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どうして死は怖いのか?

素直に考えて下さい。死というものを想像すると、なんだか怖いと感じたりしませんか?
お盆だったからなのか、終戦の日を経たからなのか、ふとそんなことを考えていました。今回はえんじろうなりに思った「死はどうして怖いと思うのか?」について綴ってみます。

いきなり本題

死の話題について最初は定義から書こうと思いましたが、そんなの知りたければすぐに調べられることだし、ここは話の勢いをそのままにもうえんじろうの考えを書きますよ。

大扉のイラスト

ズバリ「先が判らないことだから!」これだけなんだろうなって思うんです。人は常に先々の心配ばかりを繰り返す生き物です。それは大脳が発達したことで出来上がった思考なのではないかと思います。

人は未知に恐怖する

先が判らないことは不安。当たり前ですよね。だからあれこれと予測を立ててああ来たらこう行動するというパターンをいくつも考え出します。無数の想定内から次の行動を決めるとき、安堵感を覚えます。

僕は思うんですよね。この働きがなければ、人は不安を感じることはなかったのではと。同時に安心の担保もできないとも思いますから、否定するわけじゃないのですよ。
不安感が予測を立てる動機になっているとも言えますね。

脳は近未来予測装置

こうして人は普通に未来予測を行うようになり、これによりそれがない場合よりも遥かに安心安全に対する確率を上げることができたのでしょう。
そう考えると「ああなればこうなる」を経験から検討し、最も適した対処を選択する脳というのは、近未来予測装置とも言えるのではないでしょうか?

ウイルスのイラスト

風邪もインフルも、ある程度先の動きは判っています。発熱が始まる、関節の痛みなどあったりして熱も高め。やがて下がってきて治る。
初期のコロナはそれが誰も判らないし対処法も判らなかったからこそ、あれだけ騒いだのですよね。発熱してそのまま死んでしまうかも知れない。治す薬がずっと見つからないかも知れない。
ある意味文明の発達により、人間は「かも知れない」という心境に耐えられないほど弱くなっているのかも知れません(あっかも知れないを使っちゃった)

死が怖い原因

この間死んだんだけど、しばらくして生き返ったからここにいるんだよ。などという人はいません。
それなのにそれを予測したいと思ってしまうから、いつまで立っても解決せずに目処が立たない不安ばかりが増幅される。
その結果が「死は怖い」という状態のように思うんです。

今読みたいなと思っている本に、こういった不安要素を予測して対応を考えさせる部分は左脳の下の奥にあるという話も聞きました。
痛みと同様に、なければ良いというものではありませんね。でも「死」みたいな同しようもないものに対してこの感覚は必要なのかとも疑問に思います。

えんじろうはどうなの?

大きなクエスチョンマークのイラスト

えんじろうももちろん「死」は怖いです。でも死そのものは怖いというよりただ「判らない」という気持ちだけです。
えんじろうが怖いのは「死に方」の方だったりします。苦しい思いをするのだろうか?人に迷惑をかけてしまうのではないか?そんなことを合わせて「怖い」と考えてしまいます。

迷惑をかけずに葬儀まで終えることはできないでしょうから、それは考えても無駄な話かも知れないけれど、苦しさを感じながらゆくのは嫌だなあと自分勝手なことを考えてしまいます。

虫たちは無視してる?

植物と虫たちのイラスト

ところで最近庭を歩くと一歩ごとに飛び出すバッタやセミたちは、どう考えているのでしょう?
インタビューしたいのですが、答えてくれなさそうです。でもセミもバッタも、あまり未来予測の上で行動しているようには見えないのです。だから予測不可能なものへの不安や恐怖自体がないように見えるんですよね。
バッタは足が取れたときにも、残った足で成すべき行動を成そうとする。そこに不安や迷いを見て取れないので、迷ってばかりのえんじろう的には、その迷いのなさにむしろ格好良く見えたりします。

植物たちもそう。みんなただ目の前の出来事に淡々と向かい合っているように見えます。

反射で生きる

そういうのをよく「反射で生きているやつ」みたいに言うこともあると思います。反射は手身近な神経ネットワークで、起こった現象に速やかに対処する仕組みです。
そう考えると反射の仕組みそのものがひとつの具体的な未来予測の対処法という風にも捉えられるような。

自問自答の示す先

金魚鉢の中の脳のイラスト

なぜこんなことを考え始めたのだろうか?それはノートに書く材料をネタ帳に記しているのですが、そこに書かれていたからです。
ではなぜネタ帳を用意しているのだろうか?それは思いついたことを忘れないために。
なぜ忘れたくないのだろうか?それはノートに記事をたくさんストックしておきたいから。
どうしてストックしておきたいのだろうか?毎日記事を書こうと思ったときに、ネタ探しで困りたくないから。

この話題を考えついた事自体が、脳の「近未来予測機能」が招くノート記事のネタ切れ不安に対する対処に過ぎないというわけですね。
もっと問答を続けてゆけば、そもそもノートをなぜ続けたいのというところにも行きますね。答えは出せるのだろうか?でも何となくやばい気付きが待っていそうだから、そこまでは考えないようにしよっと(謎)

お付き合いありがとうございました。これでストック記事が全部なくなりました(だめじゃん)



#enjiro #えんじろう
#死 #思考 #人間 #脳 #未来予測

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