渕 言址

主に詩を掲載。スキはあまりしません。

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マガジン

  • オーケストラ雑感

    アマチュアオーケストラに関する雑感  佐倉フィルハーモニー管弦楽団のサイトにて公開中 https://sakuraphil.jimdofree.com/

  • 楽曲コラム(クラシック)

    楽曲に関する自由なコラム 佐倉フィルハーモニー管弦楽団のサイトにて公開中 https://sakuraphil.jimdofree.com/

  • 詩集:”檄文”

    2006~2009(Digitalize2)

  • 詩集:”装置”

    2001~2005(Digitalize1)

  • 詩集:”初秋”

    2005~2009(葉擦れの地5)

最近の記事

コロナ禍を抜けて

☆ 11. コロナ禍を抜けて ☆ ほぼ3年以上にわたって、息苦しい毎日を強いられたコロナ禍が終わった。アマチュア音楽家たちは、再び以前のような活動を再開し、奏で合うことの喜びを嚙みしめている。 かつてヨーロッパを襲ったペストは、多くの人々を死に至らしめ、社会全体の多方面に影響を及ぼした。現代における感染症の発生は、その時ほどではないにせよ、今後も、やはり何かしらの痕跡を我々の社会に残し、価値観をも変えていくのかもしれない。 もっとも、この3年間は、負の側面をもたらしただ

    • アンサンブル ☆ ~ コロナ禍に想う

      ☆ 10. アンサンブル ☆ ~ コロナ禍に想う 思いがけないコロナウィルスの蔓延が、音楽家の表現の場を閉鎖した。 営利的な要素を除外するならば、音楽家の営みは、 ・聴くこと ・奏でること ・奏で合うこと の3つに分類できるが、このうちの「奏で合うこと」が許されなくなった。 しかし、奪われたのは、本当にその一つだけなのだろうか・・・。 聴くこと、録音技術の発達によって、様々な音楽媒体によって引き続き可能となっているが、聴衆が求めているのは、そのことだけではない

      • トレーニングの場としてのアマチュアオーケストラについて

        ☆ 9.トレーニングの場としてのアマチュアオーケストラについて ☆  アマチュアオーケストラには、様々な音楽的経歴の人々がいる。小さいころから楽器を習っていた人もいれば、 学生時代にオーケストラに入って楽器を始めた人、大人になってから習い始めた人、はたまた、数十年ぶりに楽器を再開した人、 筆者のように大人になってから独学で楽器を始めて先生に習ったことなどない人、など。当然ながら、年代もさまざまである。  アマチュアオーケストラのメンバーの中で、継続的に専門の先生について楽器

        • ボウイングについて

          ☆ 8.ボウイングについて ☆  筆者は、オーケストラで弦楽器を担当していることから、しばしば弦楽器寄りのノートになってしまうことをご容赦いただきたい。 今回はボウイングについてである。  弦楽器では、弦の上で弓を往復運動させて音を出す。その弓をどちらに、あるいは、どのように動かすか、 などをボウイングというわけであるが、これは、フレージングやアーティキュレーションと密接な関係がある。 例えば、最も典型的で単純なのは、ヴァイオリンの上げ弓ではクレッシェンドが表現しやすく、下

        コロナ禍を抜けて

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        記事

          アマチュアオーケストラと指揮者

          ☆ 7.アマチュアオーケストラと指揮者 ☆  アマチュアオーケストラ、と一口にいっても、さまざまな場合がある。プロのオーケストラと比べても遜色ない演奏技術力を持つ団体もあれば、 多くの市民オーケストラのように、演奏初心者を多く含む場合もある。今回は、後者の場合を考える。  この場合、1回の公演について約半年間の練習を行うことが通例であるが、これを指導する指揮者はどのような姿勢で臨むのだろうか。  2つの場合に分けて考えてみよう。  1つ目は、自分が求める解釈・水準を徹底的に

          アマチュアオーケストラと指揮者

          アマチュアオーケストラの私的社会学

          ☆ 6.アマチュアオーケストラの私的社会学 ☆  会社などの組織と同様、アマチュアオーケストも、小さいながら、ひとつの社会的組織である。 そこには、さまざまな人々が属し、さまざまな関係性がみられる。  プロのオーケストラとは異なり、アマオケの団員は、普段、音楽とは無関係の生活を送っている。 経営者であったり、会社員であったり、主婦や学生であったり、実にさまざまな職業に就いて生計を立てつつ、 多くは、土曜や日曜などの限られた数時間に集まり、半年間に及ぶ練習に取り組む。  故芥

          アマチュアオーケストラの私的社会学

          ストバイ、セコバイ

          ☆ 5.ストバイ、セコバイ ☆  ヴァイオリンのパートは2つに分かれている。ひとつは、主に主旋律を担うストバイ(1stヴァイオリン)、 もうひとつは、主に主旋律の補強や伴奏を担うセコバイ(2ndヴァイオリン)である。 もっとも、この区分は便宜上のもので、ロマン派以降の曲の場合には、2つのセクションは、 主旋律と補強・伴奏を交代で担うことが多く、役割の違いはあまりない。  ストバイは主旋律を担うことが多い、と書いたが、実はだいぶセコバイの助けを借りていることが多い。 2つのセ

          ストバイ、セコバイ

          ウィーン・ムジークフェラインの思い出

          ☆ 4.ウィーン・ムジークフェラインの思い出 ☆  学生を卒業する3月に、いわゆる学生ツアーでヨーロッパを旅した、その時のことである。  ウィーンで自由時間が取れたので、ふらりとムジークフェラインに行ってみたら、同じツアーの仲間2人も来ていた。 その日は、ウィーンフィルの定期演奏会の日だったらしく、ちょうど聴衆が次々とホールに吸い込まれていったが、 会員しか入れない演奏会だったので、私たち3人は、聴衆たちを羨ましげに眺めながら、音楽について語り合っていた。  ところが、その

          ウィーン・ムジークフェラインの思い出

          6か月という練習期間について

          ☆ 3. 6か月という練習期間について ☆  ほとんどのアマチュア市民オーケストラと同様に、当楽団においても、 定期演奏会は年2回であり、それぞれの練習期間は6か月である。  6か月という練習期間は、短いのだろうか、長すぎるのだろうか、それとも適度な長さなのだろうか。  普段の練習は、大抵、週1回で、1回あたり約3時間。団員の多くは仕事を持っており、 また、プライベートな予定もあるため、毎回必ず出席できるとは限らない。 ましてや、休日以外に楽器に触れることなど不可能に近い。

          6か月という練習期間について

          「聴く」ということ、「演奏する」ということ

          ☆ 2.「聴く」ということ、「演奏する」ということ ☆  電車の中で譜読みをする方法(1.譜読み、を参照)を試して以来、どんな楽曲を聴く際にも、ついつい、演奏する立場で聴いてしまう癖がついてしまい、 その癖を振り払うのに苦労し、演奏者の立場を捨ててしまおうかと、迷った時期もあった。音楽との関わりを通じて、自分が現在何をしているのか、 何を求めているのかが解らなくなるような、そんな危険な時期だった。  私は、音楽を聴くとき、何に耳を澄ましているだろう。  同様に、音楽を演奏

          「聴く」ということ、「演奏する」ということ

          1.譜読み(初心者のための)

          ☆ 1.譜読み(初心者のための) ☆  「譜読み」というと、これから何カ月かの練習を開始しようとする前にあって、対象となる曲のあらましを理解するための行為を指し、 実際に演奏することを伴う場合が多い。つまり、最初の全体練習で曲全体を初見に近い形で「通し演奏」すること、その前に、  個人で、かつ初見で「ひとさらい」演奏してみることを指すわけである。 アマチュアオーケストラの場合、当然のことながら、最初から立派に弾けるはずはない。あちこちで崩壊し、 あるいは、置いてきぼりにされ

          1.譜読み(初心者のための)

          ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

          ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18  この曲の成立は1900年であるから、20世紀最初のピアノ協奏曲である。(その2年後の1902年には、20世紀最初の交響曲であるマーラーの5番が成立している。)  その比類のない美しさから、これまでに様々なアレンジが生まれたほか、映画やアイススケートなど、様々なシーンで使われ続けている。  河は、草や葉を浮かべて、どこまでも続く平坦な北の大地をゆったりと流れている。その浮遊物は、時折り、岸辺のアシや大きな岩などに遭遇し

          ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

          ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 作品27

          ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 作品27 最高傑作である交響詩「死の島」や、高名なピアノ協奏曲第2番などと並び、ラフマニノフ作曲の頂点をなす作品のひとつである。 音楽の発展史の上では、評価が高いとは言えず、それゆえに一時忘れ去られていた感もあるが、名曲であることは間違いない。  寂寥感、喪失感、慰安―――聴く者の胸底に密かにうずくまっている、そういった感情に呼応し、共鳴し、増幅する。 分厚いオーケストレーションと、息詰まるほどに長く、うねるような、身もだえるようなフレ

          ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 作品27

          チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23

          チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23  冒頭からして、スケールの大きさに圧倒される楽曲である。その後も、ピアノとオーケストラが激しくぶつかり合い、 優れた演奏と言われているものは、咆哮するオーケストラに負けない独奏ピアノのエネルギーが特徴となっているため、 一般的には、ベートーヴェンの皇帝協奏曲に比べられることが多い。  しかし、最近では抒情的な演奏も数多くあり、それを聴いていると、あたかもショパンのピアノ協奏曲を思わせる部分が多々あることに気づかされ

          チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23

          チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74(「悲愴」)

          チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74(「悲愴」)  もう何百回となく聴いている曲であるが、この曲に関して何かを語ろうとするとき、身体が震えるような怖れに襲われ、 非常な躊躇いが押し寄せる。これは絶望の曲なのか、それとも、この曲を聴いた後にあふれ出る熱い涙とともに浄化される、 限りなく愛おしい何ものかを表現した曲なのか、いまだに私には整理がつかない。  ただ私は、文明社会に引き裂かれた人間性というものを暗示している、と考えている。  最終楽章の主旋律は、スコアを一

          チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74(「悲愴」)

          チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36

          チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36  この曲については、作者自らが、フォン・メック夫人に宛てた手紙で解説を試みている。特に、最終楽章に関して、 「幸福は、単純素朴な幸福は、なお存在する。人々の幸福を喜びなさい。そうすればあなたはなお生きてゆかれる。」と述べられており、 タネーエフに対しては、「基本的アイデアにおいて、ベートーヴェンの第5交響曲に倣って書いた」、と言っており、 この曲に対する一般的な見方は、その延長線上にある。  確かに、第1楽章の冒頭に登場す

          チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36