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見た目だけではわからない?!

一休和尚はボロボロの袈裟を着けて法要に行こうとしていました。
派手な袈裟を付けて意気揚々としている他の送料たちは一休を嗜(たしな)めました。

「そんなボロボロの袈裟で法要に出るとは恥ずかしくないのか?」

一休和尚は派手な袈裟をつけた僧侶たちに言いました。

わしはとても風流と思うがのう。
厳頭和尚を思い出してみろ。
仏教弾圧の時代、厳頭和尚は船の船頭に姿を変えて、修行を続けた禅僧だ。その姿は何と風流ではないか。
他にもいるぞ。
薬山和尚は、牛小屋で修行し、ボロボロの鍋で草や木の根っこ食べながら修行を続けた禅僧だ。禅僧というステータスを気にすることなく禅を全うした和尚だ。
京都から偉い人がきてるのに、無視して鼻水を垂らしながら焼き芋を焼いていた。権力に媚びないらん残和尚もいたなあ。


一休和尚は、くだらないことには脇目も振らず禅の道を全うすることが本当の禅僧だと言っているのですね。「派手な袈裟や法衣を着ることは、禅とは程遠い全く関係ないぞ!喝!!」そんな一休和尚の声が聞こえてくるエピソードですね。

私たち一般人もつい見た目で人を判断したり、自分自身を着飾ることだけを考えて、本当の目的や生きる道を忘れてしまうことがあります。そんな時は、一休和尚の言葉を思い出しましょう。


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