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モデルナの副反応対策で買ったけど結局食べなかったハーゲンダッツが入っている冷蔵庫の前で思い出したら本気の恋だと思う

アラサーにして初めて恋人ができた

「アラサー」と言うと、26歳の頃、「25歳か30歳かで言えば25歳のほうが近い。25歳は四捨五入すれば20歳である。ゆえに26歳はアラサーではない」という謎の理論を主張していたことを思い出す。

五入という文字通りの処理に失敗していたことはさておき、そのような言い逃れもできない、30歳も目前の歳になってしまった。

ちなみに、改めて「アラサー」という言葉を調べてみると、四捨五入では範囲が広すぎるので、30歳±2歳を「アラサー」とする定義のほうが一般的のようである。

そうなると26歳の自分は、「アラサーではないことを言い張る必要もないのに、四捨五入ができないアホさを露呈させた女」と余計ヤバさが際立つ。

さて、話を本題に戻す。

アプリで3人目に会った人と付き合うことに。

今の恋人とは今年の夏にマッチングアプリで出会った。

お互いイニシャルと仮名しか知らない状態で初めて会ったのだが、自己紹介の前にお互い好きなラジオ番組でひとしきり盛り上がり、しばらく経ってから「榎島って本名ですか?」と訊かれた。

数回デートや電話をして、お互い良いなあと思っているところが同じだったことが判明し、付き合うことになった。

アプリは複数人同時並行で進めろ

わたしは、メッセージをするのが苦痛であったため、ターゲットをひとりに絞ってメッセージを重ねて会い、だめになったら違う人とメッセージから始めるという方法を取っていた。

このやり方は、付き合うに至らないとすべてが無に帰すのでおすすめしない。

数人でも同時並行で進めた方がそれぞれ比較もできるし、途方に暮れることもない。

付き合う可能性が波のように生まれては消えるので、アプリを通して会った3人を一波、二波、三波(現・恋人)と呼ぶことにする。

Safariが「アラサー 初彼」で埋まった夏

三波と数回会い、付き合うことになったあと、わたしのSafariの検索履歴は、

「アラサー 初彼」
「20代後半 初めての彼氏」

で埋め尽くされた。

ヒットしたnote記事を片っぱしから読み、非常に励まされた。

今後、わたしと同じようにアラサーにして初めての恋人ができて、自分がうまくやっていけるかの不安さから、そんな言葉を検索せずにはいられない数々の人たちに、このnoteが届けば幸いである。

書き出しが、「20代女が大腸内視鏡検査を受けた話」とほぼ同じで恐縮なのだが、人は得体の知れないものが目の前に立ちはだかったとき、noteを漁るものである。

そんな書き出しをしておきながら、内視鏡検査の記事は全く閲覧数が伸びず、そのくせ三波と付き合い出したころ、「なんらかの拍子にこの記事が彼の目に止まっては死ねる」と一時非公開にした。

この記事を書くにあたり、「大バズりでもしない限り彼はこのnoteを読まないし、たとえバズって読まれたとしても、この程度で人を幻滅する男ではない」と開き直ったため、内視鏡検査の記事も再び日の目を見ることができた。

恋人のホスピタリティが、ひとつの内視鏡検査体験記を救ったのである。

この記事を読んだ恋人へ

だいぶぼかして書いているが、この記事を読んで、このnoteを読んで、おや、と思ったら、「もしかしてnoteやってる?」と訊いてほしい。

そのときわたしは、「バズったんだなあ」と実感することであろう。

肝心のアラサー初彼奮闘記に入る前の導入が非常に長くなった。

ちなみに頭でっかちのわたしはこの記事を書くにあたり、「note 文字数 目安」でもGoogle検索しており、目安までもう少し余裕がありそうなので、記事タイトルでも触れているハーゲンダッツのことを書こうと思う。

好きな人が中学生ぶりにできた

中学生時代に8歳年上の新任数学教師に片思いをしていたのだが、高校に進学するとともにその気持ちも中学へ置いていき、それどころか人を好きになる心もあの校舎のどこかに隠していったのかも知れない。

高校生の時に軽い異性恐怖症のようなものになり(詳細を書いていたら3,000字超えたのでまた別記事にする)、傷つかないように、心を守るように、男性の評価対象からのがれるように生きていたら、どうやって人を好きになるのかわからなくなってしまった。

ちなみに検索魔のわたしは今年6月頃に
「好きな人 作り方」
「好きな人 できる気がしない」などでもOK Googleしていた。

字面だけ見たら人体錬成でもするんかという感じで笑える。

前述したようにアプリで3人目に会った人が今の恋人なのだが、一波・二波はどうだったのかというと「悪い人ではないなあ」という印象であった。

三波は会った日に「好きかも」と思い、今こうして付き合っているのだから、「恋とは落ちるものではなくするものだった」と言える。

変化は愛おしさを持つ

恋人と付き合い始めて、自分の中の変化は多くあり、このnoteを再開するに至ったのも、ブログをこつこつ認めている彼を傍で見たからなのだが、彼起因の変化はひとつひとつ手にとって眺めたいくらい愛おしいものである。

その中でも、とびっきりの愛おしさを持つ変化があるので今回はそれを書く。

先日、コロナワクチンの2回目を受けた。

先に2回目を受けていた恋人から、ちゃんと食糧とか薬とか買っていたほうがいいよと言われていたので、鎮痛剤、ポカリ、レンジですぐ作れるご飯、アイスを買い込んで接種に挑んだ。

いくら副反応が来ても怖くないぞという気持ちで翌日を迎えたのだが、腕の激しい痛みと微熱が出た程度で、身体はピンピンしていた。

その日は有給休暇だったため、Amazonプライムで『カルテット』を一気見し、食いしん坊であるわたしはいつも通り食欲旺盛だったので、レンジでチンを繰り返し、オートミール、バターチキンカレー、ビーフシチューを食べまくった。

家にある食糧という食糧を片っ端から食い尽くしてやろうかしらという気持ちになったとき、ふと買い置きしていたハーゲンダッツが目に止まった。

微熱が出ているわたしである、今日はアイスを久しぶりに食べてもよかろうとふと手を伸ばしたのだが。

彼と食べたほうがきっとおいしいな、と手を止めた。

去年、過食で悩んでいたわたしがである。

その日の暴食はそこで止め、夜に電話してくれた恋人に腕が痛いだけだよとヘラヘラ笑い、おやすみを言って、ああ、好きな人がいる、と幸せになった。

その大事にとっていたハーゲンダッツは、後日我が家でたこやきをした時にデザートとして一緒に食べた。

生地を仕込んでいるときに、「冷凍庫にハーゲンあるよ」と言うと、「スーパーで買い物したとき珍しく『アイス食べたい』って言わんなと思っていたら、そういうことか」と笑っていた。

「試着室で思い出したら本気の恋だと思う」というタイトルの本があることは知っているのだが、何に出会したとき本気の恋だと思うかはさまざまあって、わたしにとっての試着室は、「ハーゲンダッツが眠っている冷凍庫の前」だった。

そうこう書いていたら、「note 文字数 目安」でヒットしたページに書いてあった平均値を大きく超えてしまった。

恋人と会えないこの週末に、note記事を書きながらKEN THE 390をずっと聴いていたら、堪らなく幸福だった。

恋人と付き合うようになって、自分の好きなものが余計好きになったような気がする。

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