#4 ええか、勘考しなさい

おばあちゃんへ

夏から帰省できてませんが、お元気ですか。
二十歳になる節目に、感謝の手紙を送らせてください。


自分は、両親がくれるのと同じくらい、おばあちゃんから愛をもらったと思っています。

児童館の送り迎えをしてくれたのも、内気で放課後遊ぶ友達ができなかった小学校低学年時代に一緒にカードゲームをしたのもよく覚えています。

両親に言うのは申し訳ないかもしれないけれど、おばあちゃんに半分育てられたようなもんだと自分では思っています。

大学の同期を見ていると、大抵の人には生活力は負けていないと感じます。小学生のとき、百均で買ったナイフで手を盛大に切って大泣きしても、その後の人生で料理を怖がらなかったのは、どんどん料理を教えてくれたおばあちゃんのおかげ。この前大学の友達とBBQに行って、みんなの前でタマネギを切ったら、その切るスピードに驚かれたほどです。




おばあちゃんの哲学には、感心させられるものがあります。

例えば、
「愚息が迷惑をかけてすみません」とか、
「うちの子はほんとにアホで……」とか平気で言う世間の親に対して

「私は自分の子をそうはいったりしない。『普通の子です』って言う。」

と貫けるところ。
「ばあちゃんは頑固だからなあ」と父からよく聞きますが、自分の大切な人や物にしっかりとプライドを持てていることに、感銘を受けます。


そして、自分に一番影響を与えてくれたのは、
「勘考しろ」
の言葉。

幼かったころ「勘考する。ええか!」というように、今まで数え切れないほどこの言葉をかけてくれました。

すぐに他人に答えを求めることなく、独力を捻出して、自分の持てる能力を最大限まで活かしきれ。

その訓練を普段からさせてくれていたのにやっと気づいたのはドイツの留学中で、人生で一番「勘考した」10ヶ月間でした。

「カンコーする」っていうのは、地元の方言だけれど、標準語の「考えなさい」よりもなんだか心に残るものがあります。




欲を言うなら、おじいちゃんに将棋を教えてもらいたかったし、ひいおじいさんにも会ってみたかったな。
ひいおじいさんと同じ薬学の道を選んだことは、大学に合格してから知りました。
彼のような町の薬剤師さんとして就職するかはまったく決めていないけれど、とにかく、広島で勉強がんばります。


現代の日本のたいていの子どもから見た「おばあちゃん」はきっと

「お年玉やお駄賃をくれるだけの優しい人」

でしょう。

でもおばあちゃんは、それ以上に、自分にとって大切な人です。



改めて20年間ありがとう。

これからも、

限界まで「勘考」しても答えが出なかったときだけ、頼らせてね。

ずっと。


P.S. ずっと昔から勘考してるんだけど、どうしたら彼女できるんだろう(笑)

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