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子どもに「勉強しなさい」だけは言わない

宿題をやらないとき、家にある問題集や塾の宿題をやらないとき。
なんて声をかけていますか?

小学生の子は、毎日まいにち宿題を持ち帰って来ます。
宿題がない学校でも、家にある問題集などの課題を持っていることが多いのではないでしょうか。

毎日まいにち。やっている内容は違っても、同じことを繰り返しています。
毎日まいにち。長いです。そんな長い旅路の中、時々宿題や問題集をやらない日もあるのではないでしょうか。

我が家にもそんな日があります。宿題や問題集をなかなかやらない日もあります。
そんなときは声をかけます。

でもこれだけは絶対に言いません。

「勉強しなさい」

「勉強」は嫌いだ

私は「勉強」という単語が嫌いです。
理由は簡単で、小さい頃から散々「勉強」「べんきょう」言われてきたからです。
「勉強しなさい」は高校卒業までたくさん言われてきた、最も嫌いな言葉です。

なんで嫌いだったのか。
勉強は嫌なもので、辛いもので、苦労するものだから、と刷り込まれてしまったからです。

ゲームやりたいといえば「遊んでないで勉強しなさい」。
公園で遊びたいといえば「遊んでないで勉強しなさい」
〇〇屋さんになりたいといえば「もっと勉強してなれる職業にしなさい」(※)。
言われたことがある大人は私だけではないはず。

「勉強」とは、私にとって遊びたいことを我慢して勉強をするのが「美徳」であり、子どもは勉強するものだ、というメッセージだったからです。

※これは特定の職業ではダメだ、といった意図は全くありません。
 ここでは難関大学突破で高給取りになれる可能性がある(と言われる)職業を目指せといった意味です。端的に言うと医者や獣医など。
 昭和最後の生まれの子ども時代、平成初期は「いい大学に行っていい会社へ就職を」の空気がありました。

「知る」は楽しい

でも本当は違います。勉強は楽しいです。
ただ、勉強という言葉は大嫌いなので言い換えると、知ることは楽しいです。

私の現在の職業はフリーランスSE(システムエンジニア)ですが、わからないことの方が多いです。
得意分野は知っていることが多いですが、それでも知らないことはたくさん、山のように出てきます。
たくさん調べて、たくさん知って、たくさん考えて、たくさん実験(※パソコンでコードを書いて実行して動きを確認する、たまに開発サーバーを停止させる)します。
全部は知らない前提で進むことがほとんどです。でもやればできます。

新しいこと、やりたかったことができたときはすごく楽しいです。
その瞬間、また新しいことを知ることができているのです。

仕事以外でも、たとえば気まぐれにつけたローカル番組で地元の企業が〇〇賞を取ったと知れば、地元のことを1つ知ったことになります。
書店を歩けば流行りの本を知ることができます。これも楽しいです。
Amazonのトップページを開けば自分の好みにあった新しいものが紹介されています。色々な商品を知ることができて楽しいです。
ネットを歩けばパーソナライズ広告が出てきます。セールを知ったり、今までは知らなかった興味深い商品が出てくることもあります。広告は毛嫌いされがちですが、広告がなければ世の中に今どんな商品があるのか知ることはできません。

こんなふうに、新しいことを知ることができると楽しいです。
色々例を出しましたが、きっとこれを読んでいるあなたにも「そういえばこれを知って楽しかったな」ということが毎日1つはあるはずです。

not「勉強」

では子どもに対して宿題をやったかどうかの確認はなんていうのか、遊んでばかりいるときはどう聞くのか、というと、私の場合は宿題であれば「もう宿題終わったの?」と聞きます。宿題はNGワードではないからです。
または「学校の課題はやった?」と聞きます。
その他の家の課題であれば、我が家は進研ゼミなので「コラショ(※)やった?」、「プリントやった?」と聞きます。
※進研ゼミ小学講座に出てくるキャラクターの名前

家のルールで「宿題」および進研ゼミやプリントをやらないとゲームやテレビはできないルールです。
なので、私から聞いたときにやっていなければ「今からやるよ~」と言ってくることがほとんどです。
面倒なときは後回しにしていることもありますが、ゲームやテレビができないだけです。今のところ、寝る前までには必ず終わらせています。
が、金曜日だけは多めに宿題が出ることもあるので、その一部を「明日やる」にしていることもあります。土曜日はお休みなので、宿題を分けてやっても大丈夫ですね。

「勉強」は外で腐るほど聞いているはず

「勉強しなさい」「勉強できるんだね」「べんきょう」「ベンキョウ」
…きっと家の外では散々言われています。
学校では自然とそういうでしょうし、私以外の大人も自然と「勉強」と言っていると思います。
それも「遊んでばかりいないで勉強しなさい」といった、マイナスの感情を呼ぶものが多いと思います。
別に使ってはいけない言葉ではありません。ただ私が嫌いなのと、「勉強」という単語を嫌いになってほしくないから、絶対に言いません。

「知る」は「楽しい」

「勉強」は辛いイメージがありますが、「知る」は楽しいです。
新しいことを知ったとき、子どもがうきうきして報告しに来ることはありませんか?あれを忘れないでほしいなと思っています。
そのためには、「勉強」にマイナスイメージを持たないでほしい。だから「勉強しなさい」などとは私は絶対に言わないようにしています。

現在、「知る」は「楽しい」ので、面倒がることはあっても課題に取り組むときに全力で嫌です、とはなりません。いつまでもやらないといったこともありません(ただし本読みだけは嫌がります)。

ゲームとテレビやりたいからやる側面も絶対あります。

また、「知る」を嫌なことだと思っていないので、ある日突然
「天気ってどうなってるのかな。詳しく知りたいな」
「岩ってどんな種類があるんだろう?たくさんあるよね」

と自分から言ってくることもよくあります。
後日、その関連の書籍や図鑑を買ってあげると大喜びです。読んだ後は書いてあったことで面白かったことを教えてくれます。
「勉強」と同じで「本を読みなさい」も勉強のためによく言われることだと思いますが、この子の場合は本を読むことが勉強だと思っていないから問題なくできるのだと思います。
でも本当は「知る」ってそういうことですよね。楽しいことですよね。

こちらにも書きましたが、継続して新しいことができるようになる経験があるので、やればできることを体感的に知っているからかもしれません。

「勉強しなさい」は絶対に言わない

私が言われて一番嫌だった言葉です。「勉強」は本当に辛いもので、ちっとも楽しくなくて、ゲームをやっていた方が何倍も楽しかった。
大学進学までは勉強を頑張ったけど、大学生のときに勉強をそれまでと同じくらい頑張ったかというと頑張っていない、と断言できます。
幼稚園年少から公文に通い始めて約15年間、勉強べんきょう言われ続けて、本当に嫌でした。勉強は確かにできたし、大人になってからも勉強のやり方、つまり「知る」の方法を知っていたので何かと助かりましたが、今でも勉強は嫌いです。「知る」が良いです。
自分がそうだったからといって、自分の子どもにも毎日のように言われて嫌な思いをしてほしくない。

だから私は「勉強しなさい」は絶対に言いません。

その方が、「知る」楽しさを忘れないでいてくれると思っています。


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