第1080回「理想の国を得るには」

先日とある企業の研修会を行っていて、般若心経の世界を話しました。

この世は夢の如く、幻の如きものであることを話しました。

夢のようなものであっても、その夢であると知りながら、なお夢を生きるのだと伝えたのでした。

夢を成り立たせているものは、お互いの五つの構成要素にほかなりません。

物質的なもの、これを色といいます。

それから精神的なものが四つ、受とは感覚、想とは表象、行とは意志、識とは判断です。

これら五つの構成要素によって、自己及び世界が描き出されているのです。

講義のあと質問がありました。

現実の世の中は、格差社会であり、差別があり、戦争が絶えず、先行きも見えない状況であり、この世の中をどうしたらよいのかという問いでありました。

お若い方が、このような思いを抱いてくれることは有り難いことです。

そのときに私は「箸よく盤水を回す」という言葉を紹介しました。

盥に水をいっぱい注いで、その水を回すにはどうしたらいいか。

盥を抱えて動かそうとしても、下手をすると盥ごとひっくり返してしまうことになりかねません、

そんな時に、盥の水の真ん中に一本の箸を立てて、静かに小さな円をかくのです。

小さな円でいいのです。

じっくりとあきらめずに、ずっと小さな円を描き続けると、だんだん波紋をえがくようになり、やがてはうねりとなって自ら回り出すのです。

この世の中をなんとかしようと思って、政治を変えようとお考えになるのもけっこうであります。

社会運動を行うこともけっこうであります。

ただ禅や仏教は、あまり社会運動には深く関わることをしてきませんでした。

それよりも自分の持ち場で、出来ることをコツコツ行うことを大事にしています。

自分の持ち場で一所懸命にはたらいていると、きっとそのまわりが感化されてゆきます。

必ず何らかの影響を受けるものです。

そうしてそれがだんだん大きくなってゆくことを目指していますと伝えたのでありました。

『維摩経』には

「浄らかな仏の国が得たいと思うならば、その心を浄くするのがよい。心が浄いならば、その居る国も浄い」という言葉があります。

仏の国とは、理想の国と言ってもいいでしょう。

格差や差別のない、争いのない理想の国であります。

その国を得るにはどうしたらいいかというと、お釈迦様が心を浄くしなさいと説かれたのでした。

そう説かれてお弟子の舎利弗は思いました。

「もし心が浄ければ、その国も浄いというのならば、お釈迦様が嘗て道を求められた時に、よもや汚れた心を起こされたのではないのに、この世はどうしてこのように汚れているのであろう」と。

お釈迦様はこの思いを知って、「舎利弗よ、目の見えない人は日や月を見ることができない、しかしそれで決して、日や月に光がないとは言えないであろう。

それは日や月の咎ではないのだ。

それと同じく、人人はその罪によって仏の国の浄さを見ることができないのである。

この世は浄い、しかしそれが見えないまでである」と仰せになりました。

この時、その座にあった一人の婆羅門が言いました。

「尊者舎利弗よ、この世界は決して汚れてはいない、神神の宮殿のように澄み渡っている」と。

舎利弗は「私にはそうは見えない、この世界は醜い穢れたものに満ちている」と言います。

婆羅門は「それはあなたが仏の智慧によらず、心に高低の見をもっているからである、菩薩はすべての人人に対うて、平等の浄い心を抱いているから、この国も浄らかに映るのである」と言いました。

この時、お釈迦様は御足をあげて大地を指し給うと、忽ち世界は一変して広広と光り輝き、人人はいつの間にか、皆宝で鏤めた蓮華の座にその身を見出して、驚き眼をみはったのでした。」

という話であります。

このお釈迦様が「足の指を以つて、地をおさえた」というところは大事であります。

足で地面をしっかり踏むのであります。

理想の国といって、頭で描くものではありません。

遠くに求めるのではありません。

この足元なのです。

その企業の研修会の終わった午後は、都内で、帯津良一先生と対談をしました。

書籍にするための対談であります。

対談のあと食事をしていたときに、私は帯津先生に、帯津先生は今一番心に思っていることは何ですかとうかがいました。

帯津先生は、今一番気になるのは、地球の自然治癒力がますます落ちてきていることだと即答されました。

今年の夏の異常な暑さも、大雨も台風も、はては世界の戦争まで起きるのは、地球自身の自然治癒力がますます落ちてきていることだというのです。

地球が自然治癒力を失い、自らを再生する力をなくしてきていることは確かだと仰いました。

そこで私は「では先生、どうしたらいいのですか」と尋ねました。

すると先生は、「大事なのは一人ひとりが、自分のいる場のエネルギーを高めてゆくことです」と答えてくださいました。

それぞれの持ち場で精いっぱい生きて、まわりを明るくするように生きることだと教えてくださいました。

帯津先生は、医療の場であっても、また会食の席であっても、精いっぱい務め明るくなされようとしているとよく分かりました。

理想の国にするには、まず足元から、自分のいる場所で精いっぱい務めることなのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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