見出し画像

それって、ホントに人のせい?

今風に言えば、『徒然草』はTwitter。まさに「つぶやき」総集編みたいような内容で、現代にも通じる、なかなかの皮肉と鋭い指摘がたくさん収められています。

何でもかんでも、「こうなったのは、あの人のせい。社会・世の中のせい」と、つい思ってしまう人へ向けた吉田兼好のメッセージが、『徒然草』第171段「貝を覆ふ人の」です。
私訳はこちら👇

自分の外に向かって求めるのではなく、まずは自分の足もとをしっかりと質(ただ)すことが大事である。

それはあたかもカルタをしている時、自分の膝元を見ずに他人のところばかり探して、自分の目の前のカルタを他人に取られてしまうようなものだ。

政治でも同じことが言えるだろう。内政がしっかりと治められていないと、必ず遠国が反乱を起こす。

人は誰でも、「他人には厳しく、自分には甘い」ものです。
皆さんも他人に注意したことが、果たして自分でできているか、省みてみるといいかもしれませんね。

例えば親が子どもに「部屋を片付けなさい」「勉強しなさい」と注意しても、自分は何もせずにソファーに横になって、ビール飲みながらテレビを見ていては、説得力はありません。

もう一つの例。国立教育政策研究所の調査によると、八割近くの保護者は自分の子どもの教育が「うまくいっている」と思っている一方で、社会全体の家庭教育力については七割以上の保護者が「低下している」と答えています。このような「自分の家庭はいいけど、他がねえ…」という思いは、まさに自分にあまく他人に厳しい典型的な事例です。

そうした人の性(サガ)を兼好は、「まずは外に求めるのではなく、自分自身を正すことが第一」と指摘しています。

徒然草171段


偉人たちが唱えることは、共通点があります。
「看却下」を標榜する臨済禅開祖である臨済義玄禅師も「外に向かって求むることなかれ。求むることあれば、皆苦なり」と、兼好と全く同じことを説いています。

ビジネス界でもスポーツ界でも世の成功者たちを見渡してみると、他人に優しく、自分に厳しい人が多いようです。

目の前にあるカルタを探さず、人の辺りに眼を配る、という兼好の例はとても心にグサっと来ますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?