就活が暴き出したもの②

 就活が暴き出したもの。それは私だ。
自己分析を行いすぎて、自分の真理にたどりついてしまった。では、私とは何者なのか、説明していきたい。

私を構成する3つ

 自己分析の結果、私の性格・行動は全て、この3つで全て説明することができる。

①自尊心と自己愛

 まずは、自尊心と自己愛だ。私は自分を誇りに思い自分が好きだ。
 それゆえに謎の自信がある。根拠はないが、これならできるんじゃないか、とか、自分は何年かに1人の人間なんじゃないか、とか思ってしまう。
 だから学生時代の部活動も、そういった妄想を抱えて選んでいた。高校のときには、テストの学年順位によって自尊心を保っていた。そして、頭が悪かったり、何もできない奴を見下している節があった。就活の時にだって、自分は優秀なので、簡単に大企業に入れると思っていた。自己愛ゆえに、自分のせいにするのが怖かった。
 クソみたいな性格だが、それを否定することはなかった。それが私なのだ。

②自己表現と承認欲求

 先ほどの自尊心や自己愛ゆえに、それを表現しなければならない。そして、それらが評価されなければならない。
 ルールや束縛は私にとって敵だ。これらは私の表現を妨げる障害だ。私はありのままを求めている。
ありのままに、自由に、そして平和的な生き方を望んでいる。だから、ゴリゴリの体育会系見たいのは苦手だし、人からよくマイペースと言われる。こうして今、文書を書いているのも、自己表現の欲求からきているものだ。
 そして、自分自身が評価されることを望んでいる。褒められたらめちゃくちゃ伸びるタイプだ。称賛されること、評価されることで、自尊心を保っているのだ。誰かに認められることが、モチベーションになっている。だから、私は学歴や就職先などの肩書きを人一倍気にしてしまうし、それに対してコンプレックスを抱いてしまう。自分が必要とされないことに、恐怖を抱くのだ。

③現実逃避

 最後は現実逃避だ。先述したように、私は自尊心や自己愛が強いが上に、それを表現し、評価されることを生きがいにしてる。しかし、現実の世界はそんなに甘くはない。上には上がいるし、否定もされる。世の中はそんなに自由じゃない。そうした時、私は現実逃避するのだ。
 例えば、妄想であったり、考えるのをやめたり。
そして、音楽や絵画などの芸術分野に興味を持った。それはなぜか。音楽、絵画、文学など、そこには「正解」がないからだ。もちろん型はある。しかしこれらはそれを破ることで進化して来た。正解がないということは、誰にも否定される権利なんてない。自分の好きな、自分の世界で完結できる。だからこれらが現実逃避のツールとしてつかわれ、自分の好きなものになったのだ。

 以上、自尊心と自己愛、自己表現と承認欲求、そして現実逃避。これら3つで私は構成されている。
 自尊心と自己愛ゆえに、それを表現することを求め、そしてそれが評価されることを求めた。しかし、現実という大きな壁に阻まれ、逃避という行動をとった。そこにあったのは、音楽や芸術、妄想といった、自分の世界で完結できるものであった。それが私だ。

 最後に、そもそもなんでこの3つで構成されたのか考えてみた。
 私には兄弟が2人いる。4つ上の兄とと2つ下の弟だ。真ん中である。次男坊あるあるではないが、長男よりかは割と緩く育てられただろう。ただ、母から聞いたことがあったが、幼少期は2つ下の弟の面倒を見るが故に、私にあまり構うことができなかったとも聞いた。このことから、心の何処かで弟よりも自分に構って欲しい、自分を見て欲しいという気持ちが芽生えたのではないか?それが故に、今ある自尊心や承認欲求が芽生えたのではないか?昔から兄弟一の甘えん坊だったのもそれが理由な気がして来た。そして、自分のことを見てもらえない現実から逃避した。これはあくまで仮説に過ぎないが、自分はそう感じている。

 そんなふうに考えた時に、ふと私の心には泣いている小さな子供が浮かんだ。それは私だった。
 そうか。そうだったのか。君はずっとここで泣いていたのか。そうして彼を持ち上げ、私も涙した。自分の全てを知った。初めて自分という存在を理解したのだ。

 就活で得たものなんて、内定ぐらいしかないが、そんなことよりも、私は自分を理解することができたのが何よりも嬉しかった。内定なんてどうでも良くなってしまった。そして、自分を理解したからこそ、自分にとってこの社会で生きていくことがとても険しい道であるとわかった。社会がゴミであることがわかった。だからこそ、何も望まない。冷めた目でこの社会を生きていこうではないか。そう誓ったのだ。

 これが自己分析をし過ぎてある意味哲学の域まで潜り込んでしまった私の末路である。しかし、これは価値のあることだと私は思う。就活の真の目的は、内定をもらうことでは無く、一度立ち止まり、自分を見つめ直す時間を作ることにあると思う。それさえわかれば、怖いものなんてない。他人になんで言われようと曲がらない自分の芯さえわかれば、きっと人生というのは素晴らしいものになると、私は信じている。

続く

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