第1187回「まるいもの – 円相 –」

『碧巌録』の第六十九則にこんな問答があります。

岩波書店の『現代語訳 碧巌録』から末木文美士先生の訳を紹介します。

本文のみとして、著語は省略しておきます。

「南泉・帰宗・麻谷は、一緒に忠国師に礼拝をしに出掛けた。

途中まで来て、南泉が地上に円を画いて言った、

「言えたら行こう」。

帰宗は円の中に坐った。

麻谷は女性のする礼をした。

南泉「それなら行かないぞ」。

帰宗「何というやり口だ」。」

というものです。

慧忠国師(?~七七五)という方は、六祖慧能禅師(六三八~七一三)のお弟子です。

南泉禅師は、『禅学大辞典』によると西暦七四八年に生まれて、八三八年にお亡くなりになっています。

慧忠国師がお亡くなりになった時には、南泉禅師はまだ二七歳ということになります。

まだ修行時代だと言えましょう。

帰宗も麻谷も生没年ははっきりしません。

南泉禅師も帰宗禅師も麻谷禅師もともに馬祖禅師のお弟子であります。

馬祖禅師のお師匠さんが南嶽禅師で、南嶽禅師のお師匠さんが六祖禅師であります。

南泉禅師にとっては師匠のそのまた師匠の兄弟弟子にあたるのが慧忠国師ということになります。

かなりのご高齢であったことと察します。

朝比奈宗源老師の『碧巌録提唱』には次のように書かれています。

煩を避けるために、漢文の原文を除いて引用します。

「南泉普願、帰宗智常、麻谷宝徹、この三人は共に馬祖道一のお弟子ですが、そのお歴々が三人そろって、当時、高徳の名の高い慧忠国師(六祖の法嗣で、馬祖にとっては法系の上の伯父様に当る)にお目にかかって教えをいただこうじゃないか、こういうことになって、はるばる江西から行脚に出掛けた。」

「南泉和尚が一番先に立っているのですが、一円相というと、丸をぐるぐるっと画くことです。丸を地上へ画いて、」

「君たちがこれに対してはっきりした見処を示して、それが気に入ったら一緒に行こうとこういう訳です。

つまり、一番先頭に立った南泉が、二人の腕前をテストしたのです。

すると、歸宗和尚は南泉がぐるぐるっと書いた円の中へ行ってちょんと坐った。

帰宗が一円相の中へでんと坐ると、麻谷がその前に行って忠国師が、そこにおいでになるという格好か、いや、どうもご気嫌よろしくて結構でございます、というような顔をしてお辞儀をした。

そうすると南泉は、ああそうか、それならもう行かんでもいい、お前たちはちゃんと忠国師にお目に掛ったじゃないかと。

すると、帰宗は一体お前さんは何を考えてこんなことをするか、いい加減なことをやりやがる、妄想かわくなとこういうわけです。

だが、実はここにそれぞれのちゃんと見識があるのです。

なかなか面白いことだ。これはみんな偉い人のやりとりです。」

と書かれています。

円相については『禅学大辞典』には次のように解説されています。

「一圓相

循環して端のない円形のこと。

欠けることなく、余すところのない完全円満の意をあらわす。

宇宙万象の本体の、円明寂静ですべての形を絶し、すべての徳のはたらきをそなえもっている姿を円によって示したもの。

「圓同太虚、無缺無餘」〔信心銘〕

なお円相は南陽慧忠が最初に描いたと伝えられ、禅宗では、弟子を鍛え導く際に、しばしばこの円相を払子などでえがいて、真実絶対の境を示す。」

ということです。

慧忠国師が円相を最初に書いたということから、南泉禅師は、道の途中で円相を書いて示したのです。

この円相が分かれば慧忠国師に逢いにゆくこともあるまいということでしょう。

円相はいろんな禅僧が書かれています。

だいたい一筆で書かれることが多いのですが、盤珪禅師は二筆で書かれています。

「円かなること太虚に同じく、欠けること無く余ること無し」という讃が書かれているものがあります。

白隠禅師にも円相がございます。

「遠州浜松よい茶の出処、むすめやりたや、いよ茶をつみに」

という讃が書かれているものがあります。

誠拙禅師にも円相がございます。

誠拙禅師はよく「誰やらの心に似たり秋の月」と讃を書かれています。

仙厓さんもよく円相を書かれています。

「これくふうて茶のめ」や「これくふてお茶まいれ」などと仙厓さんらしい洒脱な讃を書かれています。

坂村真民先生は円相もよく書かれています。

円相についての詩が二編、それから「まるいもの」という詩も二編残されていますので紹介します。

 円相
世界が円相になった時
殺し合いもやむだろう
弥勒さまのような夢を持とう(『坂村真民全詩集第四巻』)

 円相
円相には
上手も
下手もない
円相は
気合いであり
気迫であり
全身全霊なのだ
不思議な力が
湧き出てくる
不思議な光が
射し出てくる
真民独自の
円相を書こう(『坂村真民全詩集第七巻』)

 まるいもの
よく見てごらん
ろうそくの
まるい光を
たんぽぽの
まるい綿毛を
まるい地球に
まるい月
ああこの
子産石のように
まるくなろう
すべてを包む
まるい愛 (『坂村真民全詩集第七巻』)

まるいもの
わたしは
まるいものが好き
まんじゅうもまるい
まりもまるい
真珠もまるい
果物も殆どまるい
太陽も地球もまるい
ただ世のなかだけが
どうもまだ
まるくならない(『坂村真民全詩集第三巻』)

先日禅文化研究所で円相を書いてきたのでした。

はてさて、まるい円相はなにを表しているのでしょうか。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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