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連載第二回・江戸元禄期大堀相馬焼復刻までのあゆみ

こんにちは!

縁器屋の佐々木です。


前回は300年前の大堀相馬焼にどのようにして出会ったのかをお届けしました。


第二回、元禄自体の大堀相馬焼の復刻は順調に進んでいくのでしょうか…?


復刻への第一歩

江戸元禄期の大堀相馬焼を復刻しようと心に決めた松永はまず、実家である松永窯に試作の依頼をしました。

しかし、あっさりと「できない」と断られてしまったのです。早速挫折です。

でも、それもそのはず。東日本大震災での被災からようやく避難先で窯を再建したばかりで、大昔の大堀相馬焼の研究開発をしている時間も余裕もなかったのです。


大堀相馬焼の現状

大堀相馬焼は一子相伝的で子供や親戚のみで営んでいました。

「福島」という範囲でなく、「浪江」さらには「大堀」関係者でないと。。というような雰囲気。

昔は益子・笠間に技術を伝え、東日本一の産地を誇った大堀相馬焼ですが、バブルを絶頂にだんだんと産地の売上規模が縮小。 震災前は行政や地元有力企業などからの注文でぼちぼち運営しているような状況でした。

ただ、その「ぼちぼち」感で「作ってさえいれば良い」という感覚に陥り、新しいものへの挑戦や革新の空気は弱まり、 外部からの新しい風はおろか、若い後継者が活き活きと活動できる風土もなくなりつつあったのです。

結果的に後継者は減りさらに窯元も減っていきました。

そして、そこに震災が起きました。
25件あった窯元は離散し、現在は福島県内外に10件の窯元が再建しています。


諦めない

試作を断られてしまった松永ですが、そんなことでは諦めません。

まずは福島県郡山市にあるハイテクプラザを訪ねました。ハイテクプラザは福島県における工業の振興を図るための公設試験研究機関です。

再建した大堀相馬焼の釉薬の原料を再現する際にもお世話になった施設です。

そのハイテクプラザで、元禄時代の陶器の土を分析していただきました。

すると、長石という鉱物が多く、上質な粘土が使われていることが分かりました。

原料に一歩近づきました。

難しいこともたくさんありますが、復刻への第一歩を踏み出したのです。


第三回もぜひご覧くださいね。


現代に蘇った江戸元禄期大堀相馬焼はこちら

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