第1175回「ゆっくり歩く」

先日は、プラムヴィレッジの方々に円覚寺にお越しいただいて、一日ご一緒に学ぶ機会がございました。

「内なる平和への誘い – プラムヴィレッジと円覚寺との対話」〜マインドフルシティ鎌倉から世界平和への祈り〜

という題の一日の集いであります。

Zen2.0の企画であります。

主旨は「「マインドフルネス」の源流であるフランスに本拠地を置く、プラムヴィレッジの僧侶の方たちによるリトリートと、日本の禅の源流、鎌倉、円覚寺の横田南嶺管長との対話の企画」ということなのです。

朝の九時から夕方五時までという長い企画であります。

私の感想はというと、驚きと感動でありました。

プラムヴィレッジの方々とは、昨年の5月に山梨県でご一緒にいろんな瞑想をさせてもらっていました。

それなので、おおよそのことは分かっているつもりでありました。

しかし、なんといっても驚いたのでした。

それは九時の始まりの前であります。

はじめにみんなで歌を歌うのを聞いていました。

これは驚くことではないのです。

昨年プラムヴィレッジの方々と私も一緒に歌ったのであります。

今回も皆さんで歌っているのを聞いていました。

廊下で、時間を待っていると、突然後ろから抱きついてくる人がいました。

私が抱きつかれるということはまずありません。

一瞬何事かと思いました。

どなたなのかと思ってみると、プラムヴィレッジの方で、その日対談する相手のブラザー・ファップ・ユン師なのでありました。

プラムヴィレッジでは、ハギングメディテーションというのがあると聞いてはいました。

私は、ファップ・ユン師と面識はないのです。

初対面なのであります。

それで驚いたのですが、ファップ・ユン師の満面の笑みを拝見して、一瞬で心が打ち解けました。

あとでうかがうと、私の後姿から、なんとも若々しいエネルギーを感じて、思わずハグしたのだと仰っていました。

やはりその相手を選ばないと、いきなりのハグは難しいのではと思いましたが、私は全く不快な思いを抱くことはありませんでした。

そのまますんなりとプラムヴィレッジの皆さんの中に入ってゆきました。

はじめの挨拶では、プラムヴィレッジへの期待を語りました。

今から二千年ほど前に、大乗仏教が起りました。

それは今までの仏教とは大きく異なりました。

禅もまた大乗仏教の一つです。

禅は、それまでの仏教の戒律を違反しながらも独自の規範に基づいた集まりをつくりました。

それが千年以上続いて今や伝統仏教になっています。

プラムヴィレッジでも、先ほど歌を歌われていたように、それまでの仏教の戒律では歌を歌ったり、聞いたりしてはいけないとなっていたのに違反しながらも、いま独自の規範に基づいた集まり、サンガを作っています。

これが百年、二百年と続いてゆけば、禅や大乗仏教のように仏教の大きな流れとして定着してゆくことでしょう。

そんな貴重な瞬間に私たちは今立ち会っているのだと話をしたのでした。

そのあと、ファップ・ユン師の御法話を一時間半拝聴しました。

ファップ・ユン師は1969年、ベトナムの生まれなので、私よりは五歳お若いのであります。

9歳で渡米されたそうです。

1998年にフランスのプラムヴィレッジで得度されています。

米国カリフォルニア州のディアパーク(鹿野苑)僧院の建立に尽力し、2001年から2010年まで、僧院長を務められた方です。

優しく、穏やかに語りかけるようなお話でありました。

私は午後から法話と、このファップ・ユン師を含めたプラムヴィレッジの方との鼎談がありますので、メモを取って準備しようと思っていました。

ところが、ファップ・ユン師は、この時間は、すべての心配事、考え事も皆手放してください、手も休ませてくださいと仰いました。

メモを取らないようにということなのです。

必要なことは心に残っていますので、自分のことを信じてくださいと仰いました。

メモを取るなというのではなくて、頭も手も休ませてくださいという言葉には心打たれました。

そこで私もお言葉に従ってメモを取らなかったのです。

それだけに、法話を拝聴しながら、そのお声、リズムに身を委ねて瞑想に入ったような気持ちでありました。

そのあと、歩く瞑想の時間がありました。

参加者は七十名、境内を歩く瞑想をするというのですが、実際にどのように行うのかとても興味がありました。

はじめにまだ外に出ずに室内でブラザー・ファップ・コイ師が丁寧に教えてくれていました。

どんな瞑想かというと、

「歩く瞑想では、ただ歩くことを楽しむために歩きます。

そのコツは、どこかに辿り着くために歩かないことです。 」

ということなのです。

たしかに私たちはいつもどこかに辿り着く為に歩いています。

「マインドフルに歩くことは平和と喜びをもたらし、生きることをリアルなものにします。 」

「一歩ずつこの瞬間の平和を楽しみながら」歩くのです。

実際には、一歩一歩によく注意を向け、 急がずにゆっくりと歩くのです。

息を吸って吐きながら、 その一呼吸ごとに気づきを向けるのです。

時に足の裏の感覚にも注意を向けます。

およその説明を拝聴してからみんなで外に出て歩きました。

私も外で待っていると、ファップ・コイ師が先頭で、私はその後を歩くように言われました。

後ろの方で歩こうと思っていたのですが、先頭になってしまいました。

そうして方丈から黄梅院の前まで行って、仏殿の前を横切って方丈に戻ったのでした。

これが大きな感動だったのです。

余計なことを考えずにただ一歩一歩に注意を向けるというのですが、私などはいやがおうでもあれこれ考えてしまいます。

その日は彼岸の中日、こうして境内を歩いていて知り合いの方に挨拶されたらどうしようとか、宅急便の車が来たら、どのように道をあけてもらおうかとか、あれこれ考えてしまいます。

それでも一歩一歩ファップ・コイ師のゆったりとした歩みに合わせて歩くと、考えもおさまり、体が変化してゆきました。

ゆっくり、ゆったり歩き終わって控え室に戻っても、そのゆったりとしたリズムが体に残っているのです。

そのあとお弁当もゆったりといただくことができました。

思えばその前日に大山に登っていたのですが、私などはついつい頂上を目指して急いでしまいます。

なんでも早くやることがいいように思い込んでいるところがあります。

それをゆっくり歩くことで、時間の流れが変わりました。

体が変わりました。

身心がすっかり安らいだ思いでした。

頭ではあれこれと考えていても、体が変わっていたのは驚きなのでした。

そのあと、深いくつろぎの瞑想で、みんなで大方丈で横になって瞑想しました。

ガイダンスの方の指示に従って深くリラックスすることができました。

眠ってしまってもいいというお言葉は有り難いものでした。

そうしてすっかり身も心も空っぽになってしまって、気がついたら私の法話の時間となっていました。

あれこれお話しようと思うことを考えていたのですが、それらは皆忘れてしまっていました。

皆さんの前に坐って思いついたことをそのままお伝えするようにしてみました。

とりとめのない話になってしまいましたが、そのようの法話となってしまったのでした。

これもひとつの流れだと思っていました。

そして、ファップ・ユン師とリン・二ェム師とまじえて鼎談をしました。

主に戒について語りあいました。

五戒をティク・ナット・ハン師が、五つのマインドフルネストレーニングとされたことなどの経緯についてうかがいました。

参加者の方からの質問を受けて気がついたら五時になっていました。

最後には再びファップ・ユン師とハグをして終わったのでした。

驚きと感動の一日となったのでした。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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