INFPと生きづらさ②

前回の記事では、自分の性格であるこのINFPの生きづらさは、矛盾や相反する感情を持ちやすいからであると分析した。今回は、前回の内向性に続き、この性格を構成する性格指向に着目して、この生きづらさを分析していきたい。

直観型 (iNtuitive)

まずはこの直観型だ。
事実や根拠よりも、アイデアや概念を尊重する。
抽象的に物事をとらえ、可能性を大事にする。
既存のやり方やパターン化されたものよりも、
新しくものや斬新なものを大切にする。
意味行き当たりばったりで、非現実的・空想的である。
と言うような特徴があるが、この志向に関しての私なり生きづらさを説明していこう。

①現実と非現実

 私は小さい頃から妄想や空想が好きだった。
宇宙とか、古代文明の謎だとか、ロマンのあるものが好きであった。架空の物語や未来を妄想していた。そして、アニメや映画、歴史の登場人物に影響を受けやすい私は、いつの間にか彼等と同じように、「何者か」になり、「何か」やり遂げると思っていた。好きな人ができれば、自分の都合の良いように妄想していた。

 だが、それは現実では無いのだ。自分は特別な存在ではなく、ごく普通の、不特定多数のうちの1人なのである。妄想の中で手を繋いだあの子は、別の男と手を繋いでいるのである。全ては非現実的な空想であり、空想の中で満足している自分がいるのである。

 では行動すれば良いではないか。特別な存在になれるように努力すれば良い、好きな子を振り向かせるために頑張ればいいではないか。そういう強い人間もいるだろうが、残念ながらこのINFPという性格は行動力というものが皆無なのである。頭ではわかほっていても、それを行う行動力がないのだ。それをやっていけるメンタルがないのだ。 
 これこそがこの性格の辛いところだ。結局すべて頭の中で完結してしまうが故、何もせずに終わってしまうことが多い。行動する勇気もないし、行動してもそれを続けるメンタルがないので、疲れる。
だったら最初から何もしない方がいい。そうやってまた現実から置いてかれるのだ。そんな現実を受け入れられないから、また現実逃避。そんな循環が私を苦しめているのだろう。

②理解されたくないが、理解して欲しい

 私は何においても、誰かと「被る」ことが嫌いだ。服であったり、作品であったり、発想であったり、自分のこだわりがあるものが、他人と同じなのが嫌なのだ。だから、あえて逆をいきたがる。クラスのほとんどAの意見ならば、あえてBの意見を選びたいのだ。そして、自分の発想や考えが簡単に理解されるのも嫌なのだ。仮に私が絵や曲を作るとするならば、大衆向けのものよりも、理解し難いものを作りたいのだ。
 しかし、「他人と違う」ということは、チームや組織の中で非常に厄介な存在なのだ。同調的で没個性的な、みんなの意見に忠実な存在を求めるこの国では、私のような存在は面倒なのだ。
 また、私は共同作業というものが大の苦手である。いや、苦手というより、満足できないのだ。もちろん、この世界では、誰かと協力しなければ出来ないことがある、ということは充分理解している。しかし、チームでプレゼンや発表などを行う際、みんなで協力するよりも、自分1人でやった方が絶対いいものができる、と感じてしまうのである。しかし、他人に嫌われるのが怖いため、他人に同調してしまう。人と違うことをしたいのに、人に合わせてしまうのだ。

 そして、「人に理解されたくない」ということはは裏を返せば、自ら孤独になることを選んでるのである。他人と違うと言う優越感を味わいながらも、心のどこかで誰にも理解されないことに苦しんでしまうのである。結局のところ、誰にも理解されたくない、そんな自分を理解して欲しいのである。
 
「他人と違うのがいい、けど人に合わせてしまう」「誰にも理解されたくない、でも理解して欲しい」
こういった矛盾した感情が、私を苦しめているのだろう。

感情型(Feeling)

 次に感情型だ。
情に脆く、合理性よりも自分の気持ちを優先する。
主観的な考え方をもち、感受性が豊かである。
相手に共感・協調し、平和的な人間関係を求める。

と、割と良いことをつらつら書かれているが、個人的にこの性格志向を持っていることが、生きづらさの根源である気がする。この感受性が豊かで平和を求めるが故に、過度に周りを気にし、だけど自分の感情を大事にしたいという葛藤が生まれてしまうのだ。感情が揺さぶられるすぎるが故に、そんな自分に疲れてしまうのだ。

 そして、この性格指向において最も問題なのは次の点である。

・感情的、だけどそれを表現できない

  私は就活の面接で、今までで1番感動したこと・うれしかったこと・悲しかったことなど聞かれたが、正直うまく答えるができない。確かに、うれしかったことや悲しかったことなど、感情が動いたことがあるはずなのに、それを言語化して具体的に説明することが大の苦手なのである。この点が私が面接が苦手な一番な理由である。自分の感情をわかりやすく伝えることができないのだ。最も、自分の嬉しかただとか、悲しいことを言葉にできてる時点で、それは大した事ではないのだ、という自論を持っているが、そんなものは社会では通用しない。相手にわかりやすい伝えることが正なのだ。しかし、私の場合、自分の感情を伝える上でこの「言葉」というツールはあまりにも表現力に乏しいのである。例えば、絵だとか音楽とかが表現の代わりにはなるが、自分にそんな技術はないし、あったとしても、理解できないものを作ってしまう。
 感情的で自己表現の欲求があるにも関わらず、それ自体が非常に苦手なため、伝えることができない。これもまたこの性格の生きづらさなのだ。

 次の記事では、最後の性格指向である知覚型と、
自分が自己分析の果てにたどり着いた真理について書いていこうと思う。

続く

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