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【Digression】ことば、ことぶく、ことほぎ

面倒くさがりな上によく面倒くさがられるわたしだが、それでもたまに話を聞いてくれるひとがいる。そしてそんな稀有なひとはもちろん話を聞いているだけではなく、いろいろなことをわたしに話してくれる。

わたし自身がうまく言い表せていないことについて、「あぁ、そういうことかもしれない」と思ったことがあった。

ことかげ、ことぶれ

「そういうことかもしれない」と書いたけど、これで原因がわかったわけでも、それをどうすべきかなんてことも別に明確にはなっていない。

強いて言うなら、これは日常で感じた嫌な感じや違和感について、少し輪郭が浮かび上がった感じかもしれない。

たとえば、何かを新しく知ったり、学んだりすることは楽しいこともあるだろう。また必要があれば"勉強"もするだろうし、"仕事"をひたむきに遂行していくこともあるだろう。

時折、そういった「なにかしなければいけない」という状況下での"それ"について、なんとなく嫌な感じを覚える。

これは(もちろん嫌な作業もあるし、作業が嫌なこと自体も多々あるが)単に作業が嫌だとかそういう話ではない。

はらり、はれゆく

「大人なんだから」と言われれば(怪しいが)、まあそうなんだろう。
ただ"割り切って"何かする、ということはできるし、これまでもしてきたつもりだ。
でもこの嫌な感じは「"割り切る"ことを割り切ってする、ということについての嫌な感じなのではないか」、あるいは、なんらかの"勉強"や"仕事"、"タスクといわれるようなもの" が嫌なのではなく、「仕事やタスクをしている、ということが嫌のではないか」という考えにすこしハッとさせられた。

これは、別に「檻が嫌なのではなくて、檻の中にいるのが嫌」なのだというわけでもない。強いて言うなら「檻のなかに入っているのを見るのが嫌だ」というのが近いかもしれない。

(何らかのタスクや作業、役割を"檻"といってしまうといろいろな語弊があるかもしれないが)しかし、自分が「何らかの束縛」をともなうような行為にあたる際に感じる嫌な感じとは、こういうことだったのかもしれないと、思わされた。

ひとごと、ひとりこと

この交流〔Verkehr〕を通して、自分の中のもやもややちょっとした感じが整理されてきたように感じる。上と似たようなことになるが、別にこれが解決策を示してくれたり、打開策になったりとか今のところはない。けれどもそれなりに有用なものの見方や考え方のきっかけになったような気がする。

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