就活が暴き出したもの①

 前回の記事まで、性格診断で明らかとなった私の性格を深掘りしてきた。就活とはかなり話が脱線してしまったので、今回はちょっとまじめに、そして具体的に私の就活について書きたいと思う。

大学3年の秋  

 私が本格的に就職活動を始めたのは、大学3年の秋からである。もちろん、6月ぐらいから説明会などには参加していたが、インターンに始めて参加したのはこの時期であった。

 私は最初、大学からの募集で1週間ほどのインターンに参加した。当時、まだコロナウイルスの影響で、ウェブ形式が多かった中、1週間の対面式のインターンは珍しく、興味を持って募集してみた。
 募集したのはとある大手物流会社のインターンだ。当時私は物流業界に興味を持っていた。理由は、ものすごく浅はかで、おそらく今後無くなることがない業界だと感じたからだ。人類の歴史上、モノが移動しなかった事はない。そう言った意味で物流業界は無くなることがない、安定した業界だと感じた。
 実際にインターンでは、物流業界の仕組み、先輩社員への質問、簡単な実務など、身になる内容でとても満足できた。しかし、これが自分のやりたいことなのか?という疑問も出てきた。もちろん、物流は社会に不可欠であり、社会貢献度の高い仕事だが、これじゃないと感じた。
 
 そこで、初めて自己分析というものに取り掛かった。最初はネットで調べた通り、自分の今までの経験から嬉しかったことややりがいを感じたことなどをまとめた。同時に、性格診断などを行い、自分に向いている仕事を調べた。
 その結果、私は製造業のような、目に見える仕事をしたいと感じるようになった。中でも、インテリアや食品など、一般消費者向けの商品こそ、一番多くの人に見てもらえると感じ、そういった企業を中心に説明会やインターンに参加した。

大学3年 3月

 ついに就活が解禁された。マイナビをはじめとした就活サイトに、とてつもなく多くの企業情報が掲示されていた。私は業界を絞り、インテリアや建材メーカーを中心に応募し始めた。
 職種は企画職。自分の好奇心旺盛な点や情報収集が上手い点などが、商品開発などで役立てると感じたからだ。また、性格診断などでも、企画職のようなクリエイティブ気質な職種が向いていると判定された。よって、企画職を応募していた。
 毎日ESを描きと説明会を受ける日々。面接に備え練習もしていた。

 しかし、何処にもESは通らなかった。私が夜な夜な頭を悩ませ書いた企画書は、簡単にシュレッダーに刻まれたのだ。最初は何故と思ったが、よくよく考えたら、私は「企画」というものをした事がなかった。「企画」というのは、情報を集め、アイデアを出し、スケジュールや数字を決め、他人を動かし、ようやく動き出すものだ。私にそんな主体的な行動力はない。私がそういった中で得意なのは情報収集とアイデア提案だけだ。自分は幹事などはやりたくないし、やったこともなかった。そんな人間に企画は向いてなかったのだ。そんな実績ない自分は、大学時代にたくさんの企画をしてきたもの達に勝てるわけがない。ただでさえ倍率の高い企画職に採用されるわけないのだ。
 そもそも、私の好きな「何かつくる」とは、自ら手を下せるもの、例えばデザイナーだとか設計士、作家などだったのだ。全部自分一人で完結できるものなのだ。しかし、文系経済学部の私にとって、それらはあまりに現実離れしていた。さらに、キャリアの人に相談したら、「君はどちらかというと理系向きだね」なんて言われた。そんなこと今言われてもしょうがない。

大学4年 4月〜6月

 結局、企画職を諦めた。中にはESも通ったとこもあったが、慣れない面接でことごとく落とされた。そもそもインテリア系自体人気が高く、倍率的にも無理があった。
 そんな中、自分の好奇心が生かせそうなマーケティング職に目をつけた。そして、そうした募集を探しているうちに通販業界に興味を持った。私にとって通販業界は一番魅力的に感じた。マーケティングといった幅広い職種があり、かつ今まで見てきた業界である物流やメーカー的な側面もある。そして、通販という今後も伸びそうな業界と、新しく古臭さを感じない社風に惹かれた。ここしかない。そう決め新たに応募し始めた。
 しかし、ここにおいてもダメだった。ESは通るものの、面接で落とされた。上手く出来た、と自信があったところでさえ、お祈りメールの通知を見てベットに転がり込んだ。

 気がつけば6月。友人の中には既に内定が出ているものもいた。割と周りの中では早く就活を始めたにも関わらず、内定が一向にでない、それどころか最終面接にすら進めていないことが、余計に自分を苦しめた。またこの時期、ESは通っても、SPIで落とされまくった。点数が低いなのか、適性がなかったからなのかは不明だが、どちらにしろ簡単に落とされ、意気消沈していた。初めて自分が、この社会に必要とされてないのではと感じ始めた。

大学4年 7月〜8月

 もう既に、人気のある企画職やマーケティング職の募集は打ち切られてた。残されたのは営業職。私は今まで営業職をずっと避けてきた。本能的に向いていないと感じたし、やりたくもなかった。自分で動き仕事をとる。数字に追われる日々。お客様との交渉。そんなものできると思わなかったし、やりたくもなかった。
 しかし、文系経済学部の自分に残されたのはこの道しかなかった。というよりも、もうやりたいこととかどうでも良くなっていた。周りはもう就活を終わっている者もいたし、焦りもあった。毎日対して興味のない企業の説明会にでた。脳死でESを書いて提出した。早くこの地獄から解放されたかったのだ。

 だが、そんな思いを踏み躙るかのように、お祈りメールが毎日送られてきた。営業ですら必要とされてなかったのだ。私はもうわからなくなった。最終面接にすら辿り着けない私は何が正しいのか、そして、何を信じれば良いのかわからなくなった。毎日近くの山に登り、死んだ目で景色を見ながら考えていた。景色を見ている時だけは唯一心が休まった。 
 
 とある面接で、こんな質問をされた。
「あなた自身のことを1分でまとめてください」
 私はなんとかアドリブで答えたが、話しているうちにわからなくなった。そういえば、私とは何者なのか。この世界・時代に生まれ、こんな蝉が鳴いている暑い中、スーツを着て面接を受けている、まだ内定すらない私とは何者なのか。
 自己分析をした。狂ったように自己分析をした。
自分の幼少期から今までの全ての経験をまとめ、それを行なった理由を書き、そう思った理由を書き、そしてそのまたそう感じる理由書いた。そして一つの答えに辿り着いた。就活が暴き出したものは、私だったのだ。

大学4年 9月

 9月。まだ夏の暑さを引きずる日々が続く中、私の就活はひっそりと終わった。8月まで内定が一つもなかったのに、9月になると途端に内定をもらった。結局5つほどの企業から内定を頂いたが、正直嬉しさはなかった。私は失望していた。自分自身とこの社会に。自己分析を行いすぎて、自分の真理に辿り着いた。私は私を知った。それ以上でも無くそれ以下でもなかった。だからもう、私という存在に何も望まなかった。そして、私を必要としなかった社会に何も望まなかった。読み終えた本をそっと閉じ、元の場所に戻す。私の中で全て完結したのだ。

 

そして現在

 私はいま、無事に社会人として過ごしている。
職種は営業職。正直向いているとは思ってないが、とりあえずやってみて判断することにした。ありがたいことに、人間関係には恵まれ、特に不自由なく働いている。
 だが、時々思う。もし自分のやりたかった企画職やマーケティング職になっていたら、どんなふうに過ごしていたのか。営業ではなく、自分の向いている仕事だったのなら、もっと輝いているのではないか。若いのを言い訳に、人生の大博打に出てみてもいいんじゃないか。
 妄想は妄想を呼び、頭の中で弾け飛び、何事もなかったかのようにまた膨らんだ。

続く

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