第1211回「ZENエクササイズ」

いよいよ本日五月一日です。

五月となりました。

四月の下旬、修行道場の大摂心を終えて、次の日には京都に行きました。

その翌日に愛媛県宇和島の大乗寺の河野徹山老師の歴住開堂という儀式に参列するために、前の日に上洛したのでした。

その前日の午後から花園大学で、禅文化研究所理事長の松竹寛山老師が、ZENエクササイズという特別講座を開いてくださっているので、是非とも参加しようと思って受講させてもらったのでした。

松竹老師は、ただいま野火止平林寺の老大師でいらっしゃいます。

老大師とは修行時代からとても懇意にしてもらっています。

長い間の道友であります。

老大師は、みそぎの修行や合気道のなどもかなりなさっていて、それから平林寺で長らく修行されて、更に心理学にも造詣が深いのであります。

平林寺の副住職の頃には、大学で講義もなさっておられたほどであります。

ZENエクササイズというのは、十人ほどの小さな講座であります。

当日は老大師をふくめて九名でありました。

またそれくらいの人数だからこそ出来るものだと思いました。

参加してみると、なんと前の学長であった丹治先生も参加なされていました。

丹治先生は臨床心理学の先生でいらっしゃいます。

私が総長に就任した時の学長でいらっしゃいました。

お久しぶりにお目にかかることができました。

なんでも丹治先生も学内で、この老大師のZENエクササイズという講座の案内をご覧になって興味をもって申し込まれたそうなのです。

講座はまずはウォーミングアップから始まりました。

からだをほぐす体操などは私なども修行道場でよく行っていますが、老大師のご指導では、一人ひとりが自分の思いついた簡単な動きをします。

それをみんながまねをして、また次の人が独自の動きをしてみんながまねるというものです。

一人が屈伸運動をすると、ほかの皆がそれをまねするのです。

私は両手をあげて、天井に向かって横に8の字を書く運動をしてみました。

これだけでも九人がみんなひとつになってゆく感じがしたのでした。

それからフルーツバスケットというゲームをしました。

それから更にボイスアプローチというのがあって、呼吸、声をきたえるワークをしました。

これは恐らくみそぎの修行がもとになっているのではないかと思われるものでした。

手を振り下ろす動きをしながら、しっかりと声を出してゆくのです。

四弘誓願を皆で読みましたが、ゆったり読むのではなくて、一息一息手を振り下ろす動作をしながら読むのでした。

それから、心身をととのえるイメージアプローチというのを実習しました。

こちらは老大師が多年習われていた合気道がもとになっていると思いました。

折れない腕というのを二人一組になって作ります。

ただボヤっと手を伸ばしていたのでは、相手に曲げられるとスッと曲がってしまいます。

しかし体を消防のポンプのように思って、手からピューっと水が勢いよく出ているとイメージするのです。

そうしますと、手が曲がらないようになるのです。

折れない腕ができあがるのであります。

イメージを使った方法なのです。

それから合掌、頭を下げる問訊、そして叉手という形も同じようにイメージを使って決めてゆきました。

合掌の姿勢でも、ボヤってしていると押されて動いてしまいます。

ただ消防ポンプのイメージで、指先から水が勢いよく出ているとイメージすると、不思議なことに、相手に前から上から押されても微動だにしなくなるのです。

そうしてひとつひとつの動作を決めてゆきました。

一、二、三と号令をかけて決めてゆくのです。

そうして内観の法を教えてくださいました。

内観の法は白隠禅師が白幽仙人から教わったという独自の方法です。

気海丹田、腰脚、足心と意識をしてゆきます。

私もこれを実習することがありますが、松竹老大師は、実際に気海丹田をさすり、腰脚を両手でさすってしっかり意識してそして脚の裏を床にこすりつけるようにして意識をしてゆくのでした。

更に軟酥の法も教わりました。

これも私などはイメージだけで行っていましたが、老大師は、実際に両手をこすってお薬を作るというイメージをして、それを頭の上に乗せて、更に両手で顔の前の方を浸してゆくように仕草をしながら行うのでした。

これはとても勉強になりました。

こんどイス坐禅の折にでもやってみようとか思ったのでした。

休憩を挟んで、こんどはサイコロジカルアプローチで、自他理解を深めるというワークを行いました。

そのなかで興味深かったのが、公案になってみるZENドラマというのを皆で行ったのでした。

まずは無門関の第一則「趙州狗子」の公案です。

これは「ムー」と無そのものになってみるのです。

無門関では「ある僧が趙州に尋ねました。

「狗にも仏性がありますか」趙州は「無」と答えたという問答です。

そこで、ある一人を決めて他の八人が、その人に、それぞれ「烏にも仏性はありますか」「猫にも仏性がありますか」と聞いてゆきます。

問われた人は、ただそれぞれに「ムー」と答えてゆくのです。

一人一人順番に行ってゆきました。

それから無門関の第三則 「俱胝豎指」を行いました。

これは、俱胝和尚は (禅に関して) 尋ねられたときにはいつでも、一本の指を立てるだけでありました。

それを童子が真似をしたという問答です。

一人の人を決めて他の八人がそれぞれ質問を投げかけます。

「禅とは何ですか」「無とはなんですか」「仏法とはなんですか」と聞きます。

何を問われてもただ指一本を立てるのです。

指一本を立てられたのを見て聞いた方も真似をして指を立てます。

それをみんなで一巡するまで行います。

それから碧録第五十三則 の「百丈野鴨子」の公案を全員で演じてみました。

これはこんな公案です。
「馬大師が百丈と歩いていた時のこと、 野鴨が飛び去るのを見ました。
大師 「あれは何だ!」
百丈 「野鴨です」
大師 「どこへ行った?」
百丈 「飛んで行ってしまいました」
馬大師は百丈の鼻をひねり上げた。
百丈 「イタタタッ!」
大師 「なんだ、飛んで行ってなどおらぬじゃないか」

という問答です。

老大師が誰か馬大師をやる人はいませんかと言われたので、私が真っ先に手をあげて馬大師になりました。

相手の百丈の方を決めました。

その他の人たちは、野鴨となったのでした。

野鴨たちがパタパタ羽根を羽ばたかせながら飛び立ちます。

馬大師になった私が「あれは何だ」と問います。

百丈役の方が、野鴨ですと答えます。

どこへいったと私が問いますと、飛んで行ってしまいましたと答えます。

鼻をひねりあげるのはさすがに、仕草だけであります。

イタタタといったところで、飛んで行っておらぬではないかと言って、そのまわりを鴨たちが飛んで回るのです。

どれも難しい禅問答なのですが、こうして楽しく学ぶことができるとは驚きでありました。

それから最後にサイコドラマというのを行って終わったのでした。

これは少し説明するのが難しいので省かせてもらいます。

自分ことを他の人の身になって見てみるのです。

自分ことを俯瞰できるようになるものでした。

ともあれ、二時間の講座が楽しくアッという間に終わったのでした。

こんな老大師がご指導なされている修行道場は素晴らしいと思いました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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