○○のせい、の○○は何処に?

緊急事態宣言が延長された。バイトが休業になった。

自動車免許の教習所の電話予約に競り負けた。

近所の道路が工事のために封鎖されている。

これは事実だ。


私はずっと家にいる。

春が近づき、雨が増えてきた。私は免許を持っていない。最寄りの駅は車で15分、自転車で25分、歩けば1時間かかる。先日、教習所の短期集中プランに電話予約で競り負けた。教習所のために空けておいた来月4月の1カ月がふいになった。

緊急事態宣言が延長され、再開見込みだったバイト先が休業延長を決定した。かれこれ、昨年の12月下旬から現在まで、2カ月半以上休業している。

代わりとなる新しいバイトを求めて、12月から4つ応募した。2つは面接もしたが落ちた。2つは連絡が来なかった。面接したうちの片方はもっとも最近応募したもので、休業しているバイト先のシフトと行くはずだった教習所のスケジュールに合わせて、出勤を考慮してもらった結果、面接の最初の段階で「残念ですが…」ということになった。その考慮してもらったスケジュールは両社とも無くなったのだが。

大学の後期授業も修了し、あとは5月からの新生活を待つのみ、それまで現在進行形でニート続行となってしまった。

数日前から、私の家から数メートル先の複数の道路が新道路開発工事のために封鎖されている。そのため、最寄りのコンビニに行くにも、ぐるっと大回りしなくてはならなくなり、3分で行けた道が10分ほどかかるようになった。どうやらそれは今月いっぱい封鎖され、開放されたとしても、そこには中央分離帯が作られることになっており、通り抜けはできない作りになるようだ。この近辺に住む人々は、この封鎖された複数の道路のために、迂回を余儀なくされている。

そんなことが重なり、私はずっと家にいる。

致命的に要領が悪い?そういわれれば黙るしかない。他にやりようがあり、いくらでも最善策はあるだろうが、随所に障害物が用意されている。まるで、封鎖された道路のようだ。運が悪いのだと思わないとやっていられない。大体、バイト休業も道路工事も私の意志とは関係ない。そう思わなければ、なんか自分が超ダメな奴に思えてきてダメになりそうだ。

以前、「休業になったバイトの代わりが見つからない」と知り合いの大人に零したところ、「それは自分のせいでしょ?努力不足だよ。コロナのせいにして逃げてるんでしょ。」と説教された。私はこの発言に(何のバックグラウンドも知らずに…。)と完全に頭に来て、家に帰ってからもしばらく頭を悩ませ続けた。家族には「そういう発言が簡単に出来るのは自分が恵まれた環境にいると気付けていない人だよ」と慰められ、私自身も、事情も知らない他人が本質的に私を傷つけることはできないと分かっていながら、自分から世間と比較して、自分を「バイトも見つけられずにずっと家にいるダメな奴」と思って精神的に追い詰めている。自分さえ、そんなことを考えなければ楽でいられるはずだが、結局、自分を追い詰めるのも自分なのだ。

なにかのせいにすることで逃げられればいいが、例の発言によって、コロナのせいにもできず、かといって自分のせいでもない。「○○のせい」って便利な言葉だ。私は「○○のせい」という言葉のせいで苦しめられているのだろうか。「○○のせい」の永遠ループ、ゲシュタルト崩壊。世の中は因果応報なのか。はーーーー、開放されたい。

ああ、社会生活を忘れそうだ…。バイト探しはつづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?