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稜線

   稜線

不器用であるという、たったそれだけで
祈りさえ許さぬ嘲笑の視線が交錯する中から
色彩のみに身を委ねて己自身を塗り潰し
単なる機能そのものと化した都市の中から
私はお前を無理やり連れ出した

お前はひたすら怯えた眼差しで身を縮ませ
引き裂かれた己が片割れの警告のままに
本能的な防御の海深く潜ってゆく
その時に滲み出る涙は
何も溶かし込まれていない、ただの無機的な水

支配を望まぬ筈の予言者が祭り上げられた時代の
ひたすら燻し出され裁かれる、新たな予言者たちのように
お前もまた不穏分子として唾を吐きかけられ
従順さの消費に比例して生み出される廃棄物、すなわち
恥辱や、酸化した惨めさの、黙認された処分場所となる

怯え、慄え、膝を抱えてうずくまる
そんなお前にしてやれる何があるというのか
死か、逃亡か、消去か、それとも盲目の隷属か
今や憤怒のかたまりとなっている私をさえ
お前が恐怖するのも無理からぬこと

今の私たちに帰る場所などあるはずもない
来日も来日も、ひたすら鉄路を辿る―――
この旅程を逃亡と嘲る者たちなど放っておけばいい
絶望的に、痙攣するような息に苦しむお前
胸引き裂かれるようなその姿を、私は冷徹に正視する

車窓を過ぎる風景は、日に日に変わってゆく
広葉樹は減り、針葉樹が増えてゆき
今はもはや、樹木そのものがまばらとなり
丈の低い潅木や、苔むす湿地が広がるばかり
お前は、そのさまに狂喜する私を怪訝な目で見る

ああ、見るがいい、これが孤独というもの風景だ
お前がこれまで恐怖してきたものは、それは孤独ではない
己自身を抹殺し、管理された安穏というまやかしに身を委ね
我々の手を離れてしまったシステムを妄信する―――
そのような者たちが身に着けている甲冑に過ぎないのだ

私たちは、とある停車場で列車を降りる―――
さあ、ここからは自らの足で先に進むのだ
あの低く垂れ込めた雲を見るがいい
あの者たちが我々を出迎えてくれているけれど、しばしの別れだ
さあ、薄暗い闇の支配する森へ分け入ろう

既にして、お前の怖れるものなど何ひとつ無い
数週間前は、死をも希っていたお前に、何を恐れるものがあろう
ああ、今のお前の顔には、空腹と、疲労とが支配する中にあって
穏やかな呼吸と、目覚め始めた五感の息吹があるではないか
さあ、今こそ己自身を取り返すがいい

森の歌が湧き出る泉の元を訪ねる道々
我々なんぞにはお構いなしに花開く植物たち
お前を緊縛していた透明な綱は解かれてゆく
斑模様を揺らめかせる木洩れ日によって
愛に満ち満ちた静寂に戸惑うお前の胸を穏やかに開く

数日間、上り下りを繰り返すと、私たちは見出した
葉末から滴り落ちる、一滴の朝露のように
大気から生れ落ちた、新たな生命であり、同時に
地面に降り、地中へと沁み込んで希薄化する存在としての
集合、交換、分散し、絶えず変転する己を

森を抜けた山稜に立つ私たちを
吸い込まれるような静寂が包み込み
恐怖にも似た巨大な響きがたなびいて
お前は私の手を慄えながら強く握り
息を荒らげては、また息を呑む

あの稜線を超えてゆく白い霧の流れを前にして
何を恥じることがあろう
これまでお前を脅かしてきた比較の対象など
これらの懐深い世界の前では全く無意味であり
取るに足らぬほど矮小であることを、お前は知るのだ

遠くに見えるものを引き寄せるように
雲の彼方に広がる山脈を越えて
ささくれ立ったお前の心の肌は渇望する
敵意に閉ざされた部屋の無音の闇ではなく
広がりと奥行きに満ちた深い静寂を

お前はいま、知った
我らに与えられたものなど何ひとつない―――
その中にこそ、すべてが潜んでいる、と
痩せこけたお前の肉体が拒否してきたもの―――
ここには、何ひとつそれらが存在しない

耳を塞いでいたメディアのイヤホンを外し
お前は耳を澄ます
目を閉じ込めていた小さな画面を投げ棄て
お前は視線を投げ飛ばす
見る間に全ての感覚が開かれてゆくのを感じるがいい

ああ、湧き立ち上がる五感の慄え
この世界全てに向けて、大声で泣き叫ぶがいい
萎えきった脚が立つことを熱望している
それを支え切り、耐え切るがいい
それこそが、お前自身の生命の力だ

独りであることの意味とは何か
それを、この大気は語ってくれるであろう
同時に、1人でないことの意味とは何か
それを、私たちの掌が語り始めるであろう
五感の全てをあげて、生きるがいい

そしていつの日か、あの都会へ戻るのだ
何ものからも自由な創造者として
そして同時に、異端者であり、かつ破壊者として
都市が身を委ね、信奉している制御システムを
自動生成され、自動繁殖する企みを笑い飛ばしに戻るのだ

          (2009.4.26)

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