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「自傷行為はその人の責任ではない」という話と、自傷行為と向き合う医療機関の方へのお願い

ちょっと重めのテーマになってしまいましたが、ずっと書きたかったことについて書きます。
 
僕は、これまで何回か「自傷行為」や「自死」と呼ばれる行動に出会って来ました。
高校生の時も、大学生の時も、そして今も。

ある時は友人が、ある時は知らない人が、それぞれの環境や想いから、あるいは病気による影響から「自傷行為」をしていました。

ただただ話を聞いたこともあったし、直前まで行ってしまった友人をなんとか力ずくで止めたこともあったし、そうなってしまった後に一緒に救急車に乗ったことも何度かありました。

彼らの話をじっくり聞いていていつも思うのは「自分もその環境だったら、そうなっていたかもな」です。

全てのケースがそうとは思いませんが、少なくとも私が出会った「自傷行為」の背景のほとんどがそう思わされるものでした。

つまり、自傷行為を行なってしまう状態は誰にでも起こり得て、その理由の多くは「環境」なんです。
本人が悪いわけではないんです。

例えば虐待。
虐待の被害を受けた人に何人か出会ってきました。彼らの多くは、自傷行為をしていました。

自傷行為につながる理由は様々です。
ただ、みんな口を揃えて「生きるためにやっている」と言います。

「生きたい。だけど心と体が(多大なるストレスで)バラバラになりそう。」
「自分を傷つけることでなんとか保っている。無理にやめさせないでほしい。」
「ダメだとわかっているけど、やめられない。」

心の強さは、ある程度生まれつきのものもあるでしょう。
強い人に負荷がかかっても、自傷行為までいかないかも知れません。
でも、それは「たまたま」ストレス耐性の強い人に生まれることができただけなんです。

僕も、きっと虐待を受けたり、ひどいいじめにあったりしていたら、自分を傷つけることで保っていたと思います。

なので自傷行為に頼ってしまって苦しい人にも、それを知って苦しい人にも、自傷行為が理解できない人にも伝えたいです。

自傷行為は、その人の責任ではない、ということを。

その上で、少しずつでいいから、自傷行為ではない方法であなたを支えられる方法を、いくつもいくつも見つけたいです。

とはいえ僕も、理解できないことが多々あります。それでも、理解できないと悩むことが答えだと思っています。

それからもう一つ。

一緒に救急車に乗ったり病院に行ったりすると、自傷行為で傷ついた人への対応は「冷たい」ことが多々あります。

気持ちはわかります。忙しい中で、時には夜間に、自分で自分を傷つけた人の対応なんて、と思いますよね。

でも、やっぱり本人だってしたいと思っているわけではないんです。そうしなきゃ生きていけないんです。

ある人は、自傷行為で病院に運ばれて「もうしない」と医師の方に約束させられて帰ってきました。
先生の気持ちはわかるけど、もうしないでいられるかどうかの分岐点は「約束」ではなくて「つながり」です。

自分で自分を傷つけてしまう彼らに、そうしないと生きていけない「環境」で生きる彼らに「なんでこんなことしたの」という目を向けないでください。「もうしない」という約束を押し付けないでください。

それは、残念ながら意味はないし、むしろ悪化させるからです。

救急隊の方。医師の方。看護師の方。その他、そんな彼らと出会った方々。
忙しいかも知れませんが、夜間などにご迷惑かも知れませんが、どうか出会った時には、彼らの手を握ってあげてください。

「辛かったね」「よく今日まで頑張ったね」「もう大丈夫だからね」と、声をかけてあげてください。

『自分には受け止めてくれる人がいる』。
その感覚の積み重ねでしか、僕は自傷行為は乗り越えられないと思っています。

もちろん、本人たちの努力も大いに必要です。
それができるように、まずは安心できる土台も一緒に作っていかなければなりません。

せめて彼らが傷ついた先に出会う人が、その人から発される目線や言葉や仕草が、優しいものであることを願っています。


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