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プログラムノート公開第二弾! 「ヴィヴァルディとゼレンカ 18世紀の教会音楽」

先日のプログラムノート公開第一弾の、小池耕平リコーダーリサイタル「ヴィヴァルディとその周辺」に続く第二弾です。
今回は、青木洋也さんの合唱器楽アンサンブル、コレギウム・ムジカーレの演奏会「ヴィヴァルディとゼレンカ 18世紀の教会音楽」のために書いたものです。
どうぞお楽しみください。
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<ドレスデンとフィレンツェ、そしてゼレンカとヴィヴァルディ>

今日の演奏会でとりあげられるゼレンカ(1679〜1745)ヴィヴァルディ(1678〜1741)は、それぞれドレスデンとフィレンツェで長く活躍しました。
当時の交通事情などを考えればザクセン、ポーランドの影響を受けていたドレスデンと北部とはいえイタリア(当時は国家として存在しませんが)のフィレンツェは近くありませんが、この二人の音楽には強い関係性があります。

今日の演奏会で演奏される曲は1710年代後半から1720年代前半に作曲されたものですが、1716年頃にドレスデンの宮廷楽団の精鋭メンバーがヴェネツィアを含めイタリアを訪問していることは、ヴィヴァルディの作曲欲と、ゼレンカがイタリア音楽のトレンドや作曲技術の影響を受けることにおいて、これらの作品群になんらかの影響があると考えられます。
この時期の二人の状況を簡単におさらいしておきましょう。

作曲家であり優れたヴィオローネ奏者であったゼレンカは1710年頃にドレスデン宮廷楽団にヴィオローネ奏者として仕えます。1720年前後のドレスデン宮廷楽団は、「ポーランド王室及びザクセン選帝侯のドレスデンのオーケストラほど多くのヴィルトゥオーゾが集まっているところはない」と当時称されていました。楽長にはハイニヒェン、ヴァイオリンにはピゼンデル、ヴェラチーニ、フルートにはビュッファルダン、オーボエにはリヒター、リュートにはヴァイスというスター軍団でありその演奏技術の高さとともに、彼らはその作曲の腕をふるうこともできる環境だったということができます。

ヴィヴァルディは、聖職者として1703年にピエタ慈善音楽院のヴァイオリン教師として赴任して以降、1713年から1716年に合唱・合奏長という最高ポストに付きます。その後もピエタの協奏曲長、マンドヴァの宮廷楽長として活躍していた時期であり、ヴィヴァルディの名声がヨーロッパに広まり人気作曲家となっていました。

ヴィヴァルディとドレスデン宮廷、そしてゼレンカのつながりは、ザクセン選帝侯の嫡男フリードリヒ・アウグスト2世が1711年から1717年にかけて行ったグランドツアーが発端となります。アウグスト2世は3度ヴェネツィアに滞在しますが、よく知られるのは1716年2月から1717年7月にかけての滞在で、ヴァイオリニストのピゼンデルがヴィヴァルディの弟子となり、その才能に対していくつものヴァイオリン曲をヴィヴァルディが作曲したことです。この時、アウグスト2世は宮廷楽団の精鋭メンバーを室内楽団としても引き連れており、上記のリヒター、ゼレンカ、それに宮廷オルガニストのペツォルトなどもヴェネツィアに来ていたのでした。彼らは北方の音楽をイタリアで演奏すると同時に、イタリアの音楽を(ピゼンデルだけでなく)北方へ伝える役割も果たしました。
実際、現在ヴィヴァルディの自筆を含む手稿譜がトリノ国立図書館のコレクションについで、ザクセン州立・大学図書館に多く残っていることからも、ドレスデンがヴィヴァルディの楽曲を伝える北方のセンターであり、ゼレンカはその直接の影響下にあったことを示します。

ゼレンカの楽曲の特徴の一つに高度な対位法的な技巧が見られます。これはブクステフーデなどのオルガン曲を源にし、バッハを頂点とする対位法の重視といえますが、同時に今日のプログラムで声楽ソロに見られるような歌う心というのは明らかにイタリアの影響を感じさせます。バッハもそうであったように、イタリアの歌心を研究し、取り込み、それを対位法的な技巧とも組み合わせることが後のドイツ音楽の優位性の基盤となったといえるでしょう。
余談となりますが、単にヴィヴァルディの楽譜がドレスデンに伝わっただけでなく、後にイタリアでの人気に陰りが出たヴィヴァルディは1730年代前半にドレスデン宮廷に自作の楽譜を大量に送っており、なんらかのポジションまたは仕事を求める活動をしていたと思われます。そして同時期ゼレンカはアウグスト2世がザクセン選帝侯になると宮廷楽長となることを求めて楽曲の献呈と請願を行います。(さらにバッハもロ短調ミサの元となるキリエとグロリアを同時期にドレスデン宮廷での肩書を求める手紙とともに送っています)
結局、宮廷楽長はハッセのものとなり、ゼレンカは教会音楽家というポジションに落ち着きます。そしてヴィヴァルディの楽譜の一部は宮廷でなくゼレンカの所有となっていたことは、一つの大きな謎となっています。ゼレンカはヴィヴァルディの楽曲に強い興味を持って手元に置いていたのか、それともヴィヴァルディの就職活動を邪魔だと思っていたのか。最後までこの二人にはなんらかの縁があったのでした。

このように、ヴィヴァルディとゼレンカ(またはドレスデン宮廷)には密接なつながりがあり、今日の演奏会は、その濃厚な接触の時期に作られた曲たちを聞くことができるプログラムなのです。

<曲目解説>

ヴィヴァルディ:ヴィオラ・ダ・モーレ協奏曲 ニ短調 RV.393

多彩な楽器と組み合わせによる協奏曲を多く残したヴィヴァルディは、この共鳴弦のついた弦楽器のための協奏曲も6曲残しています。ヴィヴァルディは1713年にピエタ慈善音楽院の合唱、合奏長になって以降、慈善音楽院内外で演奏するための多くの器楽曲を作曲しており、この協奏曲はその時期、当時、ピエタ慈善音楽院にいたアンナ・マリアという名前の奏者(弦楽器、管楽器、鍵盤楽器すべてに優れていたといわれ1737年には合唱長になります)のために書かれた協奏曲の1つとみられています。
典型的な急ー緩ー急の三楽章形式からなり、共鳴弦の特徴的な響きと第2楽章に見られるソロで聞かれる豊かな和音の響きが、ヴィオラ・ダ・モーレという楽器の音の美しさを際立たせています。

ヴィヴァルディ:ニシ・ドミヌス「主が家を建てられるのでなければ」 RV.608

アルト独唱とオブリガートを担当するヴィオラ・ダ・モーレを含む弦合奏と通奏低音からなる、この旧約聖書詩篇第127番はソロモンが主の護りの重要さと大事さを詠んだテキストであり、ヴィヴァルディはこれを9つのやや小さめの楽曲(器楽曲、頌歌、詩篇テキスト)で構成するという、彼自身の他の宗教曲とは異なるアプローチをとっています。もう一つ大きな特徴としては器楽が協奏曲的な要素を持ち、それと声楽部分との絡み合いがよりこの曲の全体の構成の密接さを増しています。
これは当時、クヴァンツが「ピエタではあらゆる面で最高レベルの宗教音楽を女性たちが演奏し、聞くことができる」と述べたような、高度な技術に耐えられる演奏者たちをヴィヴァルディが身近に持っていたからこそ作られた曲と言えるでしょう。

ゼレンカ:聖木曜日の第一哀歌、聖木曜日の第二哀歌(「聖週間のための6つの哀歌」ZWV53より)

旧約聖書の「エレミヤの哀歌」を元としたこの曲は聖木曜日から聖土曜日までの3日間、2曲ずつの計6曲から成りますが、今日は聖木曜日の2曲が演奏されます。楽曲のテキストとして「哀歌」はルネサンスからバロック初期には人気でしたが、後期バロックにはあまり作曲されなくなっていました。
「哀歌」は元々聖木曜日から聖土曜日に1日3回朗読され、その朗読するというスタイルが、声楽のソロ(第1曲がバス、第2曲がアルト)が合奏とともに歌うスタイルに継承されています。テキストの哀切な内容に伴い2曲とも色調は第2曲の冒頭を除くと暗めですが、特に注目すべき点は、声楽ソロはまさに哀歌を朗唱し続け、伴奏側が様々なリズムや拍子、対位的な技法で彩っていくことで、そこがこの曲が名曲であり聴きどころということができます。
余談ですが最後に曲名について。
ゼレンカは自筆譜にラテン語で「聖水曜日」とこの曲を含め1日ずらして書いています。これは朝課(午前2時頃)から行う風習が前日の晩にずれ、聖水曜日の晩からスタートするようになり、ゼレンカもそれに合わせたのではないかと推測されています。ゼレンカの表記を優先すると「聖水曜日」、典礼を優先すると「聖木曜日」ということになります。

ゼレンカ:天の女王、喜びませ ZWV134

聖母マリアを讃えるテキストからなるこの曲は、受胎告知祭の日のために作曲されたと考えられています。ゼレンカの声楽曲の中では珍しく、低声を使わず、複数の高声のソロ群(2名のソプラノと1名のアルト)と合奏という編成で書かれています。
最初に声楽ソロ群が定旋律を歌うと、その後はテキストに応じて祝祭的な雰囲気が続きます。声楽ソロ群が揃って喜びを歌う部分と、アレルヤ唱で各声部が重なり合うように歌う部分が繰り返されることが単調さを防ぎ、最後にはora pro nobis deumの歌詞が三拍子のフーガで歌われ、再びアレルヤ唱に戻って明るく楽曲は締められます。この曲は技巧的というよりは祝祭感を楽しむ曲といえるでしょう。

ゼレンカ:マニフィカト ハ長調 ZWV107

この曲も受胎告知を受けた聖母マリアを主題とした楽曲ですが、テキストは聖母マリア自身の言葉です。
ゼレンカはこの曲で器楽曲でよく使われるリトルネロ形式を採用します。テキストの冒頭の1行を合唱がリトルネロとして繰り返し、ソプラノのソロが聖母マリアの言葉を歌っていきます。これが4回繰り返され、5回目のリトルネロのあとに、最後はアーメンフーガによって締められます。
この曲の聴きどころはなんといっても、聖母マリアの気持ちや神を讃える言葉などを歌うソプラノのソロですが、それをリトルネロ形式によって合唱による区切りを入れ、テキストの内容の切り替えをメリハリのあるものとしたところがゼレンカの工夫といえるでしょう。
マニフィカトは聖務日課の晩課で歌われ、古来さまざまな作曲家が手がけています。ゼレンカのこの曲はややコンパクトな長さに感じるかもしれませんが、声楽ソロが聖母マリア自身として歌い切るという点ではとてもよくできた構成と長さなのではないでしょうか。

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