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「肩書き」を「生き様」と捉えてみる

ずっと編集者を続けているにもかかわらず、編集者として個人の名刺を持っていなかったので、デザイナーの友人まひろにデザインを依頼し、作ってもらった。

肩書きと名前以外には、押印に見立てた「編」の字があしらわれただけのとてもシンプルなものだ。「編」の字の中には「イノウ」の文字が隠れている粋な仕様。印刷所は大分にある「高山活版社」。1mmという名刺にしては分厚い紙に、強い印圧で文字を押している。

編集者を名乗り始めて、4年ほど経つ。もともとWEBメディアの編集が出自だけれど、最近は編集という職能を活かして、もっといろんなことができないかと試行錯誤している。たとえば、WEBサイトのクリエイティブディレクションをしたり、新しい事業の企画を考えたり。編集の仕事は一見関係なかったり、距離が遠そうに見えるものを「たしかにそうかも」と思える糸でつなげることだ。

広報の仕事に編集を活かすのであれば、こちらが発信したいことと、対象のメディアが発信したいことの接点を見つけることに役立つ。WEBサイトを作るのであれば、写真、デザイン、言葉の方向性を一つにまとめるためのコンセプトを練り上げることに役立つ。また、取材をたくさんしてきた経験を活かせば、コーチングやユーザーインタビューなどで、良い問いを投げかけることにもつながる。

編集の持つ可能性を拡大しようとする一方で、文字の編集一本でやってきている方達を見ると、自分がただの器用貧乏になってしまわないかという恐れや、やりたいことを一つに決めきれない自分にコンプレックスを感じる時もある。また、そもそも編集者と名乗っていいのか、と不安になったりもする。文字の編集者の方だけでも、自分よりもすごい方はたくさんいらっしゃるし、それ以外の領域であればなおのことだ。

編集者になりたてのころは、名乗ったもん勝ちだと思っていた部分もあったが、経験を積むにつれ、自分のできることと周りができることの差異が言葉にできるようになり、名刺を作ったはいいものの配ることに対するプレッシャーを感じるようになった。正直、周りの目も気になる。

そんなことを名刺を作ってくれたデザイナーの友人に相談すると、「この名刺に書いてある『編集者』という言葉は、肩書きでありながら、生き様でもあると思うし、デザインを考えるときのヒアリングでそう感じた」という答えが返ってきた。「どんなことをしてたとしても、自分の核にあるのは編集者なんだと思う」。彼との打ち合わせの中で、そんなようなことを繰り返していたことを思い出した。

「肩書き」を「生き様」と捉えると、同じ「編集者」という言葉を使っていても、そこに詰め込める意味の量が変わる気がする。「編集者」と呼ぶには程遠い、今までの経験とは全く違う領域の仕事を始めたとしても、無理やりその仕事から編集者的な要素を見出すことで、自分だからこそできることが見つかるかもしれない。

個人が活躍しやすい時代になったことで、今ではたくさんのオリジナルの肩書きがある。情報が溢れる中で、一発で何をしているかわかることは大切だ。一方で、僕の編集者という肩書きに限らずとも、今の肩書きの意味を拡張していくとどうなるか、と考えるのは面白いかもしれないと思う。「何をしているんですか?」と聞かれてシンプルに答えられないのは難点かもしれないけど、それが対話のきっかけになるかもしれない。

考えてみると、僕の周りにも「肩書き」の言葉の中に多層に意味を積み上げている友人がたくさんいた。シェフでありながら、食品のブランディングまでやっちゃう人。同じ編集を名乗りながら、その職能をプロジェクトや場の編集に活かし、物事を前に進める人。フォトグラファーでありながら、企画も一緒に考える人。

肩書きの意味を勝手に増やしていく、ポジティブに誤読していくというのは、「生き様という肩書き」とデザイナーの彼が表現してくれたように、自分の生き方を考えるきっかけにもなるんじゃないか

肩書きはそのままに、どんどん曖昧性を持たせていく。そんな振る舞い方もいいんじゃないかと思うのだ。

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