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INFPと生きづらさ①

 前回までの記事をまとめると、就活がなかなかうまくいかなかった私は
自分に向いている仕事は何なのか、それを知りたくてMBTIという性格診断を行った。その結果、自分はINFPと呼ばれる性格であり、デザイナーやライター、映画監督などが向いていることが分かった。しかし、文系経済学部出身の私にとってそれは余りにも現実味がなく、自分のこの先の人生に失望してしまった。しかし、この性格の「生きづらさ」というものは、もっと根本的な何かがある、そう感じたのであった。


 まあ、そんなこんなで自分の性格の生きづらさについて、考えてみた。
 そして、一つの答えにたどり着いた。
 それは、この性格が多くの矛盾を抱えていることである。
これは、多くのINFPにあてはまるのではないか?ツンデレとかではないが、
「好きだけど嫌い」「やりたいけどやりたくない」といった、相反する感情、アンビバレンスを抱えやすい性格だからではないかと感じた。
では、私の場合どうなのか。INFPのそれぞれの頭文字の意味で分けて、自分の抱えるこの矛盾する感情を説明したい。

I(内向性)

 まずは、内向性について話そう。
この性格の人は、割とこの部分が表面的に出やすい気がする。どちらかと言うと、コミュニケーションが苦手で、自分の世界に閉じこもり、自分自身という内側に感情のベクトルが行きがち。ただこの内向性においても、いくつか矛盾している感情をもっている。

①1人が好き、だけど嫌い

 もちろん、内向性という点から、大勢でいるよりも1人のほうが楽な方が多い。何日も連続で誰かと遊んだりすると、1人の時間が必要になり、急に喋らなくなったり、しれっと家に帰ったりすることが多い。アニメ『ぼっち・ざ・ろっく』にて、後藤ひとりが「今日は人と喋りすぎたので帰ります」と言うシーンがあるが、それはまさにこのことである。人と関わることは、私たちにとって大きな負担なのだ。
 ただ、1人は好きでも、「孤独」になることは、この上なく恐怖に感じるのである。人と関わることに疲れても、ずっと誰とも関わらずに孤独に生きていくことは無理なのである。また、私は決して人と関わることは嫌いでは無いのだ。ただ苦手なだけなのである。苦手だからこそ疲れてしまう。できることなら、誰かと一緒にいたいのだ。
 私は1人旅に行くことができない。1人が好きなのだから、向いてそうと思われるがそれは違う。1人旅で観光名所にいけば、そこにはカップルや家族、友達同士など、なんらかのコミュニティを形成し来ている者が多くいる。そんな彼らを見た時に、我に返り、酷く自分の孤独を感じてしまうのだ、一度大阪のあべのハルカスに1人で行ったことがあるが、人の多さと孤独感に疲れ、結局直ぐに帰ったことがある。行くにしても本当に人の少ない、自然豊かな場所ぐらいでしかいけないのである。
 このように、人と関わるのが得意ではなく、1人が好きであるのにも関わらず、孤独を恐れ、誰かと関わろうとする。しかし、関わったら関わったで、それに疲れ、結局距離を置いてしまう。そしてまた、孤独感を感じてしまう。この矛盾とサイクルが、この性格の「生きづらさ」の理由の一つでは無いかと感じる。

②他人に興味は無いが、周りの目が気になる

 私はこの性格上、他人あまり興味がない。
基本的には人の話をちゃんと聞いていないし、あまりに他人に対して感情移入・共感することができない。昔からよくマイペースと言われ、他人よりも自分の価値観を大切にしてきた。他人がどうなろうが、どうでもよく、結局自分にしか興味が無いのだ。それは一種の自己愛のようなものだが、ここでもまた矛盾が生まれる。
 自分のことが好きだからこそ、その好きな自分の存在を否定されるのが怖いのだ。だから、他人からの評価や目が気になってしまう。必要がないと思われたらどうしよう、とか、つまらない奴だと思われらどうしよう、とかそんな事を考えてしまう。また、自分の信じてたものが否定された時、酷く動揺しがちである。そのまま、他人の意見に賛同してしまうことが多い。結局、他人の感情のベクトルが自分に向けられた瞬間、私はとても恐ろしく感じるのである。そして、あんなに大切にしてた自分を疑ってしまう。それは自分自身に自信がないからであり、そこもまた矛盾している点である。
 そこで生み出した解決策は、他人や社会を無理やり否定することである。自分を否定する他人の存在自体が間違ったものであれば、自分は正になるのだ。オードリーの若林さんがラジオで言ったように、「自分を否定したく無いから、社会を否定する」。これに尽きるのだ。
 だがしかし、矛盾が消える事はない。自分にしか興味がないのに、周りを気にしてしまう。自分のことが大切なのに、自分に自信がない。こういった矛盾が、また私を生きづらくさせているのだろう。

③自分が好き だけど嫌い

 先ほどの話した通ずるが、私は自分のことが好きである。頭も良くて優しくて、スポーツもできて顔も整ってる。そんな自分が好きである。
 と、思いたい。結局、自分の理想像が高く、完璧主義的な側面もあるため、現実とのギャップに苦しんでいるのだ。そして、そのギャップを埋められない、そんな自分が嫌いなのである。 
 でも、そんな自分だから愛してやろうという気にもなる。自分の味方は、自分でいてやろうと思っている。しかし、それ以上に現実は押し寄せてくる。
自己嫌悪に陥り、閉じこもり、諦める。何もしないことが唯一自分を救う方法なのである。
 このような自己愛ゆえの自己嫌悪が、生きづらさの根底にある気がする。

 以上のように、この内向性に限定しても、これだけ矛盾する感情を抱えているのである。この内向性に関しての生きづらさの要因を総括的に言うのであれば、自分はありのまま生きたい、しかしありのままを受け入れてくれる自分と社会が存在しない、と言うのが正しいだろう。
 次の記事では、他の性格的指向に関して、この生きづらさついて書いていきたい。

続く

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