、一番長かった「夏の夜のゆめ(ひのきまる物語)」だけ、58ページもあったが、あとは2-3ページの話が多い。ひのきまるは、ピノキオにちょっと似た、おじいさんが作った木の人形が喋って動いて外に出て冒険してくる物語で、かなり面白かった。人間がっ主人公となっている物語は、隣組で慰問袋を作ったり、学校から毬を貰って来たらその毬に「日仏印共同防衛記念」と書いてあったり、世相がかなり現れていて、それはそれで興味深いのだが、動物とか虫とか鳥とかが主人公となっている物語については、動物の機転とか優しい心根とかが描かれ、廣介がこうあってほしいと思う人間のふるまいをそうした動物等に反映させているのだな、ということが感じられる。心温まる思いをしたり、くすっと笑ってしまったり、貴重な読書体験であった。

嗚呼、あの、人間に火をもたらした少年の話がもう一度読みたいなぁ。あまりに作品数が多く、廣介さんは物語のタイトルをつけるのがあまり上手でなく(なんだか漫然としたタイトルが多く、差別化がしにくい)、図書館の書誌情報を睨んでいても、どれがわたしの読みたい話なのか全然見当がつかないのである。

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